その魔女は、製作の駒となるか(水星の魔女18話感想)

5月21日。シーズン2が始まって早一か月。
一応区切りとなるようなタイミングで総集編が挟み、第十八話「空っぽの私たち」が放送された。


急かす物語

シーズン2開始以降、物語の核心へと続く流れが徐々に強くなっていると感じる一方で、既に2クールで終わることが宣言されているからか、
物語の駆け足度合いがものすごいことになっている
グエルの地球での出来事はたった一話で終わらせるし、今回も前回のミオリネの一方的な絶交宣言に特に不服を唱えることも抗議することもなく、仕方なく受け入れているスレッタ開始早々描かれた。

シーズン2が始まって以降の「水星の魔女」は、どこか忙しない。
第十四話ではエンディングの演出が従来とは違う形で演出されており、これはシーズン1で噂された製作進行の後れからなるものである可能性もある。
(つまりシーズン1は本来第十四話の内容までやるつもりだった可能性)
実際のところはどうだったのかはわからないが、グエルの地球での出来事とそこからの決心という場面は明らかに描写が足りていないし、軌道エレベータ関連の描写も省かれた。
オルコットの交流から、アーシアンとスペーシアン双方の言い分というものにグエル自身が考えるような描写もなかった(これ結構大事だと思うんだが)。

シーズン1で第十二話の伏線としても機能したミオリネとスレッタのすれ違いとは程遠い、あまり時間を割かない簡単な描写で済ましているきらいがあり、
それ故に、主人公であるスレッタがいまのところ一方的な被害者のまま物語が進行してしまっている



クリフハンガー

「水星の魔女」がここまで話題になった要素のひとつに、このクリフハンガーがある。
これは映画やドラマ、特に話数が多くなるドラマによく言われている物語が一番盛り上がるところで終わる展開のことを意味する。

この作品は最初からこの要素が強い。
第一話の時点で「水星ってお堅いのね」という台詞が話題になったように、スレッタとミオリネのまさかの婚約を示唆されたところで終わり、
第二話ではミオリネの「決闘!するわよ!」で終わる。
第三話ではグエルの「結婚してくれ」という言葉で終わり、
第五話ではエランによるエアリアルを掛けた戦いの宣言で終わる。

第四話のチュチュが活躍した回や、第九話のシャディクとミオリネの関係性をトマトで表現して見せた回など、全話がそうなっているとは言わないが、
大半の場合はこの先行きを期待させる展開で終わらせる傾向が強い。

それは別に悪いことではない。
作品を盛り上がるための手段として、この作品は上手いことコントロールし、そのおかげで今の話題性を獲得しているのは言うまでもない。
しかしながら過剰な盛り上げというのも少々考えようであるのも確かだ



駒に成り下がるスレッタ

クリフハンガー方式で顕著だったのは、第三話のグエルの告白と第十七話のミオリネの絶交シーンだ。

第三話の終わりで結婚をスレッタに申し込んだグエルだが、それ以降の物語でグエルがスレッタに明確な恋心を抱くような要素が描かれていない。
第十七話でようやくミオリネの口からやグエル本人から恋愛要素が語られたが、第十二話の段階ではグエルはスレッタのことを「俺はあいつに…スレッタ・マーキュリーに進めていない!」と語っているとおり、
グエルが告白した結婚というのは、恋愛という意味合いではなく、MS乗りとして憧れと、彼の父親譲りの女性観(第一話におけるトロフィー発言)からきたものである可能性が高く、
メインの物語にグエルがスレッタに向けた恋愛感情から生まれる人間関係という部分は物語上一切作用していない
更に第十八話ではミオリネとグエルが婚約関係となっているため、現段階では余計に意味の無い描写となっていると言わざる得ないのが現状だ。

第十七話のラストのミオリネからの絶交を言い渡すシーンも違和感がある。
まず彼女が直々にスレッタに言い渡す必要はないうえ、第十話での社長業に勤しむミオリネが自然とスレッタと疎遠になっていった描写があったにも関わらず、わざわざ試合会場にまで出向いてコックピット開けて言い渡す演出は作為的過ぎる
おまけにスレッタからもらった人形の「クールさん」をわざわざ本人に返却するというのは、初見時「いや、それは別に持っててもいいだろ」とツッコんだ。
ラストカットにおける損壊したエアリアルが跪いてミオリネの「水星のお上りさん」と言い放つ、第一話と重なるようにしているところからしても、第十七話は色々と無理矢理な描写が多すぎる

こうした演出によって浮き彫りになっていくのが、主人公スレッタの過剰なまでの被害者っぷりだ
そもそもこの作品の最初から主人公のスレッタは大人達に利用される存在として受け手側で在り続けていたため、スレッタ自身が自己を表明することができないことを物語の核としている。
しかしながら、20話近く物語を進めた現状、スレッタの不幸は上記のような過剰なクリフハンガー要素によって形成されたものであり、
この作品の物語における必然性からなったものとは遠い

ミオリネは別にあそこまで明確に突き放す必要もないし、
今回のプロスペラの態度も明らかに正しいとは言えない。
巷で言われているように説明しない者達が多すぎるというのは、キャラクターの特徴というよりも、製作の盛り上げを演出するためにわざとそうしているというように見える。

製作の都合によって過度に不幸を背負わされるスレッタ。



懸念される物語の着地点

今回の第十八話で少し恐れていることがある。
それはプロスペラによる洗脳についてを今後どう描くのかという点だ

第十八話でそれまで復讐鬼として娘のスレッタすら利用していたと思われていたプロスペラだが、その実はスレッタを想ってのことでもあるというのが描かれた。
Twtterではプロスペラの娘に対する愛情を感じたものとして感動したという感想が飛び交っているが、
第十八話まで進んでも尚、娘スレッタに対してあまりにも説明不足過ぎることと都合が良すぎる展開に、近年稀に見る最低最悪の毒親だなという感想を抱いた

恐らく今後はこのプロスペラに対して手痛いしっぺ返しがあるだろうが、
ここまでのこの作品のクリフハンガー要素の強調とビジネス的な戦略(SNS等の多くの人に観てもらうための工夫)からすると、
彼女の描写を家族愛、あるいは親子愛で片づけてしまう可能性があるというのが拭いきれない
人殺しまでさせ、自らの計画のために兵器に乗せ、あまつさえ皆のためということで戦場にまで笑顔で送り出したプロスペラという母親を、
物語の中で「愛があるのならば許される」という演出は、反吐が出るほど嘘臭く陳腐になるからだ。
それがビジネスとして視聴者に媚を売った結果となれば、第十二話における戦争における人殺しの問題も、ただのファッションだったということになってしまう。

・・・恐らくそこまで酷いことにはならないだろうが、
現状、残り話数の都合やクリフハンガー要素によって、今後この作品が危うい方向に進む可能性があることが否定できない状況と言わざる得ない。

残り6話。
果たして・・・。

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