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問題が明るみになった団体だけを、メディアが名指しすることの限界…

こんにちは。
私は宗教2世問題に関しては、こう見えて「いい子ブリッコ」しながら書いていました。
具体的に言うと、メディア批判を控えてきたんです。伝統宗教2世問題について、マスコミに取り上げてほしい思いもあったから…。

しかし実際に取材を受けたり(不採用)、マスコミやジャーナリストのやってきていることを見ている中で、
「今後宗教2世が話題になることも少なくなってしまう(悔しい方は、本当に多いと思う…)し、私も二度と取材は受けたくない」
と気持ちを決めることができました。

と言うわけで、しばらくはこの2年間、マスコミに対して思ってきたことを書くことにします。
(トラウマ治療関係でフォローしてくださっている方には、申し訳ない…)

変化を期待してきた自分の思いに、終止符を打ちたいのです。今後もトラウマ治療のこととか、何かしら書くことは続けていくとは思いますが…。


1.「穏健な宗教」なら、宗教で食べている側の言葉ばかり流していいのか…

安倍元首相の事件をきっかけに、マスメディアでも宗教2世についての記事が載るようになりました。

私がいた教会でも、一般社会よりも心を病んだり、自死や自死未遂をしてしまったらする人たちが多いのは知っていましたが、メディアはスルーだろうなと思っていました。

もっと酷いところは、沢山あるだろうし…。そう思っていました。

ただ想定外だったのは主要メディアが、キリスト教主要教派の幹部(高位聖職者や神学部の教授)、伝統仏教の僧侶、天理教の幹部職員、イスラム教の教団職員などに、

・ロングインタビューという形で特集を組む
・宗教2世問題全般を「解説する」立場としてコメントをさせる
・宗教2世についてコメントをするジャーナリストたちが本を出したときに、その人たちの原稿を載せる

ということをしたことです。
カルト問題を長年取材してこられた方の功績を否定するわけではありませんが、そうした方たちにも「取材者自身の枠」という限界はあるのを感じました。

たとえば統一教会やエホバの証人の教団側を、2世問題の解説側として立たせることはしないでしょう。
それを穏健な団体であれば、「良識的な存在」としてメディアに取り上げて良いのか…被害がないことを前提にされていることへの絶望はありました。


そして私が衝撃を受けたのは、キリスト教大手幹部のインタビューを読んだときでした。


2.「牧者」たちは、失われた羊を気にかけない

インタビューを受けていた、ある幹部聖職者は、
「苦しんだ(苦しんでいる)教会2世が中にいるかどうか」さえも、興味がない様子でした。

・親が信仰の喜びを伝えられていないことが、いわゆる「宗教2世」問題になる
・子どもが来なくなっても、大人になってからも親が誘いつづければ、また教会に戻ってくる

要約すると、こうした内容でした。
まず子どもの意思は関係なく、親がどうかと言う視点でしか語られていないのが特徴かと思います。
教会に戻ってきさえすれば、それで良いのかとも言いたいです。

また教会で司牧をしていれば、思春期以降来なくなった2世以降の人たちを散々見てきたはずで、そうした人たちに対して、
「実は苦しんでいたのではないか」
「教会で傷ついたことがあったのではないか」
と言ったことを、考えたことがないのだろうと思いました。

私はイエス・キリストが、教えられてきたような聖なる存在とは思っていません。ただ聖書では、イエスはこう言ったことになっています。

「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。」
(マタイによる福音書7章)

※聖書の引用をきっちり書いてしまうのは、ある意味、私の後遺症だと思います。


でも実際の聖職者たちは教会を離れた人たちへの関心はないし、そうした人が出世をする組織だったのだなと、改めて気付かされました。
(私は探されたくないけど、メディアでくらい心配するフリくらいはすると思ってました…)


離れた後とはいえ、知ることができて良かったです。

やっぱり関わるのをやめて良かった…。
聖職者たちがイエス様の代わりに「パンをキリストの体に変え」たり「告白された罪を赦し」たりできると信じることを止めて良かった…。

でも、自分はこんな人たちを尊敬させられていたのかと、改めて悲しくなりました。


細々とキリスト教への違和感を書き始めていたnoteでしたが、きっちり書こうと決めたのも、このインタビュー記事がきっかけでした。

「宗教虐待」だと私が感じたことを、最初から存在しないものとされてしまうのは耐えがたかったからです。
誰が読んでくれるかも分からなかったけど、書かなければ、私の身に起きたことは本当に「なかった」ことになってしまうという切迫感も感じていました。

noteを書くなかで、ふだんは全く関係ないことばかり書いている人がぽろっとコメントをくれることもありました。
同じ出身教団の方も複数いて、整理しきれない何かを抱える人たちは、私以外にいたのだと気付かされました。


3.問題が明るみになってから、メディアが名指しするだけでは、被害は予防できない…

取材の話を2回いただいたのも、noteやTwitterであれこれ書いていたからかもしれません。

とはいえ、その宗教団体の問題が明るみになってマスメディアに名指しで批判を受けるというやり方では、宗教被害を予防することはできないんですよね…。
メディアで問題を答えてきた当事者の負担の大きさを思いつつ、どうしても、そこを悔しく思います。

被害を今受けている子どもが直接、声を上げることはとても難しい(そもそも被害の自覚が難しい)からです。

また、この一つ一つ名指ししていくやり方では、絶対に漏れてしまう宗教団体のほうが多いのは間違いないことで…根本的に…うーん、何か…と考えてしまう自分はいます。
(私は取材を受けたのちに不採用になりましたが、取材さえも届いていない宗教団体の2世は多いと思います)

メディアについて思ったことを一通り書いた上で、その話もできたらとは思っています。


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