古今集巻第二十 神あそびのうた 1083番
かへしもののうた
よみ人しらず
美作やくめのさら山さらさらにわが名はたてじよろづ代までに
これは、水尾の御べの美作国の歌
返し物の歌
詠み人知らず
美作や久米の佐良山、更更に我が名は立てじ万代までに
これは、水尾の御嘗(おほんべ)の美作国の歌
大和琴を呂調から律調に返すときの歌
詠み人知らず
美作(みまさか)の久米の佐良山と言うように、さらさらに我が名を浮き名に立てることはしない、いつまでもずっと
これは、水尾(みづのお)の帝の大嘗祭の時の美作の国の歌
美作国の久米の佐良山は、岡山県久米郡佐良山村(岡山県津市)。
「さらさらに」は、佐良山の「さら」を取って、つなげています。決して〜しない、という意味。
「我が名は立てじ」は、恋の噂など立てはしない、ということです。
「万代(よろづよ)までに」は、一万世代まで、つまりずっと後々まで。最後の「に」は、帰着点を示すような格助詞で、この期間の間は我が名は立てない、ということを表します。
水尾の帝は、清和天皇のこと。京都市右京区嵯峨水尾に御陵があるので、このようにお呼びします。大嘗会が行われたのは 859年だそうです。
清和天皇は、9歳で御即位になり27歳ごろご譲位なさり、その後は嵯峨水尾にお住まいになりました。この山の中の村に寺を建てようとなさいましたが、病気によりお隠れになりました。
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