クリエイターは他クリエイターに対して嫉妬したりするのは当たり前。そこには攻撃性がある。 京アニ事件の犯人もまた、嫉妬を動機の一部としていたことに、クリエイター達は彼を全て否定は出来なかったに違いない。己にも秘めているのだから。 藤野も最初は虚栄心と嫉妬からだった。
プレイヤーが任意で自らのキャラクターに能力値の個性を与えることが出来るシステムを採用しながら、あらゆる手段で困難を突破しなければならない高難易度の極地を目指すことは、システムそのものを否定していることと同じ。 デモンズソウルの時からその矛盾を抱えている。
死にゲーという言葉が浸透して15年あまり、他社作品がこぞってそれらに乗っかろうとしないのは、作品を遊んでもらうという部分でリスキーだからであって、フロムソフトウェアにしか出来ない難易度感覚というわけでは無い。