自分の社会的カテゴリーを知るということ

己を知る。自分の現在地を知る。自分のことを過小評価しすぎる人もいれば、自分のことを過大評価しすぎる人もいます。私は、子供の頃から<自分の立ち位置やレベル>は、ある程度それなりには正確に把握できていたように思います。

自分がどこを目指しているとか、自分が社会的にどの位置にいるか?を知りたいわけではなく、いちいち傷ついたり、一喜一憂しないためにも、冷静に自分の<現在地>を知っておくことは、大切なことなのではないかな?と思います。

自分は、社会的にどんなカテゴリーにいるのだろう?と考えてみる。子供の頃からの自分の学校生活や、友人関係や、就職先や経験してきたことを、考えてみる。

幼稚園の頃は、鼓笛隊の主指揮や、お遊戯会のお姫様役などをやらされていました。小学生や中学生の頃は、学級委員や生徒会、部活動の部長などをやらされていました。この頃から、私は先生のもとで、クラスのリーダー格をやらされる運命なのだな・・・と、子供ながらにすでに自覚がありました。

そして、私立の付属の女子校、女子短大へと進学しました。私は普通のサラリーマン家庭に育ちましたが、その私立の付属の女子校に入ったことで、私の友人は社長令嬢、弁護士やお医者さんのお嬢さん達ばかりとなりました。高校1年生で、ブランド物というものを知ります。でも、同じ付属の中等部から上がってきた子達は、中学生の頃からブランド物をたくさん持っていました。私はこの頃、物質社会?物質優位?地位名誉?所有する?ということを経験しました。そんな家庭環境の友達ができたことで、お医者さんや弁護士や社長さんのお宅の生活が、どんなものか?を、友達の家に泊りに行くことで、知ることになりました。

新入社員として、都市銀行に就職しました。めちゃくちゃ、学閥がありました。そこで、学歴コンプレックスに陥るものの、社会の仕組みの中での自分の位置というものを、認めざるを得ませんでした。ここで、社会の成り立ち、世の中のルール、というもの、男女という性別による様々なものの違い、などを知ることになりました。この環境で学んだことは他にもあります。六大学卒の人は、もともと受験勉強をかなりしているので、英語が流暢でなくても留学経験がなくても、海外転勤はニューヨークやロンドンでした。行けば、できてしまうからです。逆に、帰国子女など英語が流暢に話せる人は、ニューヨークやロンドンに転勤することはなく、現地法人や出張所の立ち上げ部隊として、英語圏ではない国に海外転勤の辞令が出ていました。なぜか?それは、英語は問題なくできるから。英語でコミュニケーションを取りながら、さらに現地の言語を学び仕事をするのが、彼らの仕事と使命でした。

私はこうして、社会ってこんな風に成り立っているんだ、ということや、自分の社会的立ち位置を知ることになったので、このような経験から、自分のことを客観的に冷静に見れるようになったのです。そして、自分のことを過小評価も過大評価もせず、等身大の自分を生きているため、過度に傷ついて落ち込んだり、一喜一憂することはありませんでした。だいぶ前に挫折しているので、現実を直視する力は身についており、身の丈にあった選択と行動をしているので、大人になってから自分の〈現在地〉にショックを受けることは、そうそうありません。自分の現在地を知り把握するということ。どなたかの参考になれば幸いです。


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