ら抜き言葉ってどう思う?
食べることができるの意味で、「食べられる」ではなく「食べれる」と言ったり、
見ることができるの意味で、「見られる」ではなく「見れる」と言ったりするのを
「ら抜き言葉」と言う。
すっかり定着したようにも思うけれど、
まだまだ非文法的だとする意見も根強いように思う。
ただ、あんまり話題には上がらなくなったような気がしたので、
また、『毎日新聞記事データ集』で調べてみた。
(1つ目の調べてみたは、こちらhttps://note.com/chippi000/n/n5c163b750706)
1994年から2020年の17年分の全国紙の記事。
すると、驚いたことに「ら抜き言葉」の新聞における使用件数は1995年の39件をのぞいて、
それ以降は一桁台におさまっている。
1994年の記事は見当たらなかったので、「ら抜き言葉」は95年にいっきに話題になったあと、
明確に結論付けられないまま、今にいたっているということだろうか。
インタビューされた人が「ら抜き言葉」を使っていても、
字幕には、「ら」の入った表現が用いられるのが普通だろう。
国語のテストで、「ら抜き言葉」を書いても、きっと不正解にされるんだろう。小論文も然り。
英語のテストの和訳で「ら抜き言葉」を使った場合はどうなんだろう。
外国人向けの日本語教育ではどうだろう。やっぱり「ら抜き言葉」は間違いです、と教えているケースが多いんだろうか。
こんなにも街には「ら抜き言葉」があふれているというのに。
もう一度、話題にあげて、明確に定義することってできないのかなー。なんて。
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