自信の作り方
電車に乗ると嫌でも広告を見る。
べつに嫌ではないけれども、手持ち無沙汰な電車の中での広告は効果的だと思う。
もしこれが、無機質で、なんの変化もないのだとしたら、それこそ通勤時間は地獄だ。
こうしたちょっとした日常の変化は人間の精神をさり気なく癒やしてくれているのかもしれない。
「自信の作り方」という本の広告。
正しくこのタイトルこそ「自信」に満ち溢れているわけだが、
編集部の方で、このタイトルが売れると思われていることからも、現代日本人は自信のない人が多いのかもしれない。
しかし、持論を述べるとすれば、
自信なんてものはなくて当然なのである。
要はどうなるかわからないという不安が自信を喪失させる。
「私は自信がない」というのは、
「未来予知ができないから不安だ」と言っているようなものだ。
つまり「誰も未来予知はできないのだから、自信がなくて当然」なのだ。
明日のプレゼンはうまくいくだろうか?
また次のデートを誘ったらオッケーがでるだろうか?
明日の試合に勝てるだろうか?
こうした不安が人間を突き動かす。
失敗をしたくないから資料を見返す。
またデートをしたいからまめに連絡をする。
負けたくないから苦手な部分を意識して練習をする。
不安はあって当然で、自信はなくて当然なのだ。
だから作るしかない。
完成はしなくても積み上げていくほかない。
今日のプレゼンは失敗した。次のプレゼンではもっとこうしよう。 そうして準備をする。これだけ準備をした。前回よりも上手くいく気がする。
これが自信だ。 なんの根拠もない。けれども、そうさせる経験がたしかに存在する。
次のデートに誘ったけれど断られた。前回のデートの何が悪かったのかを考える。失敗に気がつく。次はこの点に気をつけよう。 それでつぎのデートでその課題点をクリアできたなら、自信に繋がるかもしれない。
試合の中で苦手な相手がいる。でも対策をしてきた。結果、勝利ができた。あの練習は間違ってなかった。 これが自信に繫がる。
どれもこれもどうなるかわからないという不安から始まっている。
「明日のプレゼンは必ず成功する」
そういわれて何も準備しなかったらどうなるだろうか?
失敗するのが目に見えるだろう。
自信というのは挑戦のなかにある。
「自信がない」と言って何もしない人は、一生自信なんかつかない。
自信というのは失敗する度胸がある人間についてくる。
この本を読んだわけでもないが、私はそう思う。