アーマード・コアの新作の是非
7月10日は初代アーマードコア発売の日。
早いものでフロムソフトウェアの看板タイトルだった「アーマード・コア」の新作が停滞して8年になる。
シリーズの歴史においてもここまで期間が開いているのは前代未聞で、次点でACfA(2008)からACV(2012)の4年間。現在絶賛記録更新中である。
いまやSNSでもネタに扱われる「アーマード・コアの新作が出る」や
「身体は闘争を求める」といったクソつまらないものを生み出すほどにまでになったのは、現フロムソフトウェア社長の宮崎英高さんが生み出した「ダークソウル」のおかげなのは間違いない。それは喜ばしいことであると、フロムソフトウェアファン歴20年の自分は思う。
自分が何故SNSでこのネタが嫌いなのかはPixivの大百科を読めば一目瞭然。「お前らプレイしたことないだろ」。
アーマード・コアとの出会いと感想
フロムソフトウェアのゲームを知ったのはアーマード・コアから。当時はPlayStation2になって初めてのシリーズ「アーマード・コア2」だった。
もともとは友人の兄がフロムソフトウェアファンで、片っ端から当時のフロムソフトウェアのゲームを購入していた。自分の家では小遣いという概念が存在せず、手持ちのお金は正月に貰えるお年玉ぐらい。
なのでアーマード・コアを全シリーズ新品で買うことは出来ず、中古で安くなってから購入していた。
ここまで書くとなんとなく察しがつくかもしれないが、このシリーズは値崩れが比較的早いシリーズである。
「何億通りの組み合わせパターンから自分だけのオリジナル機体を作り出せ!」の触れ込みで発売されてきたシリーズだが、使える機体のパターンは数億分の数十パターンだけというのが毎回の恒例。それ以外はまともに動けないようなものから戦闘に絶対に適さないものという体たらく。
正直に言うとクソゲーに片足突っ込んだシリーズ。
誇大広告とCGクリエイターたちによる気合の入ったオープニングムービーと、右も左もわからない冒険心からくる世界観の魅力によって保たれたゲームといってもおかしくなく、
その二つが存在しない「アーマード・コア ナインブレイカー」は、めでたくクソゲーの仲間入りを果たしてしまった。
確定しない”アーマード・コアらしさ”
それともうひとつ、このシリーズを象徴するものとしては、作品によってプレイングがガラリと変わっている点。
これまでに14作品(+派生作品)出ているが、少なくとも大変革と言えるゲームプレイ上のシステムの変化が3回(or2回)ほど起きており、細かい部分ではもっと多い。
ゲームプレイでのアーマード・コアたらしめる部分は、開発であるフロムソフトウェア自身もそれほど拘りを持っていない。
ハイスピードメカアクションがアーマードコアの確固たる特徴ではなく、いかような形態のゲームプレイになっても、カスタマイズ要素等の従来要素を保持していればそれは「アーマード・コア」だと言えてしまう。
長年続いてりゃシステムも変更するのは当たり前と言えば当たり前なのだが、ことアクションゲームかつロボゲーという括りの中だと、ゲームプレイングによる個性は一際大事なもの。
それがアーマードコアでは比較的緩いため、今後アーマードコアがどういった方向性に向かうのかはまったくもって誰にもわからないのである。
2019年に発売されたSwitchの「デモンエクマキナ」。
アーマード・コアそのものだとも言われてるほど設定やシステム等が似ているこの作品だが、今後この方向性のアーマードコア新作が出てきてもおかしくない。
いかなる方向性にも傾けることが出来るゲームが、アーマード・コアの特徴だと言ってもいい。
そもそもこの作品のプロデューサが、「アーマード・コア3サイレントライン」まで携わってきた佃健一郎さんという最もアーマード・コアにゆかりが深い人物の一人によるものなので、似るのは至極当然とも言える。
今のフロムには作れない?
ただ、気になる点もある。
ロボゲーはある種のキャラゲーでもあるため、そのデザインやビジュアルといったゲームプレイ部分とは関係の無い部分の比重も大きい。
その点で言うと、今のフロムソフトウェアがアーマード・コアの新作を出されてもガッカリするだけのものになる可能性もある。
待ちに待ったフロムソフトウェアの新作「エルデンリング」のこの映像を見た第一印象はこうだった。
「え?次世代機発売されたのにこのグラフィックなの?」
元々エルデンリングはPlayStation5やXboxSeriesXといった次世代機の表記が長らく記載されていなかった。
なのでそもそもエルデンリングは次世代機が発売される前の去年のうちに発売するスケジュールだった可能性があり、
しかしコロナや、開発の難航(特に今回はフロムソフトウェアとしては大規模なものになると言っているので)によって、結果的に次世代機が発売された後の来年初頭に延びざる得なかったと考えられる。
ただし新作にあたるコレが、いわゆる技術的に挑戦的なものというよりかは既存の技術と挑戦のバランスを考慮したものとして生み出された印象が強いため、
現状フロムソフトウェアにはビジュアル面でのノウハウが蓄積されていないように見える。
下世話な勘繰りと言ってしまえばそれまでだけれども、今の時代アンリアルエンジン等が一般のユーザーも扱えるようになって、小規模なグループでも高クオリティなビジュアルを実現できるようになっている。
ゲームそのものの出来不出来等を考えればインディーと比べられるものではないが、ビジュアルにおいてはそうもいかない。
アーマード・コアというビジュアルも重要なゲームがインディーと比べられて劣るような印象を持たれるのはもってのほか・・・というのはゲーム会社としては当然だろうし、
ましてやプリレンダムービーを売りにするなんてこともなかなか今の時代洒落にはならない。
今後フロムソフトウェアがビジュアルにも力を入れ始めない限り、
アーマード・コアはシリーズ的にも商業的にも成功するものにはなり難い。
傭兵なりきりゲームとして
もうひとつは、ゲームの内容そのものについて。
アーマード・コアというゲームは全作品通してメカカスタマイズアクション(例外在り)という括りで語られることが多いが、
同時に一人の傭兵としての活動を体験するシミュレーション要素が多く含まれている。
特にPlayStation2時代までのシリーズには、メニュー画面が傭兵斡旋会社から提供されたシステムという形で組み込まれており、
初代三部作には「レイヴンズネスト」
アーマード・コア2からは「ナーヴスコンコード」
アーマード・コア3からは「グローバルコーテックス」
アーマード・コアネクサスは「レイヴンズアーク」
といったぐあいに、ロゴデザインやUIにも力が入っている。
こういった世界観を重視した手法から感じるのは、アーマード・コアシリーズはその世界で生きるロールプレイング要素を重視したつくりになっているということ。
これが後年になると単純なメニュー画面のようなものへとなり、設定は存在するものの、プレイヤーがそれを感じ取れるほどの実感性が失われている。
ファンの間でよく聞くのがメール機能の復活だ。これも後年には廃止されたもの。
ゲームを進めていくと、出会った人物、あるいは雇われた企業からメールが届く。
謝礼だったり罵倒だったりと様々な内容が書かれており、送信者の人格が垣間見えてその世界に生きる人々の実感が沸くようになっている。
こういうのはむしろ今はダークソウルやブラッドボーンといった宮崎英高作品に通じる部分がある。
確かに2008年に発売された「アーマード・コア フォーアンサー」では、作戦開始前のブリーフィング映像がシリーズ随一と言ってもいいぐらい出来がよくて素晴らしいのだが、それ以外の部分では旧作に存在していたものが撤廃されてしまっており、ロールプレイングという意味での要素は薄まってしまっているのが実情。
シリーズ根幹に関わる要素の再定義
カスタマイズとアクション性を兼ね備えたゲームとしては破格のボリュームを持つシリーズだが、
実際のところ膨大な量のパーツ数とパラメータ数に開発であるフロムソフトウェア自体が手に負えていない状態で、対戦シーンにおいては正直なところ滅茶苦茶である。
カスタマイズが売りなのに、そのカスタマイズ性を亡き者にするかの如くカテゴリ内で一強のパーツというのが通例となっており、自分だけのオリジナル機体という触れ込みが機能しているとは言い難い。
(これに関してはカスタマイズ要素含まれる対戦ゲーム全てに言えることだが)
かたやこのパーツバランスというのはシングルプレイ時の敵の強さ等にも影響されるため、シングルプレイとマルチプレイとでパーツバランスは大きく違ってくる。
オンラインでのマルチプレイが導入された「アーマード・コア4」からは、明確にストーリー用のパーツバランスという触れ込みのレギュレーションが設けられており、
シングルかマルチかのどちらかを重視するかで、ゲームの面白さが左右されてしまうのがある意味重荷になっていると言っても過言ではない。
現時点での最新作にあたる「アーマード・コアV」はこの問題を解決しようとしたのか、攻撃と防御にKE、CE、TEという3つの属性を組み込ませたことで、シングルプレイ時における柔軟なカスタマイズ要素とマルチプレイ時の役割分担という新たな要素を打ち出してきたが、上手く行かなかった。
それに関してはフロムソフトウェアという会社の規模などが如実に表出した形とも言え、オンライン技術やオンラインゲームのシステムなどが未成熟だったことが災いし、軽い炎上騒ぎにまで発展した。
これは何もアーマード・コアに限った話ではなく、同じ時期に発売されたあのダークソウルも、オンライン時に重大な欠陥を持ったまま発売されており、共に大やけどを負った。
(それが結果的にダークソウルのみが生き残ったということが皮肉的・・・)
アーマード・コアシリーズは常に大なり小なりの紆余曲折を経験している。
もし仮に新作が出たとして、従来通りのものが世に出たとしても、
過去のマイナーチェンジなものになりかねない。
シングルプレイとマルチプレイの関係性やビジュアル面といった技術的な問題などなど、
それらが今後のフロムソフトウェアの動向で示唆されない限り、
俺たち地球人、火星人、地底人、リンクス、傭兵、
あるいは新たな黒い鳥が飛び立つことはない。