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皆に知ってほしいとんでもねえヤバい短歌を紹介する(わりと初心者向け)

 普段皆さんが短歌に対してどんなイメージを持っているかわからないけれど、世の中には爆弾みたいなとんでもない短歌がある。短歌初心者にも(俺もたいてい初心者だけど)是非短歌の面白さを知ってもらえたらいいなと思って紹介する。

とりあえずぐだぐだ御託を並べていても先に進まないのでまずその歌の紹介をしよう。こちらだ


廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て


初見ではすぐにすごさがわからないかも知らんが何がどうすごいのかを説明していこう。

この歌は東直子さんによる『春原さんのリコーダー』という歌集に収録されている一首である。同書籍に収録された歌人穂村弘さんによる解説もこの一首を挙げて説明している。

ただまずはこの短歌の解説の前に、普段あまり短歌に触れていない人のために素晴らしい短歌とはなんぞや、という話をしたい。

まず短歌とは

短歌は57577の計31文字の定型詩であり、俳句のように季語を必要とするわけではなく、また俳句ほど字余りや字足らずの破調に厳しくはない。文字数はざっくり決まっているがルールは意外とゆるめで何でもありだ。

31文字という制限は意外とイージーで簡単な文章が作れてしまう。だからこそ、面白味のない歌というのはただ気持ちや言葉をそのまま31文字に当てはめただけの日記かTwitterのつぶやきのような物になりがちだ。

短歌は説明しすぎない

良い短歌は気持ちを説明しない。言葉遣いや景色からその心情を想像させる。もっと言うと強い短歌は読んだ瞬間その気持ち、味、におい、触感などを強制的に体験させられる。例をあげよう

人前でものを食べないひとになる 数かぎりない夕ぐれの街

これは早坂類さんの一首だが特に気持ちが直接的に描かれているわけではないのはわかるだろう。しかし、人前でものを食べない人という独特の言いまわしが、社会に適応できない社会から切り離された孤独な印象を持たせ、数かぎりない夕ぐれの街の多くの人が住んでいる町並みと比較されることでよりその寂寥感が強調される。暖かくオレンジ色に染まった町並みで、ひっそりと自分は影になっているようなそんな印象の個人的に好きな一首だ。もう一首例をあげる

道ばたに突き刺しておく花束はいやでもおまえに届くだろう

こちらも早坂類さんの短歌より。いや、花束は普通道ばたに突き刺さないでしょ、と俺も思う。突き刺すという強い言葉で一方的で情熱的な、愛というよりむしろ憎悪に近い情念すら感じられる。普通花束なら『わたす』や『送る』ものである。ただの花であれ、『いける』や『飾る』、花瓶に『さす』のが普通だ。これはもしかしたら事故現場に置かれた花を指すのかもしれない。そうであるならば死をもって届ける花束などなおさら憎悪だ。きっと直接は受け取ってもらえない事情があるのだろう。言葉遣いだけで31文字の中に直接描かなくともこれだけ感情やドラマを詰め込める。これが優秀な短歌の一つの形だと思う。逆に強い気持ちを強い気持ちのままぶつける力業みたいな秀歌もあるけどそれまたそのうち……。

さて改めてとんでもねえ短歌に戻ろう。

爆弾のような歌

廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て

改めてこの歌を見てほしい。まずは一つずつ紐解いていくと、廃村を告げる活字は新聞の記事か何かだと思われる。机が汚れないようにか敷いたいつかの新聞の記事に桃の皮が触れて字が滲んでゆく様子を描いている。

廃村という一つの村の、ひいてはそこに住んでいた多くの人々の生活の死を告げる文字が滲んでゆく。自分もいずれそうなるかもしれないという実感がじわじわと浮かび不安と焦燥でどうしようもなくなり、生存本能がごとく思わず「来て」と相手を求めて呼んでしまうのだ。

死への不安と焦燥が頭の中をわんわん反響し、精神がぼんやり曖昧になりそれが最大限まで高まった瞬間、一拍の空白、沈黙があり……ドン!!!とこの来てが提示され、その瞬間世界はクリアになりまるで爆縮のようにギュッと収斂する。

まるでこの一首はエロスとタナトスでむき出しの原初的な欲求、力の塊だ。大河のように静かでいてしかし抗えない強さ、それに対する無力感を感じさせる嘆きであり、祈りのような一首だ。

もう一つ漢字とひらがなのバランスにも着目してほしい。『廃村を~桃の皮』までが漢字で堅苦しい印象を持っており、その後の『ふれればにじみゆくばかり』がひらがなでぼんやりとしていく印象になっていく。文字数もどちらも12文字でバランスもいい。そして一拍置いた後にもう一度漢字で『来て』なのだ。これがひらがなで『きて』だと少し弱い印象になるのがわかるだろう。強い生への希求、だからこその漢字で『来て』になる。

たかが31文字だが、こんなにも心をギュッと締め付けさせられるような苦しい気持ちを体感させられる仕掛けがまるで精密機械のようにかみ合って爆発する。以上をふまえて改めてもう一度この歌を読んでみてほしい。

廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て

なんて、恐ろしい歌なんだ。


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