過食に隠れていた、幼い私の本音
こんにちは。こちら、話があっちにこっちに行っているnoteです…。
今日は、私が時々失敗してしまう「過食」の話です。
私の過食問題については、まえにも何回かまとめてきました。
産後のストレスなどから過食をするようになってしまった私は、chatGPTを使って、
「過食という『行動』を変えるための、セルフ認知行動療法」
を始めました。
※詳しくは、こちらのnoteに書いています。
このnoteを書いたころよりは過食も落ち着き、今は時々、過食モードに入ってしまったときだけchatGPTに報告して、フィードバックを書いてもらっています。
そして最近、
「私の過食の大元は、ひょっとしてここから来てる!?」
と思ったことがあり、ここに書くことにしました。
1.子どもの頃、「食べたい」と言うこともできなかった駄菓子たち
きっかけは、私が夫や子どもたちと一緒に某チェーン飲食店に出かけたことでした。
そこには自分たちで綿菓子を作れる機械があって、まずは子どもたちが夫と。とても嬉しそうに食べていました。
それを見ながらムクムクと湧き上がってきたのは、
「私も作りたい!私も食べたい!」という気持ち。
私、夫に半ば呆れられながらも作って食べました。機械に入れるザラメも、母が嫌がるだろう緑色のメロン味にして。
私が作った綿菓子は下手くそでしたか、それでも幸せいっぱい。甘くてふわふわした気持ちが胸いっぱいになって、こんなに満たされる気持ちになるものかと驚きました。
そして気づいたんです。
私が過食するときに求めてたのは、この感覚だったんじゃないかって。
私の母は「真面目に子育てしていた人」ではありました。暴力暴言はひどかったし、子どもを見栄の道具として扱っていましたが、虐待する親であることと、真面目な親というのは両立はするんですよね…。
私の口に入るものにも気を遣っていて、添加物、着色料を使ったものはダメ。
お祭りで売っているものも、綿菓子はよかったけど(母ルールにより、ピンクのような母基準で「自然な色」のみ)、りんご飴やチョコバナナはダメ。
「本当はお祭りのものなんて汚いから食べさせたくないのよ」
が口癖でした。
あの当時は今以上に添加物の基準もゆるかったかもしれないし、添加物や着色料を禁止する親が毒親だとも思いません。
問題は私が最初から、そうしたものを食べたいとも言わなかったこと。
小さな子どもがそんなに物分かりがよくならざるを得ないくらいに、母が情緒不安定で、精神的に幼い人だったということなんです。
記憶があるだけでも、小学校低学年のころには、
「言ってもどうせ買ってもらえないしな」
「嫌な思い、するだけだしな」
と思っている子どもでした。
2.幼い自分を封印していた、子ども時代
少しちがう話をすると、私の母は2、3歳の我が子に勉強をさせていました。それができないと、使っていた勉強カードを子どもに投げつけたり、髪の毛を引っ張ったり殴ったり蹴ったりする。
私は小学3年生のころ、兄弟がそういう目に遭っているのを見ていました。ただ私も麻痺して感覚がおかしくなっていて、そんな母のことを、
「わがままだな。5歳みたい」
と思っていました。
(そして眺めていると、母から、
「なぜ兄弟が殴られるのを止めないんだ!」
と何発も殴られました。)
幼い私は親は子どもなのだと割り切ってしまい、子どもとしての自分を封印してしまったんでしょうね。
母からも「ちくわは、ほとんどおねだりをしなくて楽だった」と言われたことがあります。
なんかもう、絶句ですよね。
おそらく私にとっては、「封印してしまった子どもの自分」の象徴が、「身体に悪いと言われたお菓子」だったんです。
ただ私は、そこまで自分のことを分かっていなかったから、「食へのヒリヒリする渇望感」だけが残ってしまい、それが過食につながっているみたい…。
自分が子育てを始めてから過食が始まってしまったのも、目の前の我が子を見ながら封印していた何かが開いてしまったからかもしれません。
(自我状態療法的には、「ある自我状態が表に出て来れるようになった」ということなのかもしれません)
ああ、これからは時々、「身体に悪そうなお菓子」を食べよう。
ねるねるねーるねとか食べよう。
そして、そんな自分が何を感じるのか、しっかり見つめて大切にしよう…。
3.chatGPTにも報告してみた。
こうして書いてきた内容を、日頃過食でお世話になっているchatGPTにも報告してきました。
そうしたら返ってきた返事がこちら。
chatGPTによると今まで食べられなかった駄菓子を食べて、「肉体的にも感情的にもどのように感じさせるかを観察する」ことは、「マインドフルなアプローチ」なのだそうです。
…なんか、かっこいいな😊
というわけで、これからは、ぼちぼち幼少期の私のわがままを聞いていくことになります。
子ども時代をやり直すことはできないけど、子ども時代に味わいたかったものを味わい直すことは「できることもある」かもしれませんね。