岩波少年文庫を全部読む。(2)声に出して読みたい20世紀のおトボケ カレル・チャペック『長い長いお医者さんの話』
新生岩波少年文庫の通し番号001と002が『星の王子さま』と『長い長いお医者さんの話』にあるの、なぜなんだろう?
岩波少年文庫には、英語圏児童文学がメイン看板のレーベルだという印象があります。
その岩波少年文庫が、2000年のリニューアル時に、フランスとチェコからこのふたりの唯一の童話作品を新通し番号の001番、002番に置きました。
アントワーヌ・ド・サンテグジュペリもカレル・チャペックも大人向け一般文学を主戦場にしていて、童話は1冊しか残しませんでした。
ふたりの共通点は、ナチスに抗しながらナチス敗北を見ずにこの世を去ったことでしょうか。
岩波少年文庫出発時に編集部が抱いていたコンセプト、切なる願い、子どもたちにたいする気持ちを、2000年当時の岩波少年文庫編集部はもう一度確認しようとしたのではないかと、僕なんかは勝手に思い入れてしまうのです。
岩波少年文庫が創刊された1950年、敗戦国日本はまだ連合軍占領下にありました。
長い話にはわけがある
『長い長いお医者さんの話』は、カレル・チャペックの童話9篇を、英訳から重訳していたものです。原著にあった「まえがき」と、ヨゼフ・チャペック(作者の兄で挿画を担当)による「おまけの1篇」は割愛されています。
なお、その後それらを含むチェコ語からの全訳が青土社から出ています(後述)。
本訳書の表題作となった「長い長いお医者さんの話」は一種の枠物語形式をとっています。患者が喉に種が詰まってしまっているというのに、複数の医師がそれぞれ話をする。
患者は魔法使いなのだけど、魔法で種をなんとかすることができないようです。そしてやってきたのは専門外の医師。それでべつの先生を呼びに行ってるあいだに、お話がひとつはじまる。
おトボケな世界
おいおい、口を動かさずに手を動かせよ! その前に人の話を聞けよ! 大病院でいわゆる「盥回し」(最近はないのかな?)にあったことがある人なら、やきもきしながら読むこと必至です。
こういった結論の「引き伸ばし」は『千一夜物語』以来の枠物語のお家芸です。ときにはその展開の「長さ」自体が作中世界で重要な意味を持つことがあるのもまた、『千一夜物語』譲りなのです。
郵便局に小人さんが住んでて、郵便物の仕分けを担当しているという設定の「郵便屋さんの話」では、宛名が書かれていない手紙が、1年プラス1日という月日を費やして宛先を割り出し、届けられます。
と書くとなんだか感動的ですが、どちらかというと落語的な荒っぽさのある展開です。
チャペック童話の登場人物たちの噛み合わない会話、アップテンポなドタバタは、まさに世界全体がおトボケになっているという具合。
民話的な口誦性とモダンさの同居
本書にはたしかに、伝統社会におけるおとぎ話のように〈王女さま〉が出てくるお話もあります。
けれど、この作品集の売りはむしろ、ビルが立ち並ぶ現代都市を舞台に、おまわりさんや郵便屋さんといったモダンワールドの住人たちが、びゅんびゅん走り回る自動車たちと競争するかのような勢いで繰り広げるドタバタに、当たり前のように妖精や小人や魔法使いが絡んでいくところにあります。
さらにとぼけた味わいの話がどんどん脱線していき、あるいは分岐していき、登場人物たちも饒舌に語り、ノンセンスの域に達します。落語のタガをはずしてしまったかのようです。
これは字で読むものではなくて、声に出して読んで(いや、語って)もらうべきお話なんでしょう。
小さく整うことなく、破天荒に風呂敷を広げながら、でもラスト1文で収まるところにぴたりと収まる高度な技は、
「なにこれわけわかんない」
と思いながら耳で聴いているのがいちばん楽しいはず。
原文からの全訳もある
最初に書いたように、本書は英訳からの重訳で、また「まえがき」と、ヨゼフ・チャペック(作者の兄で挿画を担当)による「おまけの1篇」は割愛されています。
さて、2005年、演出家の田才益夫がオリジナル編集版の訳書『カレル・チャペックの童話の作り方』(青土社)を刊行。これは原書から直接カレルの童話2篇とまえがきを全訳、またべつの2篇を抄訳し、チャペックが書いたおとぎ話論「童話の理論」を併録しています。
同じ2005年、田才は同じ青土社から『カレル・チャペック童話全集』を刊行しました。ここではじめて原著が、「まえがき」とヨゼフのおまけ(これがまたおもしろい!)込みで、チェコ語から直接、もとの配列のままで全訳され、さらに原著未収録のチャペック童話2篇を追加しています。これが決定版。
(しかし同じ版元なのだから、『カレル・チャペックの童話の作り方』の頁数のじつに4分の3を再録している『童話全集』をわずか4か月後に出すなら、最初から『童話全集』に「童話の理論」(たった50頁ほど)も併録してくれたらよかったのに)
田才訳はチェコ語のストーリーテラー的な口誦性を想像させる仕上がりで、大人の読者ならじゅうぶんに楽しめます。この青土社版は若い読者を意識してルビは多めですが、本としての版面はやはり岩波少年文庫のほうが若い読者に親切だと感じました。
Karel Čapek, Devatero Pohádek a Ještě Jedna od Josefa Čapka (1932)
(英語からの重訳、1篇割愛)1952年9月15日刊、2000年6月16日新版 巻末エッセイ=寺村輝夫
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