トラウマ治療で見つけた、希死念慮の意外な理由
こんにちは。
ここ最近はトラウマ治療の話を始めたと思ったら、今の悩みへの取り組みの話をしたりと、このnoteは私の書きやすさを優先してしまっています。
今日は、私が長年苦しんできた希死念慮が、トラウマ治療をとおして楽になったという話です。
ただ私は「トラウマ治療を受ければ、希死念慮が消えるよ」と言いたいわけではありません。
その後の人生にネガティブな影響をあたえる経験(記憶)が、分かりやすく痛かったり苦しかったりするわけではないという話です。
※前置き…ソマティック・エスクペリエンスも、なかなかピンと来なかった。
私は4年半トラウマ治療を受けることができました。でも最初からスムーズに行ったわけではありません。
私が臨床心理士から受けたトラウマ治療の手法は主に、EMDR、SE(ソマティック・エクスペリエンス)、自我状態療法の3つです。
今日は主にSEを受けたときのことをお話しします。
元々はNHKの番組で知ったEMDRを受けたくて、トラウマ治療を始めましたが、解離症状というものがひどくて受けられる状態ではありませんでした。
(その後、他の治療によって受けられる状態になりました)
そのため私の治療は、ひとますSE(ソマティック・エクスペリエンス)と自我状態療法で進めていくことになりました。
特に戸惑ったのはSEでした。足の裏や手の先がピリピリしたり暖かくなったりしつつ、何が起きているのかわからず…。
そんな中でも徐々に、感覚で逃げることを追体験(?、「逃げる作業を完了する」のほうがしっくりくるのかな)したり、段々、SEの中で過去につながってる感覚が増えていきました。
SEでの体験については、いくつか書いていくつもりですが、今日は、しつこかった希死念慮と関係する記憶を扱った話をします。
1.私が当たり前に抱えていた、希死念慮について…
さて、とてもしつこかった私の希死念慮…。こ」がいつ始まったのかは、自分でも分かりません。ただ私が「死にたい」と思うことは、気づいたときには当たり前の感覚でした。
◆「みんな、死にたくないのか」という衝撃…
ところが、それが当たり前じゃないと知るできごとがありました。
私は大学入学時に、入学者全員で一斉に心理テストを受けました。私の大学は、自死率が他よりも高かったそうで、保健センターは学生のメンタルケアに神経を配っていました。
質問紙に選択式で答えたり、実のなる木を描くテスト(バウムテスト)をしたり…。そして何故か私は保健センターの先生(精神科医)に呼び出されました。
なんの覚えもないまま行ったところ、質問紙の「死にたいと思ったことがある」という項目に「はい」と答えたからとのことでした。
先生からは、
「君がこれから気軽にこれるように、一度来てもらったんだよ」と言っていただき、実際この保健センターには心身壊したあとで大変お世話になりました…。
当時の私は「死にたいと思わない人間のほうが異常だ」と思い込んでいました。死にたいと思わない人間は、よっぽど軽薄なのだと信じていました。
でも実際は「死にたい」というのは、呼び出しを受ける状態らしい…。今思うと、これが私と一般社会のズレに気づかされた最初でした。
しかしその後も、希死念慮をどうすることもできないまま、もっと言うと希死念慮をなくしたいとも思わないまま時間が過ぎました。生きていて良いことがあるとも思えなかったです。
結婚して実家から離れたり、楽しいこともありましたが、私の奥底には希死念慮が常に横たわっていました。
そしてトラウマ症状が爆発したときのタイミングで、トラウマ治療につながりました。
そのときも希死念慮までどうしようとは思っていませんでした。希死念慮のない自分が想像できなかったからです。
2.「私、死ぬんだな…」と思った記憶
SE(ソマティック・エクスペリエンス)の感覚が分かり始めてしばらく経ったころ、ふと気になる記憶が出てきました。
小学生のとき、私はとある感染症で入院しました。ある晩、40度以上の熱が出て、看護師さんたち(もしかしたらお医者さんも…よくは覚えていないのです)が何人も来て、
「ああ私、死ぬんだな…」
と思いました。
そのときの私は苦しかったというよりは、ふわふわと本当に気持ちよかったんです。
このことを思い出した直後、臨床心理士の先生に、
「この気持ちよかったという感覚が、すごく気になります。SEで扱いたいです」
と自分から伝えて誘導をしてもらいました。
SEでは、イメージよりも身体の感覚を追っていきます。当時の気持ちよさを「体験」しつつ、当時寝ていたベッドの足もとにオーロラのようなモヤがかかっていたような感覚を「思い出し」つつ…。
それをしばらく味わっていると、
「あ、今私は戻ってきたな」
という感覚がありました。なんか臨死体験みたいだったなあと思いながら…。
ここでは多分、本当に当時の私が足元にオーロラみたいな、もやを見ていたかどうかは大事ではないのだと思います。
◆「生は苦しく、死は気持ちの良いもの」と、無意識に思い込んできた…
重要だったのは、生と死への感覚が反転していたことです。
日常的な虐待からくる「生きることへの絶望」がベースにあって、そこに高熱からくる「死ぬんじゃないか」という気持ちと「すごく気持ちいい」という感覚とが合わさってしまった。
私のなかで、生は苦しく、死は気持ちのいいものという感覚が刷り込まれてしまいました。
この反転した状態を抱えて生きていた私が、虐待のない「今」の状況で、「死にそう+気持ちいい」という感覚を味わい切って、終わらせられたということがポイントなのだも思います。
この日のSEが終わったあとには、まだまだトラウマ記憶が山積みではありつつも、
「ああ、大きいものは終わったんだあ…」
という、不思議な安心感がありました。
その後は希死念慮がすぐになくなるわけではありませんでしたが、つねに希死念慮が頭のどこかにある感覚はなくなりました。
生きている限り、つねに抗っていた衝動がなくなって楽になりました。今では希死念慮を感じることは、ほぼありません。
3.私の苦しみを和らげたのは、「親の宗教」ではなかったということ…
最後、唐突に宗教の話をすることをおゆるしください。元々このnoteを始めたのは、安倍元首相の事件をきっかけに「キリスト教2世」としての苦しい記憶の蓋が開いてしまったことでした。
家族に聞いてもらうのも悪いし、かといって黙っているとおかしくなりそう。子育てが忙しく、お金の問題もあってトラウマ治療にはいけない…そんな中で少しずつ、当時のことを振り返ってきました。
その中に、こんなこともありました。
私の育った教会では精神疾患への偏見がつよく、2世として育った子たちがメンタルを病んだ時に、一部の親が精神科の治療をやめさせたということがありました。
その後、私の希死念慮がラクになった要素にキリスト教の神は一切関与せず、結局治療を通してでした。だから医療につながるのを妨害する宗教を、私は許すことができないのです。
そして、そうした宗教は、一見穏健なように見えるところにと広く存在する…。宗教2世としてTwitterを見ながら感じています。
さて、今日のnoteの本題に戻ります。
今日書いてきた、生と死をめぐる感覚の反転…。似たような反転は、他にも起こっていました。
相変わらず治療を時系列順に書いておらず、スミマセン…という状況ですが、よかったらお付き合いください。
※SE(ソマティック・エクスペリエンス)については、こんなnoteも書きました。よかったら、ご覧ください。