
食物アレルギーを克服した我が子の体験記
平成10年、私は長男を出産した。
私自身、幼い頃から重い喘息を患い、小学校1年から5年まで入院生活を送っていた。退院後も発作に苦しみ続けた日々。母は仕事を優先する人で、私が発作を起こすたびに怒られた。苦しさと母に迷惑をかける悲しさで、身も心も辛かったことを今でも思い出す。
だからこそ、自分の子どもには同じ思いをさせたくなかった。妊娠中は運動や食事に気を配り、医師からも「優良妊婦」と褒められた。
しかし、息子が1歳のとき、アレルギーを発症。最初はじんましん、次に喘息。幼い子が苦しむ姿を見るのは本当に辛かった。看病で一睡もできず、入院となると病院でようやく安心して眠れたのを覚えている。
「なんとか治したい。できることなら代わってあげたい。」
そんな思いの中、ご近所の方から有名な先生を紹介された。とても厳しい先生で、何度も怒鳴られ、落ち込む日もあった。でも、息子を治すために必死だった。
アレルギー検査の結果を見た先生は、「卵や乳製品を一切取らないように」と指導。そこから、徹底した食事管理が始まった。
私も息子と同じ食事を摂り、夫には通常の食事を用意。月1回の受診で症状の改善が見られず、先生から「家で卵料理を作っていませんか?おやつの成分をきちんと見ていますか?」と問われた。その上で、食品添加物を使わないお店も紹介された。
今ではアレルギー対応食品も増えたが、当時はまだまだ需要がなく、無添加の出汁ひとつとっても高額だった。私自身、喘息の治療薬を服用していたため母乳があげられず、粉ミルクもアレルギー対応のものに変更。
とにかく徹底的にアレルゲンを排除。食品の成分表をくまなくチェックし、できるだけ手作りの食事を用意。クリスマスや誕生日もケーキなし。周囲からは「過保護すぎる」「少しくらい食べさせて体に慣れさせた方がいい」「子どもがかわいそう」「そこまでする必要ある?」と言われることばかりだった。
今ではそんなことを言う人はいない。そばアレルギーの子に「そばを食べさせろ」なんて言う世の中じゃなくなったこと、本当に良かったと思う。
夫はフレンチのコックだったため、帰宅後はすぐにお風呂に入り、洗濯物も別にした。家族全員で心を鬼にして、耐え続けた。
その結果——
息子は4歳で見事に食物アレルギーを克服。喘息も治った。
元気に走り回り、好きなスポーツを楽しみ、何でも食べられるように。
ある日、「小さい頃、たくさん我慢させてごめんね。辛かったでしょう?」と聞いたら、
「え?そうだったの??」
と驚いていた。あまりにも小さすぎて記憶にないらしい。私の中では大変だった日々も、息子にとっては何も覚えていない時間だった。それが救いだった。
そんな息子も今では立派なパパ。
人生って、あっという間。離れて暮らし会うこともないけれど、今の幸せをかみしめながら、あの時の選択は間違っていなかったと心から思う。
そして、現在
四毒を知り、本当のことを痛感する毎日である。
ちょっとずつやめる、すこしならいいでしょ
分かるけど、それでは絶対良くならない。