継続するということ
前回の雑記「干支一回りぶりに印刷頼んで同人誌を作ってみたら」からの派生ネタ的な話です。
前回、
■同人活動自体は長いのにちゃんと印刷を頼んで本を作った経験は少ない
■活動自体にちょいちょいブランクが有る
■商業誌に投稿したり、個人サイトを作ったりしていた
ということについてその中で触れたわけですが、
今回は先ずは更に
■それ以前からちょいちょいいろんな事をしては休んでいた
というお話をします。
【そもそも継続することが難しい】
そう…いきなりタイトルを思い切りぶん投げてしまいますが、先ずはそういう話です。
親しい人だったり昔からの知り合いとか家族はだいたい知っているのですがわたしは神経発達症とか発達障害と言われるものがある人です。
正式に公的な相談窓口や複数の医療機関に相談し、DSM-5準拠で問診をし、WAISⅢ実施の上での診断済みです。
働いていた頃は朝1回20mgのみ、就業時間だけ効果を発揮できる量とタイミングでストラテラを服用していました。
(現在は透析導入となったため&働いていないため服用していません)
イメージや映像や音が次々湧き出し脳内が常に騒がしく、興味を持ったことは調べないときが済まず瞬発的な過集中で情報を取得し、そういったものをベースに思考が猛スピードで駆け回る、所謂「脳が多動」な状態でずっと暮らしてました。
思いついたらじっとしていられないので脱走するし、やりっ放しで次のことに取り掛かるし、疲れたり飽きたら回復するまで何も出来ない、興味がないことは後回し、気づいたら色々失くしている、何でも乱読する、身の回りがグチャグチャ、気がつくと謎に怪我をしている…というアレです。
なので基本、1つのことを腰を据えて地道にコツコツやるということはしません。
働き方自体もそうでした。なので業種職種問わず本当に多岐にわたっての職歴があります。
通院と家事と服薬や栄養管理と執筆、意識的に休息を取るくらいしかしていない今でも通院は普通に面倒だし、家事はたまにしかやる気起きないです。(服薬栄養休息だけは気をつけてるけど執筆に夢中になると見事忘れます)
そこで出てくるのが、冒頭にお話した「以前からちょいちょいいろんな事をしては休んでいた」というお話です。
【創作は何処から始まったか】
幼少時のわたしは超のつくテレビっ子で魔女っ子アニメの塗り絵が大好きで「アニメ作る人か漫画家になる!」と言っていました。
でも絵を描くこと自体はそんなに特別好きだったわけでもなく、好きだったのはあくまでも「お話を作ること」「設定に合わせてデザインすること」でした。
絵はあくまでも手段であり、こういう絵が描きたいと「描く」こと自体が目的ではなく、決して楽しいからやっているというタイプではなかったです。しかも寧ろ技術的なことや理論を学ぶ機会もないまま独り試行錯誤し続けるしかない環境だったので、苦行に近いものでした。
祈るように無心で描き続ける日々だったと思います。
但、絵を描くための目的自体が「お話を作ること」「設定に合わせてデザインすること」が基礎で、それを基に派生する作業が多様なので、脳内のお話を基にキャラクターを考えたりイラストを描くこともあれば、4コマ漫画を描くこともあり、ファッションデザインを描いたり、インテリアや部屋や建物のデザインを考えたり、乗り物のデザインを考えたり、ピクトサイン(標識)とかフォントをデザインしたり、レシピを考えて出来上がりの図を描いたりと次々に題材を変えてやっていました。
これにより、本人としては「これについては満足したし飽きたから別の事しよう」という感じでコロコロやることを変えているにもかかわらず、傍から見ていると「とにかくずっと絵を描いているように見える」という現象が起きていました。
お話を考えたりそれを基に絵を描き始めたのは4歳位だったのに、本格的にコマを割ってストーリー漫画を描き始めたり、小説を書き始める中3の半ばくらいまではずっとこの状態でした。10年くらいアイドリング。
しかもわたしは発達障害児で、明らかな多動の他に強い自閉傾向もあったので学校等で人と関わるのも嫌いだったため「お話や印象的な場面は思い浮かぶけど人の気持ちや反応がわからないので展開ができない」という致命的エラーがありました。
なので意識的に登場人物の心情に着目して本を読んだり、アニメやドラマを見たり、世の中の出来事をニュースや新聞で追ったり、発表会の劇に敢えて参加するなどしてそういった何かあったときの人の気持ちの動きを知る必要があり、なかなか実際にしっかりとした長いストーリーを組み立てて漫画を描くまでに時間がかかりました。
【お話を書くようになってからも変わらなかった】
そう、その後も特にスタンスが変わるということはありませんでした。
友達と交換日記でリレー小説を書いて遊んでは飽き、友達のハマった作品のキャラの絵を模写しては飽き、商業誌に一回投稿しては疲れたから暫くいいやと休み、同人誌を作ってはまた休み、便箋作ってはまた休み、友だちに借りた音源イメソンにお絵描きしては休み、音楽雑誌やファッション誌を模写しては休み…いったいどうしたいんだよという感じでしたが、当時は希望の進路に行けずその先のプラン(どのプランも高校進学で都市部の標準レベルの学校に出ないと実現し得なかった)がパーになったので目標なくして何もかもやる気無くなってたので特に何も考えてませんでした。
書道の実績を基に推薦で専門学校(グラ科)への進学後はそれこそ絵を書くための理論とか技法を思う存分学べて周囲からも吸収できる環境になったのと、同人イベントに出られるようになったのと、そこで好きな音楽とか作品が近い知り合いがたくさんできたのとで自分のテンションやモチベーション自体がもうそれまでとは段違いでした。そりゃあイベント毎に冊子も作るし委託だって請け負うし、商業誌への投稿だってしちゃうよ。充実感が半端なかったです。
卒業後ブラックながら給与はちゃんと出るバイトからの労基法無視の超絶ブラック会社員生活(印刷業界)をやめるまでの4年ほどは好きだったバンドが解散したことも有り本当に何もやる気力がなくて、仕事を辞めてからまた再開しました。そのとき商業誌に応募したものは賞をもらったりもしました。
気まぐれにやってきた本人にその自覚はなくとも着実にいろんな能力が蓄積されてきていて1つの成果になったのだと感じました。
初めて自分の立てた目標をクリア出来た瞬間でした。
その後同人活動を休み、更に本州に引っ越してから、商業誌への持ち込みや応募を重ねていたら複数の出版社で担当がついたり、バイト先のツテで色んな所にカットやイラスト描かせてもらえるようになったりしました。そこではそれなりに妥当な金額が頂ける仕事が多く嬉しかったです。
しかし、商業誌については担当がついた後、本命の出版社さんはそうでもなかったですが、色んな所の部内コンペにネーム出したりカットやら何やらで協力しているうち「仕事になるって確約もないのにタダ働きめっちゃさせるし、仕事自体安く買い叩くじゃん」と思って少なくとも漫画で食っていこうという考えはなくなり出版社と関わるのはやめました。
【創作活動しなくなって、その間どうしていたのか】
しかも当時好きだったバンドでは脱退や移籍があったりスタンスが変わりすぎてしまい離れたため推し活も収束気味で、付き合っている人もいて週末は時間をそこに使っていた為、平日退勤後自宅でちょこちょこ描いてたまにアンソロに寄稿したり、たまにコピー本作って即売会出たり、一次創作の個人サイト作ったり、それ利用してアフィリエイトで小遣い稼ぎしてたくらいで同人活動を本格的に再開することはありませんでした。
その後フリーになってからまた本当にライブに行くのが生活のメインになって「そのためのチケ代!遠征費!皿代!雑誌代!通信費!通院費!」ととにかく稼ぐ必要があり掛け持ちで働けるだけ働く生活してました。
創作活動は表向き止まっており、文字通り「働くかライブ行ってるか」みたいな生活だったわけですが、しかし実際には創作活動は全くしていなかったわけでもなく、水面下で蓄積をしていました。
具体的にどうしていたのかというと、幼少期からの物事への取り組み方がここで活かされてました。
「思いついたことは全部メモをとっておく」
「落書きでもいいから絵に起こしておく」
「気になったことは時間を作って調べる」
紙ベースだと無くすのでとにかくメモは携帯端末やらパソコンに残しておく。紙に描いたものは全部クリアファイルに入れて決まったファイルボックスに突っ込んでおく。資料や調べたものの複写も全部取り急ぎファイリングしてとっておく。面倒だったら書籍ごと雑誌ごと保管しておく。
それら1つ1つはバラバラでも構想した本人は見ればそれがどの作品に関するものなのかは判るので整理しなくても何も問題はありません。
そしてこの蓄積が本格的に役に立つときはやがてやってきました。
それが「通院と家事と服薬や栄養管理と執筆、意識的に休息を取るくらいしかない」今です。
【継続すること=執着し続けることではない】
あくまでも現在は療養のため就労禁止状態にあって只の無職ではないので、執筆は通院スケジュールや体調に左右されるし、他の作家さんがやっているように決まった曜日や時間に更新し続けるのは難しい時が正直あります。
実際に入院や手術を毎月のように繰り返すこともあり、今年に入り月単位で休まざるを得ないこともありました。
そもそもいつまでこうやって過ごせるかなんて正直わからないですが、それでもなんとなく続けられているのは「気まぐれに色々やってきた結果良かったこともあったし、積み重ねたものはなくならないし、休みながらでも前進や成長はできる」ということが自分の中にあるからだと思います。
あとは要領を得ないまま思う通りにならないストレスとがっぷり向き合って「できない、できない」と悩むよりは今の自分が要領よくやれることをやってたほうが気づきとか次の取り組みに活かせると思っているのもあると思います。
できないときは意地になってやらなくていいんです、一旦おいといてやれることをしようと敢えて言います。
勉強でも仕事でもそうですけど、必死に闇雲にマニュアルや過去問手に長時間机にかじりつく時間と疲労ばかり増やしてもダメで、情報収集して要点が示されているものを選んで、そこから解くためのルールをちゃんと拾って身につけて、ルールを踏まえて解く、或いは構築する必要があることに気づいておかないと実践で結局活かせないですし、蓄積していてもイレギュラーが発生してゼロベースで自分で考えて動かなければいけない場面だってありますし。
そういう意味でもわたしは、自分自身がどういうふうにありたいか考えず1つのことや目指す結果に執着して継続することは余りオススメできないなとは思います。
【比較しない、認めてもらおうと思わない】
創作を継続していく上でわたしが重要だと思っているのは「作品全般に一貫する確固たる主題を自分の中に持っておく」ことだと思います。
それと「他者からの評価を気にしない、他の作家と自分を比較しない」こと。
反応や感想がないと心が折れる、売れないと凹むというのを目にするとわたしはよくわからなくて不思議に思うのと同時に「自分で自分の心折りに行ってんじゃん…」と思ってしまいます。
反応しなくたって見てる人は見てるし、普段の作品読んでなくたって自分のこと知らなくたって手に取るし、買う人は買うんです。
そもそも売れないとか反応や感想がないということは何かしらの他の原因があっての結果だと思うので、第三者目線で見直して今後どうするか検討する機会にしたほうが有意義に思います。
夢中でやってるその時は自分では面白いと思っても、少し時間を置いて第三者として客観的に見直したときあんまり面白くないことや「あれ?これおかしくね?」とか気づいて我に返って恥ずかしくなることは結構あるので。
但、出来上がり後に凡ミスに気づいたり、絵柄が変わったりして恥ずかしくなることは想定内なので、そういう点については余り気にしてもしょうがないと思います。気づいたら訂正メモ入れればいいだけですし。
気にするべきは「評価より、客観的に考え、読む側の反応を先読みして作れるかどうか」だと思います。
これは「作品全般に一貫する確固たる主題を自分の中に持っておく」こととも通じる部分になるのですが「この作品で何を感じさせ思考させるか」でもあり、先程書いた「第三者目線」の話にも繋がります。
第三者目線でこういうのが読みたかったと思えるようなものを目指して、読み返したとき「誰かが書いてくれた自分のほしかったもの」に思えるような状態を目指すと後悔も少ないと思います。
あとは、感想伝えたりするのって結構する側もされる側も心理的負荷も労力も大きい行為だし、自分の中でやりきった充足感や、求める完成度に達していない状態でそういう見返りを求めるのはなんかちょっと違うんじゃないかなと思います。
自分で自分の作品がほしいと思えるか、自分だったら果たして感想を送るだろうか、どうしたらそう思えるクオリティになるだろうか等を考えるのは厳しい問いではあるんですが自分で自分の作品がほしいと思える地点目指すのは楽しいですよ、と思います。
とは言えど、決して自分も自分が求めるクオリティには仲々追いつかず、思うような状態にはなりません。
それでも自分がほしいものは自分の中にしかないので創作はやめません。
しぶとくやりましょう。
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