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学校通い

4月から学校通いが始まりました。

と言っても、「習う」方ではなく、「教える」方なので、自分の人生にとっては初の経験です。

4月、5月は週に1回、登校しているだけですが6月からはもっと行くことになる予定です。

学校といっても、生徒さんは社会人の方なので、「学生」というより「受講生」という方がイメージに合っています。

そういう方々なのでバックグラウンドも様々で、私より、ある専門領域では詳しい知識と経験をお持ちなので、こちらも「知ったかぶり」をしないように気をつけなくてはいけません。

しかし、何よりそんな方々と繋がりができることは、この学校の最大の面白みでもあると思っています。

それが、この仕事をやらせてもらうことにした大きな理由でもあります。

某牛丼チェーンの役員の暴言問題で話題になったのも社会人向けの大学講座でしたが、社会人の学び直しの機会というのは、最近、益々増えています。

少子化における大学の収入減の対応策や高齢化による労働力の先細りや年金受給の先延ばしの状況でも、長く働いてもらうための学び直しという一面もあると思われます。

社会人向け授業と言っても、単発の講座的なものから、大学院の博士号が取れるまで、種類は様々です。

私が、やらせてもらうのは後者なので、2年間の受講期間の中で私が受け持つ3科目と1年を通したプロジェクトで、ある程度の期間、受講生と関わることになります。

なので、私個人としても、様々な受講生との出会いも楽しみにしたいと思っています。

私はこの学校業務の他に、ある団体で日本の創造性教育の発展/促進の仕事もさせてもらっています。

これからの時代を生き抜いていく「未来の大人」に対し、特に小学、中学の創造性を高めることに(正確には維持かもしれませんが)注力した活動を推進していこうとしています。

その中で、学校教育の現場でいろいろ奮闘されている方のお話を聞く機会もあります。

そこで感じるのは、「自らの意志で学ぶ」ということの大切さです。

「学ぶ」というのは「教えられる」ではなく、「自分から修得する」ということなのだ。とあらためて認識させられます。

そんな視点から、「先生」はどういうスタンスでいないといけないのか?とかを考えることが多くなりました。

最初は「先生」と呼ばれることが、気恥ずかしくて嫌で嫌でたまりませんでした。でも、ちゃんと自分でそれを自覚しなくてはいけないのかなと思うようになりました。(まだ好きではありませんが、、)

最近は世の中でアートやデザインの効用が話題となっています。

経産省のデザイン経営宣言もそうですが、デザイン思考、アート思考の本が山ほど出版されています。

そして、2020年から新たに施行されている文科省の学習指導要領も大きく変わり、アクティブラーニングや探究という取り組みが謳われるようになり、知識の詰め込み教育からの脱却に向かいたい意志は見えてきています。

しかし、世間や親の気持ちがその動きについていき、その保護下で生活している子どもたちの環境全体が、そういう学びの必要性を感じないと学校や教員だけのがんばりだけでは普及しないと感じています。

「地域社会が一体となった学びのしくみづくり」これは、この先何十年か、あるいは人類が進化するためには未来永劫、求められ続けられることかもしれません。

そんなことに少しでも関われることができれば、私の残りの人生もモチベーションを保ちながら生きていけるかなと思っています。

続くかどうかは、やってみないとわかりませんけどね(冷汗)

まもなく5月の鶯がなく朝に

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Chinpan S

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