その言葉、本当は何が言いたいの?
今日は、言葉の前提や前置きについて、考えてみたいと思います。今回、日本のエージェントを通して、アンソニーロビンズのDWDを、日本語で日本人の方と一緒に受講しました。そこで、何だかわかりませんが、ずっとモヤモヤしていたことがあったのです。それが何だかわからなかったのですが、今日、これか!?と、違和感の原因がわかりました。
普段なら、絶対に手をあげないのですが・・・ 滅多に自分から手をげて発言したり、質問したりはしないのですが・・・ 間違っていたらすみません・・・ これで合っているのか?わからないですが、言ってもいいですか・・・ すいません、私なんかが・・・
何だか、ずっとしっくりこなかった<違和感の原因>は、これでした。言葉ですね。言葉というよりは<前置き>というのでしょうか。こんな<前置き>を何度も何度も、いろいろな人から聞きました。いえ、ほとんどの方といっても大げさではないかもしれません。
文化的背景なのでしょうか?そういう社会(時代)に、生きているということなのでしょうか?私は長年海外に住んでおり、自分の意見を言わなかったり、ただニコニコ笑っているだけでは、<そこに居ないもの>として扱われてしまうので、緊張しても、恥ずかしくても、とにかく発言や自分の考えを述べるようにしています。ただ、確かに、最初からそうだったわけではなく、そういう環境に身を置いているから、生きて行くために自然に鍛えられた・・・といった方が近いと思います。
長いこと、そんな環境に身を置いて生活している私にとっての<違和感>は、それ、いらないでしょ?それ、わざわざ言う必要ある?ということでした。
その言葉を言うことで、何を守っているのかな?その言葉を言う裏には、どんな感情が隠されているのかな?と。
今回は、世界中から集まるグローバルな環境でのセミナーだったので、余計に、その差が見えたことで<違和感>を感じたのかもしれませんが、もしこれが、トニーに直接指名されて発言の場が、日本チームにあったならば、どんな感じだったのだろう???と思ったのでした。どなたかの参考になれば、幸いです。
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