岩波少年文庫を全部読む。(88)ドラえもんのいない、美しすぎる「劇場版ドラえもん」なのか? バラージュ・ベーラ『ほんとうの空色』
小学校時代、バラージュ・ベーラの『ほんとうの空色』(1925)の、ドイツ語版からの重訳が家にありました。けど読んでなかった。
そしてその訳者である徳永康元(日本におけるハンガリー文学紹介の巨星です)がハンガリー語原文から訳したの(岩波少年文庫)を、このマガジンのために読みました。
じつはこの作品は、最初にドイツ語で刊行されて、そのあと第2次世界大戦後にハンガリー語版が刊行されたというものでした。
どの児童文学にも似ていません
記述される世界は現代の都市生活(+田園)、でもストーリーは民話的な構成、そして登場する超自然的なアイテムや現象はきわめてモダンで洗練されていて、僕がいままで読んだどの児童文学とも似ていませんでした。
これはすごい作品です!
母子家庭の息子カルマール・フェルコーは、貧しい洗濯屋の母の仕事を手伝っているので、学校の勉強をする時間がなく、成績が伸びません。
絵を描くのは上手ですが、絵の具を持っていません。
お金持ちのぼんぼんであるチェル・カリに絵の具セットと画用紙を借りますが、そのなかの藍色のチューブが見当たらなくなってしまいます。
そして部屋で青い鼠を見かけます。
どうやら藍色の絵の具を、この鼠に食べられてしまったようです。翌朝学校で、カリは絵の具の紛失を責めてきます。フェルコーは困ってしまいました。
こういう、都市生活における寄る辺ない少年を主人公にした児童文学作品は、20世紀の大戦間にいくつか印象深いものがたしかに書かれてはいます。ケストナーの『点子ちゃんとアントン』(1931。池田香代子訳、岩波少年文庫)や宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』(1933未完。岩波少年文庫)など。
でも、冒頭でこそこれらの作品を想起させるように出発しますが、本作のその後は、上記2作とは違った開放感溢れる道のりをたどるのです。
青い花から絵の具を作る
フェルコーは、進退窮まって町はずれの野原にやってきます。そこに忽然とあらわれた学校の用務員のおじさんは、失意のフェルコーに、そこにびっしりと咲く大輪の青い花を絞って絵の具を作ればいいじゃないかと言うのでした。
おじさんによれば、この青い花は名前を〈ほんとうの空色〉というものだそうです。
青い花といえば、ノヴァーリスの小説の主人公ハインリヒ・フォン・オフターディンゲンが夢見て探し求めるものです。この小説の日本語題は『青い花』(1802未完。今泉文子訳『ノヴァーリス作品集2』所収、ちくま文庫)となっています。
またバラージュよりあとにも、レーモン・クノーの『青い花』(1965。新島進訳、水声社《レーモン・クノー・コレクション》第12巻)の最後、おそらくは未来の世界で、主人公と読者が出会う存在でもあります。
現世を超越した神秘的なシンボル、それが青い花なんでしょうね。
塗ったらそこが空になる
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