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岩波少年文庫を全部読む。(46)ネイチャーライティング×昭和歌謡リリシズム×叙事詩的呪術性 斎藤惇夫『ガンバとカワウソの冒険』

違う意味で、「子ども時代を思い出す」

 僕は斎藤惇夫の野間児童文芸賞受賞作『ガンバとカワウソの冒険』(1982)を読むと──というかこれは、このガンバ・サーガ3作に腰痛する話なのですけれど、とりわけこの完結篇では──通常とはべつの意味で、子ども時代を思い出させられます。

 児童文学作品を読んで「子ども時代を思い出させられる」というばあい、ふつうは、自分がその作品か、もしくはそれと共通する要素を持つ児童文学作品を読んだ子ども時代を思い出す、ということです、

 さもなければ、作中に登場する子どもの記述から、自分の子ども時代を思い出す、というケースでしょう。

 けれど、僕は不幸にして、子ども時代に本をあまり読まないほうの子どもでした。児童文学の読書体験がほとんどありません。前者のような意味で子ども時代を思い出すことは、ほとんどないのです。

 また、このガンバ・サーガ3作には子どもどころか人間自体がほぼ登場しません。動物の子どもも、野犬たちに母を殺された幼い川獺のカモク──トラウマゆえか失語症になっているので、ガンバの仲間イカサマがそう命名した──くらいしか登場しないのです。だから、後者の意味で子ども時代を思い出すことも、本書を読んでいるかぎり、ありそうにない、ということになります。

 ではどういう意味で、僕は本書を読んで子ども時代を思い出したのでしょうか。

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