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短編『何も気にならなくなる薬』その32
打順。
これはとても大事だと思う今日このごろ。
とりわけ野球がいい例だが、
会社などでも発表とかプレゼンもそれに当てはまる。
何番目に立てるかで空気感が全く違う。
トップバッターは何も気にせず思い切って行ける反面、前がいないから情報のアドがない。
二番手は初手次第でやりやすくなったり、やりにくくなったりする。
そこに乗っかったり、流れを変える技量も必要になる。
最後に上がる人も締めくくるだけの技量がないと全体がダレてしまう。
結局どこも大変だが、場所ごとにやり方が全く違う。
年数や立場が変わると入れない順番も出てくる。
若い頃、トップバッターが得意だったが、部署のトップになったがために締めくくりを任されることもありえる。
今の自分は年齢に見合った打席に立てているだろうか?
考えてしまう。
どことなく世の中が回復していると私は思う。
それが証拠に、飲食店は賑わいを取り戻しつつある。
全盛期に比べたら……それを言ってしまえばどうしょうもないが、ここから上がっていくことだけを考えれば少しは気持ちが楽だろう。
これを期に少しいい外食にでもいこうかと、考えてはみるが、私の懐事情は対して変わらない。牛丼にトッピングができるくらいには頑張りたい。
人が職場を離れる。
組織から離れる人は奇異の目で見られる。
なにせ自分たちのいる場所が一番いいと思っているからだ。
村社会に似ている。
「こんなに居心地のいい村なのに」
誰かはいう。
反対に
「こんな田舎じゃ私は成長できない」
どちらも間違ってはいない。
仕事を辞める、組織を抜ける。
並大抵の労力ではない。
だからこそ簡単に「辞めればいい」と言ったり、転職を勧めたりするのは無責任な気もする。
だが、人間関係で疲弊している人は、すぐにその組織を離れるべきだ。その苦労に見合うだけの見返りや目的があれば頑張れるのであろうが、
それがなく「ただ生活のため」なのであれば、心をすり減らしてまで続けることなのだろうか。
大なり小なり、生き様はいくらでもある。
現に道行く人が色々な仕事をしているではないか。
人間性がだめなら改善が必要だが、誰しもが得手不得手がある。
周りにどう言われようが、嘘でも得意だと思える場所を探すのもありではないか。
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