自分の家族の安全保障とか、ダラダラ考えている
ちょっと気持ちが疲れてるので、ふだんとは違う記事にしました。
(トラウマモードを切り替える方法は、またの機会に…ごめんなさい。)
今日の記事は、軍事も安全保障も食糧政策も農業も無知な人間が書いています。したがって無知の素人の、無知の素人による文章です。だれのためでもありません。
ただ、つらつらと…。最近頭の中で考えては消えて、また浮かんでくるあれこれを書こうと思います。
1.地方と都市とどっちが良いかは、社会情勢で変わると思う
私は自分が育った地元を、ことばを選ばず言えば憎んでいます。自分でみっともないと思いながらも、Twitterやnoteで怨念をつぶやいてしまうことがあります。
あの地方の陰険さとか、もとの地元男性のしょうもないプライド(努力もしないのに、女性の方ができるのが嫌みたいなの)とか、もう…。私が低空飛行とはいえ、ここまで元気になれたのは、あの土地を離れたのも大きいなと感じています。
ただ一概に、都市部がよくて地方がよくないかというと「これは時と場合による」のも知っています…。
1-1.「ねえ、田んぼ売って大学出てきたんでしょ?」
私が地方から東京の大学に入学したとき、こんなことを言ってきた同級生がいました。
(のちに友だちになりました)
その当時は、
「うちの父親バカにしないでよ。それ、他の人に言ったら『田んぼ売らないと進学できない貧乏な家だ』ってバカにしてるように聞こえるよ。絶対、他の人に言っちゃダメだからね」
と真正面から反論していました。
ちゃんと聞いてくれるヤツだったから、私も言えたのでしょう。
その同級生からは他にも、
「ねえねえ、『なんでも鑑定団』で田舎ですごいものが出てくるときあるでしょ?あれなんでか知ってる?戦後お米がなかったときに、都会の人たちが田舎に出掛けて家宝と宝物を交換したからなんだよ」
と言われ、
(私は父方がど田舎だが、本当のことを言えば、昔の田舎の文化水準をバカにしちゃいけないのである)
しらんがな、ではありました。
のちにその本人が由緒ある家の出身だと知り、おそらく本人の祖父母が、
「うちにはあんな家宝があったのに、田舎で米と交換してしまった…」とか嘆いていたんでしょうね。
つまり戦中戦後の食糧難では、田舎の利点が都会の便利さを完全に上回っていたのでしょう。都市部の利便性も戦争で破壊されていたでしょうし…。
都市部の一部の家庭に伝わる話…。「戦後の混乱期」の一面を初めて知らせてもらったと思います。
1-2.農家が親戚にいる強みを思い知った、子ども時代…
さて、それから更にときを遡ります。
私が子どもの頃、平成の米騒動というのがありました。冷害がひどく、日本国内でお米が本当にとれなかったときがあったんです。緊急で日本政府がタイ米を輸入しました。
でも実家がタイ米を食べたのは一度だけ。それも「試しにどんなものか食べてみよう」という感覚でした。
というのも当時、私の祖父が自家用に米を作っていたんです。祖父がお米を送ってくれていたので、私たち家族は祖父のお米を食べ続けることができたのでした。
その祖父も亡くなり、祖父の住んでいた家も田んぼも他の人たちに渡っています。父や伯父が自分たちの代で終わらせてくれたことは、素直にありがたいと思っています。
ただ今年の令和の米騒動で、いかに祖父のお米がありがたいものだったかを知りました。
なので私の中では、農家の親戚がいるというのは貴重なライフラインなんです。ちなみに今そういう親戚はいません。私、育った地元を切って生きているので…。
2.子どもを産んでからは、食べさせることばかり考えている。
2-1.ストックはしてるけど…
さて私はご縁あって、ちがう地方に暮らしています。子どもを産んでからも、災害や戦争のニュースは絶えません。
その度に思うのは、どんなときも子どもたちに食べさせてあげたいなあということです。被災地の親御さんも、自分は我慢できてもそれが苦しいだろうなと…。
(以下、私が自分の今後に向けて考えることをつらつらと…)
子どもたちが赤ちゃんのときには、東日本大震災を経験した先輩からの助言により、ミルクとベビーフードを常に買い込んでいました。
(ちなみにベビーフードについては、保健師さんから
「災害時にはベビーフードを食べさせざるを得なくなります。ふだんベビーフードを食べさせてないと、いきなり食べてくれません。週1回はベビーフードの味に慣れさせましょう」
と指導がありました。)
今も色々、多めにストックしています。
ただ私の住んでいる地域は、災害では近隣の大都市に救援が行って、それからしばらく次だと思うんです。まず当てにしてはいけない。
また少しだけ戦争のはなしをしますが、政府には防衛というなら食料自給率をあげてほしいと思っています。
私は防衛強化反対ではありません。
ただウクライナが多大な犠牲を払いながらも、国家として存続しているのは、「元々農業国だった」のも大きいとも思っています。
(素人目線です。簡単に言ってはいけないとも思います。ごめんなさい)
日本政府からは「いざというときも、国民を飢えさせない」という姿勢が感じられないのが心配です。悪気がなくて、本当に視野に入ってなさそう(想像)なのが、また厄介です。
戦争で、何を教訓として学んだの?という…。
2-2.野菜を育てて、災害に備えたい私(つまり、まだやってない笑)
私がなすを育てたりしているのは、元々野菜を育てるのが好きだからです。
ただ来年からは、そんなことをあれこれ考えた影響もあり、育てる作物を増やす予定です。
(以下、私も思考が暴走しています。子ども産んでからは色々過敏になっている自覚はあります)
ひとまず地震対策を考え、トマトやきゅうり、なすなど水分の多い野菜(季節が夏に偏りますが)を育てたいと思っています。枝についている間は、冷蔵庫がなくてもくさらないしね!
(動物性タンパク質は、缶詰しか思い当たらないなあ。さすがに鶏は飼えないなあ…)
テレビニュースで聞きましたが、災害時はビタミン不足になりやすいそうです。野菜を取れないからだそうで、フリーズドライの野菜をストックすることを勧めていました。私もフリーズドライの味噌汁やスープ、ストックしています。
ただ、フリーズドライの野菜では摂れないものがあります。それは野菜に元々含まれている水分です。私は子どものとき、親戚の畑でトマトを食べさせてもらったことがあります。あの喉越しのよさは、今も時々思い出します。
おそらく災害時に野菜から摂れる水分があれば、それはバカにならないでしょう。また逆にフリーズドライは食べられるために逆に水分をとってしまう面もあるなあと…。
(ただ採れたて野菜も洗わねばならず、そこで水は使うんだよなと思うと悩む私💦)
まだ残っている問題は災害時、水やり用の水を確保できるかです。貴重な水をそっちに使えるかと言うのは自信ないです。
庭に水がめを置くことも考えましたが、わざわざ蚊の幼虫を育てることになるのもどうなのだ…と思考停止中。
と、アホらしいですが、いざというとき食だけでも家族で楽しく過ごしたいとあれこれ妄想しています。
幼少期から希死念慮のひどかった私が、家族で生き延びることを真剣に考えているのが面白いのですが、結婚後の新しい家族が「美味しいもの大好き!」な人たちだったのも影響してると思います。過食の問題もあるので手放しには言えませんが、食いしん坊でよかった面もあるはあるのです。
そして子育てがある程度落ち着いてきたら、繁忙期の農家の日雇いバイトにあちこち出かけようと思っています。せっかくなら、わざを学びたいのです。
単純に楽しみでもあります。今のうちに、ガシガシ動いて体力つけたいなーと思っています。
ただ野菜を育てるスペースを増やせるのも、農家バイトが色々あるのも地方だからなのかな。
いざというときのサバイバル大作戦、意外と地方が有利かもよ!?そんなことを時々考えます。
とはいえ能登の状況を見るとそうとは、とても言えない面も多いですよね…。私が住んでるところが、ほどほど田舎であり、道路もまあまあ通ってる(災害時はわからんけど…)からかもしれません。
3.地方の付き合いのウラの機能を考える
ただ個人でやることは限界があるよね…と思いつつ。今これが機能するかは別ですが、ふと自分の中で結びついたことがあります。
私が今住んでいる地域は、地元の付き合い(祭、総踊りの地域チーム、住民運動会)などが濃ゆいです。今の私は参加してないんですが、今後どうするかという話なんです。
ただ地元のいいところは、男同士の祭の飲み会で女性に世話をさせないところ。あと面白いのは、そうしたチームの単位が昔の町名とはずれてるんですね。
もしかしたらこれ、いざというとき食料などを融通するときの単位にもなってたんじゃないかなと思いついたりもしています。
ある程度融通しあう相手を限定しないと、難しい面はありますよね。そういうときには便利な単位だったのかなと思っています。
まあ、ぜーんぶ私の妄想なんですけどね…。
私の野菜育てる大作戦!も、当たってるかどうかはわからない。
ただ生き延びてやる!!
と、かつて希死念慮のひどかった「虐待サバイバー」兼「宗教2世」が、笑われるかもしれないけど大真面目に考えています。
その状況が「ああ私はキャパが小さいままだけど、良くなってはいるんだな」と嬉しくもあり、おかしくもあり。そんなまとめにして、今日のnoteはおしまいです。