正信偈は浄土真宗の教えです。正しくは「正信念仏偈」と言います。
朝夕の勤行で読誦しますが、これは経典ではありません。親鸞聖人が心の裡を吐露したものです。親鸞聖人は僧籍にあって妻帯した初めての人物です。
非常に長い「偈」ですが、私が気にかかるのは、「凡聖逆謗斉廻入(凡・聖・逆・謗ひとしく廻入すれば)如衆水入海一味(衆水の海に入りて一味なるが如し)」です。
これは一般的には凡夫も聖人も逆賊、謗(仏の教えを誹謗する者)も全て無量寿光の海に入れば皆同じと解されていますが、大乗的に考えれば、それは正しいでしょう。
しかし、一人の個の心の動きにも当てはまります。我々の心の中には相反する心情が別個に湧き起こります。それは本当はありもしない「自分」が大事だからです。
現代人は自己同一性に縛られています。実際は多様な心の在り方をするのが人間ですので、凡・聖・逆・謗ひとしく心の裡にあります。逆・謗を自分の裡に見つけた時に悩む必要はありません。
そうしたものは、「私の心の裡にはこんなものがあったのか」と正体を悟られた途端、何処かに行ってしまいます。
密教的表現をすれば、大日如来の光の中に入れる、不動明王の迦楼羅炎で焼いてしまう、ということになります。
浄土真宗の方には異論があるかもしれません。「正信偈」はそれだけ奥が深いのです。また折あらば自己流解釈に挑んでみたいと思います。