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現状報告その1

おはようございます。ペンギンと落語が大好き魚亭ペン太でございます。

あまり詮索をされたくはないという気恥ずかしさからぼやけた表現が多いですが、そのうちはっきりと答えられるようになれたらと思います。文字通りの日記兼備忘録、現状報告、心境整理。名目の多い記事になります。

まず今日は新しい勤務地への研修を兼ねた出勤。

これを出勤と申していいのか、疑問に残るところですが「なにか不安があれば教えるから遠慮なく来てよ」そうおっしゃっていただいたのは誠にありがたい限りです。

なので少し時間に余裕を持って電車で移動。今まで自転車通勤だったことを思うと電車というのはなかなかに窮屈なもので。でも本を読む時間が取れるのは嬉しいところです。いまでは落語の本を読んでいます。とくに長屋の話をまとめたものです。この前読み上げた「長屋の花見」はそこから引用しています。次は「井戸の茶碗」どんどん噺を覚えていきたいと思います。

そうして電車に揺られること数十分、勤務地近くのカフェで時間を潰すことにする。つぎは純喫茶のご主人と仲良くなるのを目標の一つにしていきたい。こんなご時世ですが行きつけの店を持つのはお店的にも、自身の精神的にもwin-winなのではないでしょうか。

しかしコーヒー一杯はいい値段。節制を心がけるべきなのですが、この不安を拭うには甘いものとコーヒーが欠かせないのではないかと自身に言い聞かせています。

「飯を食わないと頭の回転が悪くなる。なぜなら……」なんて先輩が口酸っぱく言っていたのを思い出す。迷惑をかけてばかりだが今後も付き合いが続くことを考えれば、自分の目標を叶えるという形でその期待には応えたい。

それにしたってよく叱られたもので。そんな言い方はないだろうとムッとしたこともありましたが、それも含めて上手に感情を扱っていくことは今後も必要なことなのですね。それに嫌なことも寝たら忘れることができるし、寝てだめなら動くこと(逃げるではない)誰かに愚痴ること、息抜きをすることの大切さを学んだような気がします。けちんぼや聖人になるには神経を酷使する覚悟が必要ですね。

「どうせ怒られるなら」どこかおかしな言い回しですが、挑戦して怒られたい。何が言いたいかというと、何もしないで怒られるのと、何かをしたことで怒られたのでは意味合いが変わってきますね。

挑戦の失敗はタイミングの違いとか余計なお世話とか、相手の顔色、機嫌、周囲の状況で変わってくる。人それぞれ個性という名の良し悪しは必ずある。それを見極めるのも人の世で生きる技量なのだと。まず自分の感情は置いておく(殺すわけではなく演じるのだ)ことにする。

何もしないで怒られるのは、何も考えていないと思われるからよくない。

もちろん余計なことをするなと怒られる可能性もあるが、だとしたら少しでもなにかしようとしている意思を示すためにも、どんどん声をかけていきたい。話し合いは大切です

新しい環境に慣れてきたら、コーヒー豆を買うお店を探しつつコーヒーミルでも買って……なんて妄想をしている。それくらい心に余裕を持たせるのが直近の目標です。

そして、次へ進む不安を取り払うにはどうしたらいいか。

様々な答えがあるでしょうが、一つの方法として思い浮かんだのはどんどん新しいことを考えること、挑戦することだと私は思う。つまり学び続けること

今いる環境も目標のための一時的な停留地であって、永遠にいることはないのだと言い聞かせている。だからといっていい加減に過ごすつもりはない。

いい結果を残せた場所と残せなかった場所、職場に関わらず人間関係の発生する所で様々な組み合わせにこれからも出会うことになる。それを考えたら一度失敗した場所をいつまでも悔やむこともない。次の場所がある。と少しでも気持ちに余裕を持たせてあげるべきではないかとかんがえています。もちろん次の場所に移るからには前回よりもいい結果を目指していきたい。

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ですます調を統一させなければと考えて書いてみたのですが、すこし勉強不足なようで、書いていく勢いがましていくほどに口調が変わってしまう始末。

新しい発見と感じたものをこと細かく記していけたらと思います。

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美味しいご飯を食べます。