ちのみゆき

関西在住、奈良・京都・日本とお寺、神社、古墳、遺跡、古典、NMB48が好きな理系。その時々に残したいことを書こうと思います。

ちのみゆき

関西在住、奈良・京都・日本とお寺、神社、古墳、遺跡、古典、NMB48が好きな理系。その時々に残したいことを書こうと思います。

マガジン

  • プログラミングのまとめ

    有用だなと思うプログラミングでの数値計算方法やアルゴリズムなどに関する記事を集めていきます。プログラミング言語は自分で書いたものはExcel VBA、C#、VB.net ですが、それ以外もこだわらずに集めます。

  • 古今集

    古今和歌集のすべての歌を網羅するように追加中です。

最近の記事

古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1038番

題しらず よみ人しらず おもふてふ人の心のくまごとにたちかくれつつ見るよしもがな 思ふてふ人の心の隈ごとに立ち隠れつつ見る由もがな 私のことを想うと言う人の心の隅のあちこちに、立ち隠れながら本当のことを見る方法があればいいのになあ 言い寄ってくる男性の本心が見えればいいのになぁと考えた女性の歌なのでしょう。 「くま(隈)」は、もともとは曲がり角や隅っこのことですが、そこから「目立ちにくい場所」を指します。「心の隈」なので、現代的に言えば「心の襞(ひだ)」という感じです。

    • 古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1037番

      題しらず よみ人しらず ことならば思はずとやはいひはてぬなぞ世の中のたまだすきなる 如(こと)ならば思はずとやは言ひ果てぬ、なぞ世の中の玉襷なる どうせ同じことなら思っていないと言い切らないのか、どうして恋の仲は玉襷のように行き違いになるのか 状況がわかりませんが、男が言い寄ったところ、女はぐずぐずしながらはっきりしない態度を取って最後は断って来たのかもしれません。断るのなら始めから好きではありませんと言い切ってくれればいいのに、みたいな歌のようです。男は結論や回答を求

      • 古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1036番

        題しらず ただみね かくれぬのしたよりおふるねぬなはの寝ぬ名はたてじ来るないとひそ 壬生忠岑 隠れ沼(かくれぬ)の下より生ふる根蓴菜(ねぬなは)の寝ぬ名は立てじ来るな厭ひそ 水草に覆われて隠れた沼の底から生えている根蓴菜(ねぬなは)の名前と同じ、共寝もしていないのに噂だけを立てたくはない、私が来ることを厭わないでくれ 「隠れ沼(かくれぬ)」は、水草で隠れている沼。 「ねぬなは」は、根蓴菜(ねぬなわ、じゅんさい)です。食用の水草。 「寝ぬ名」は、一緒に寝てもいないのに立つ

        • 古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1035番

          題しらず みつね 蟬の羽のひとへにうすき夏衣なればよりなむものにやはあらぬ 凡河内躬恒 蝉の羽(は)の単(ひとへ)に薄き夏衣(なつごろも)、なれば寄りなむ物にやはあらぬ 蝉の羽根のような単(ひとえ)の薄い夏の衣は、着馴れるとよれて皺が寄る、私への気持ちが薄いあなたも、私に馴染んでくれば心が寄ってくるのではないだろうか 「なれば」の「なる」は、「馴る、慣る(なる、なれる)」ですが、「萎れる(よれる、よれよれになる)」のような意味を含むそうで、衣がよれることと、気持ちが馴染

        マガジン

        • プログラミングのまとめ
          27本
        • 古今集
          2本

        記事

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1034番

          題しらず きのよしひと 秋の野につまなき鹿の年をへてなぞわがこひのかひよとぞなく 紀淑人 秋の野に妻無き鹿の年を経てなぞ我が恋の「甲斐よ」とぞ鳴く 秋の野で妻がいない鹿はもう何年も続けて、どうして我が恋は相手を想う「想い甲斐(がない)」と鳴いている 「かひよ」は、鹿の鳴き声で、それを「恋する甲斐はどこにあるんだ、ないぞ」と鳴いていると解釈しています。実際に鹿の鳴き声が聞こえているのか、秋山の鹿を想像して詠んだのかは分かりません。 鹿に託して、自分に妻がいない、恋の相手が

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1034番

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1033番

          題しらず 平貞文 春の野のしげき草葉の妻恋ひにとびたつ雉のほろろとぞなく 春の野に深く茂った草の葉のように、繰り返し何度も繁く妻を恋しく思い、妻を求めて飛び立つ雉(きじ)がほろろと鳴くように、私も妻を恋しく思ってほろほろと泣いている 「草葉が茂る」ことと「繁く思う」ことが掛詞、「雉がほろろと鳴く」ことと「妻を思ってほろほろ泣く」ことが掛詞になっています。 鳴く、泣くの掛詞だけでなく、ほろろ、ほろほろの擬音語を掛けているので、誹諧歌に入れたのだと思います。 雉が、ほろろと鳴

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1033番

          ファイルのタイムスタンプを更新するプログラム

           ネットから画像を取得したり、スマホの写真をクラウド経由でPCに持ってくると、ファイルのタイムスタンプがクリアされていることがあります。プライバシー保護などの観点でのGooglePhotoの仕様かもしれません。しかし、タイムスタンプがないファイルは、PCでの取り扱いが不便です。  そこで、一括でファイルにタイムスタンプを付与するプログラムを作りました。プログラムの内容はいたってシンプルです。Windows用として、VisualStudio2022のC#で作成しました。  使

          ファイルのタイムスタンプを更新するプログラム

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1032番

          題しらず よみ人しらず おもへどもなほうとまれぬ春霞かからぬ山のあらじとおもへば 思へども猶疎まれぬ、春霞掛からぬ山の有らじと思へば 恋しく思うけれども、それでもなお、嫌な気持ちになってしまう、春霞が掛からない山がないように、あの人はあちこちの女のところに通っていると思うので 春霞はどの山にでも掛かることを、恋しい男は今夜もどこかの女の家に通っているのだろうと、その残念な気持を歌っています。 「思へども」の「思ふ」は、「恋しく思う」の意味とするのが普通ですが、「推量す

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1032番

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1031番

          寛平御時きさいの宮の歌合のうた 藤原おきかぜ 春霞たなびく野べのわかなにもなりみてしがな人もつむとや 寛平御時后の宮の歌合の歌 藤原興風 春霞棚引く野辺の若菜にもなり見てしがな人も摘むとや 春霞が棚引く野辺の若菜になってみたいものだ、あの人も摘むというので 恋の相手の女性が摘んでくれるなら、若菜にもなりたい、という歌です。 最後の「とや」は、伝聞「と」に対してちょっと疑問「や」を付けたものなので、「(その話が本当なら)若菜になりたいものだ、あの人が摘んでくれると言うのか

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1031番

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1030番

          題しらず 小野小町 人にあはむつきのなきには思ひおきてむねはしり火に心焼けをり 人に逢はむ付きのなきには思ひ起きて胸走り火に心焼けをり 想う人に逢う為の手掛かりが無いので、想いながら起きていて、胸の中を走る想いの火て心が焼けてている 「つき」は、手掛かり、方法のこと。「つきなし」はなす術がないこと。現代で、上手くいかないことを「ついてない」と言うのとほぼ同じです。 「つきのなきには」は、なす術がないという状態にあるので、ぐらいの意味。 「思ひ起きて〜をり」は、「そういう

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1030番

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1029番

          題しらず きのありとも あひ見まくほしは数なくありながら人につきなみまどひこそすれ 相見まく欲しは数無くありながら人につきなみ惑ひこそすれ 紀有友 逢いたい気持ちは数多くあるけれど、あの人に逢う手がかりがなく心が乱れるものだ、いつも見る星は数多くあるけれど、歩く人には月がなく迷ってしまう 「あひ見まくほし」は、そのまま「逢いたい」と言う意味ですが、「星」と掛詞になっています。 「人につきなみ」は、「人に対して」「付きなし(手立てがない、つきなしの名詞化)」の状態のことで

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1029番

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1028番

          題しらず きのめのと 富士の嶺のならぬおもひに燃えば燃え神だにけたぬむなしけぶりを 富士の嶺の火のように思い通りにならない恋の火に燃えるなら燃えてしまえ、神でさえ消さない虚しい煙になって 「富士の嶺(ふじのね)」は、もちろん富士山です。この時代は噴火したり煙を出していたのでしょう。 「思ひ」の「ひ」は、恋の火との掛詞です。 「けたぬけぶり」は、「消さない煙」、動詞「けつ(消つ)」の未然形「けた」+否定の助動詞「ず」の連体形「ぬ」+「けぶり(煙)」。 神様でさえ、富士山の火

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1028番

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1027番

          題しらず よみ人しらず あしひきの山田のそほづおのれさへ我をほしてふうれはしきこと あしひきの山田のそほづ己さへ我を欲してふ憂はしきこと 美しい山里の田の案山子のような男、お前さえも私を妻に欲しいと言う、嘆かわしいことだ 「そほづ」は、案山子のことです。ここでは田舎者のみすぼらしい男を指しています。 その男までが「我を欲してふ(われをほしちょう)」(私を妻に欲しいと言う)、そんなのは嫌だよと、きつく断っています。 「うれはし」は、「憂はし」、嫌だ、残念だ、嘆かわしいと言

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1027番

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1026番

          題しらず よみ人しらず みみなしの山のくちなしえてしがな思ひの色のしたぞめにせむ 耳成の山の梔子(くちなし)得てしがな、思ひの色の下染めにせむ 耳成山(みみなしやま)の梔子(くちなし)の実がほしいものだ、恋の想ひの火の色の下染めにしたい 耳成山は、大和三山の一つ。「耳なし」と、「口なし」を掛けています。梔子(くちなし)の花は白ですが、その実は染め物に使うと赤黄色に染まるそうです。それを恋の「こ『ひ』」に掛けて、恋の炎の「火の色」の下染めにしたいと言う歌です。 万葉集の中

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1026番

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1025番

          題しらず よみ人しらず ありぬやとこころみがてらあひみねばたはぶれにくきまでぞこひし き 在りぬやと試みがてら逢ひ見ねば戯ぶれにくきまでぞ恋しき 確かに無事でいられるかどうか、試しに逢うのをやめてみたところ、冗談ではないほど、恋しく思った 「ありぬや」は、「あり(存在する)」+「ぬ(確実にそうなる)」+「や(疑問)」で、「確実に生きているか」という意味です。 「あひみねば」は、動詞「逢い見る、相見る(逢って契る)」+打ち消しの助動詞「ず」の已然形「ね」+原因を表す接続助

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1025番

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1024番

          題しらず よみ人しらず こひしきが方も方こそありときけ立てれをれどもなきここちかな 恋しきが方も方こそ有りと聞け、立てれ居れども無き心地かな 恋しいという場合の心の方向と言う、そういう方向が有ると聞いた、しかし立っていても座っていても、そんな方向は無い心地がする わかりにくい歌です。 恋心の気持ちの向け方のようなもの(恋しきが方)が、 他人からは冷静に見えているから、ああだこうだと指南を受ける(方こそ有りと聞け)が、 そんなものはちっとも分からない(なき心地かな)、 と

          古今集巻第十九 雑躰誹諧歌 1024番