創作小噺「嘘も真」
「八つぁんね、世の中に疎くちゃいけないよ、時事に詳しくないと」
「なにいってんだ。うちのじじいは酒と女が好きだ」
「お前の爺さんの好みなんか聞いちゃいないよ。記事だよ」
「キジ?ありゃ鍋にすると旨い」
「わからないかな、ニュースだよ」
「嵐なら知ってる」
「ジャニーズじゃないよ。お前ね、世の中のことを知らなくちゃいけないよ」
「よのなか……大家さんをレントゲン」
「馬鹿なことは…、例えばだよ、噂話」
「あぁ、噂話が世の中か、どちらかといえば井の中だと思うが」
「たしかにそうかもしれないが、最近物価が上がっただろう、この長屋でもどうにかしようというわけだ。このままじゃこっちまで音があがっちまう」
「それならちょうどいい、値が上がったら質屋に入れてやる」
「わからないかね、店賃の催促だよ」
「そりゃ随分と急すぎやしませんか」
「なにをいってんだ、もう半年も前から溜め込んでるだろう」
「噂で聞いたんだ。店賃を一年貯めると利子がつくって」
「おまえに利子がつくんだよ。まぁ、そうだろうとは思ってたからね、お前さんに一つ頼み事があるんだよ」
「なんです」
「長屋の連中に店賃を払ったと言ってくれ」
「大家さんが大家さんに店賃を払ったのかい? いくら長屋の連中が払わないからって、大家ごっこはどうなのかね」
「そうじゃない、おまえさんが私に払ったことにして、他の人達に家賃を払うように促すんだよ」「なんだってそんなまどろっこしいことをするんで」
「私がどんなに工夫をしたって、お前たちが店賃を払った試しがないからね、なりふりかまってられないんだよ」
「どうりでみすぼらしい」
「お前たちのせいだよ。とにかく、誰か一人でも払ったといえば、お前たちは見栄っ張りの集まりなんだから、揃って店賃を払いに来る。こういうわけだよ」
「はー、なるほどね、じゃあ、あっしは半月分どっさり払ったと」
「半年だよ」
「そりゃいくらなんでも無理がありますよ。できやしないことをしたつもりになるなんてのは……、まぁいいや、やってくれば店賃を払わなくて済むんだ。やりましょう。じゃあ大家さん、そこんところよろしく頼みますよ。さてと、誰から捕まえようか、あぁ、丁度いいところに、おーい、留、景気はどうだい」
「そいつはありがてぇ、紅茶でも淹れよう」
「手土産なんざないよ」
「なんだい、しみったれ」
「ところでお前、あれ支払ったか」
「あー、あれかい?払ってないよ」
「おいおい、払わなくっちゃいけないよ。俺だって払ったんだ」
「えっ? お前払ったのかい?この間の寄席の木戸銭。あんまり顔付けがくだらないからお前のツケにしといたよ」
「なに? 通りでおかしいと思ったんだ。あんまり高いから二人分笑ってやったよ。そしたら演者からご祝儀もらった」
「なんだよ、得してるじゃねぇか」
「そうじゃねぇんだ、店賃を払ったかってんだ」
「店賃?おい、いつからお前は大家になったんだ。お前は店子だろう? 俺たちは兄弟みたいなもんなんだ、助け合いが必要だ、そうだろう。それで、なんだってそんなことを聞くんだ」
「いやな、ほら、色々と上ってるだろう。で、店賃が払えなくて大変だろう」
「まぁそうだな、うだつが上がらない。」
「そうじゃなくて物価」
「仏花?墓参りでも行くのかい」
「そうじゃないんだよ。物の値段が上がると大家も音を上げるそうだから、家賃をどんと払ってやった」
「なに? このっ裏切り者! 長屋の中でそんなのが出てきたら周りの連中も払わないとバツが悪いだろうよ。で、お前はいくつ払ったんだ」
「半年どっさり」
「半年どっさりだぁ、おまえなんてことを、そこは一つずつ払えばそれでいいんだ。払う気があると思わせとけば店立てされないんだから。じゃあいいよ、おれも半年ちんまり出そうじゃねえか」
「なんだい、ちんまりってのは」
「だしたかないんだよ。そしたらお前の相手をしている暇はない。俺だけ払うんじゃつまらねぇ、他の奴らにも同じくだ」
「あ、おいおいおい、飛び出していくやつがあるかよ。これじゃあどっちが大家だかわからないや。
でもしかし、大家の言うとおりだ、これでみんな店賃を払う。そうなりゃ俺は払ったことになる。下手すりゃ大家がご祝儀くれるかもしれん。
おっ、次の獲物だ。おい、松こう。お前、アレ払ったか」
「あぁ、そうだよ、思い出した。お前と行った店、この間大将にばったり会った。そしたらダチなら代わりに払えってんでお前の分立て替えてやったんだ。今すぐ出せ」
「こりゃまいったね、まぁ、いいや、店賃だと思えば」
「なんだい?」
「いや、こっちの話」
「いやいや、聞き捨てならないね、店賃って言ったな、そいつは俺たちが一番聞きたかない言葉だ。で、なんだい」
「聞きたがってるじゃねぇか、まぁ、大家が上がっちまうってから店賃を払ってやったんだ」
「この、馬鹿野郎。なんだって店賃を払うんだよ。俺まで払わなくちゃいけねぇじゃねぇか。
俺だけ払うんじゃ気がすまねぇや、他にも伝えなくちゃいけねぇや」
「あらー、こりゃすげぇや、みんなして店賃払いにいくよ。大家の様子を」
「おお、八つぁんじゃないか。お前さんにはお礼が言いたかったんだ。まぁ、おあがりよ」
「大家さん、馬鹿に機嫌がいいですね。その様子じゃ他の連中も店賃置いていきましたか」
「あぁ、お前さんのお陰でな」
「じゃあ、大家さん、いただけますか」
「何を言ってるんだい、いただくのは私だよ」
「大家さんも一緒に?」
「八つぁん、あと店賃を払ってないのはおまえさんだけだ」
「いやいや、大家さん、バカを言っちゃいけませんよ、大家さんの口車に乗ったら払ったことにしてくれるって」
「払わないなら別にそれでもいいが、お前さんだけ払わなかったと長屋の連中に話したらどうなるだろうね」
「まさか大家さん、脅そうってんですか。そりゃないよ、トホホ。じゃあ、払いますよ、払えばいいんでしょう。一月どっさり」
「あぁ、少しでも出してくれりゃあ助かるよ。そしたらね、これでお前さんが払ったって言いふらしてくるよ。これで見栄っ張りの長屋中から店賃が入ってくるよ」
「まさか大家さん、嘘ついたんですか」
「いいや、いま真実になった」
ここから先は
¥ 300
美味しいご飯を食べます。