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「食べさせたがり」になっていた私。

こんにちは。まえのnoteに引き続き、トラウマ治療中の私の様子についていきます。

※まえのnoteはこちらです。


解離症状が解けはじめたころから、私は料理にハマっていました。
そして作って自分や夫が食べるだけではなく、他の人に食べてもらうことにもハマっていました。


1.欲しかったのは「団らん」なんだ。

ちょうどこの頃、今の地元で友人ができました。
独身の女の子たちが多かったので、主人が出張で家にいないときには彼女たちに自宅に来てもらって、一緒にご飯を食べていました。

私がご飯もの、もしくは「ご飯+メイン」を担当して、あとは持ち寄ってもらいました。
一方的に自分がご馳走することで、関係がシンプルじゃなくなるのも嫌だったからです。

キンパとか、カオマンガイとかガパオライスとか、色々作ったなー。懐かしい。
好き嫌いなく、なんでも食べてくれる子たちで本当にありがたかったです。
家でこたつに入って、だらだら食べておしゃべりするのも楽しかったなー。鍋もやったなあ。

残念ながら、その後の私が出産子育てで必死だったり、遠方に引っ越した子もいたりで、そうやって集まることはなくなってしまいました。
(私が産後ずっと苦しかったのは、治療中に少しずつ組み上げていた社会参加がぜんぶリセットされてしまったのも関係しているとは思います。)

今思うと、3人以上(当時、主人とだと2人きりなので)でご飯を食べて、にこにこおしゃべりするっていうのが、私には大事だったんだと思います。
「そんなものは絵空事だ」と強がりながらも、ずっと喉から手が出るほど欲しかった「家族の団らん」。叶えてくれた子たちには、本当にありがとうなのです。


2.朝市のおばちゃんとの会話が楽しみだった、あのころ…。

そして、この頃私が楽しみにしていたのが、地元の朝市に出かけることでました。

地元ならではの葉物野菜があったり、
(私は結婚で移ってきたので知らなかったけど、美味しかった)
大量のぎんなん(私の大好物)が200円で手に入ったりと、掘り出しものを探すのが楽しかったです。

また、いつも立派な野菜を持ってくるご夫婦がいて、
(たぶん卸しの仕事をしている方だったのだと思う)
「これ、◯◯作ると美味しいよ」
と教えてもらったり、私も前に買った野菜で何作ったかお話ししたり、
「あんた、これで何作る?なんか作ってみてよ」
とまんたと買わされたり(笑)していました。

そのおばちゃんが、私があれ作ったこれ作ったと話すのを(商売とはいえ)、よく聞いてくれたのも嬉しかったです。

友人とのおうちご飯といい、朝市のおばちゃんといい、他人とのつながりを取り戻すリハビリになっていたのが、「作ることと食べること」でした。半分「食べさせたがり」の人みたいになっていました。


今の私は子育て中でもあり、
「食べさせたい」というよりは、
「頼む…食べてくれ!」という心持ちで日々のご飯を作っています。

今一番作るのは、具だくさんのお味噌汁と焼き魚です。作るものは変わりましたが、作って食べること、食べてもらうことは、これからも続いていくと思います。

不安定な精神状態ではありましたが、そこをじっくりやれたのは良かったのかな。
今は当時を、そんなふうに思い出します。

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