精神的マチュリティーと人生の課題の関係
本日Day-5を終え、いよいよ、残すところあと1日となったDWD。このDWDを通して改めて思ったのは、やはり人生というのは、魂の成長の場なのだな、ということ。つまり、魂が、人間としての経験をしていく中で、子供から大人に成長していく過程。魂の成熟度。
生まれたばかりの赤ちゃんは、自分の機嫌が悪かったり、自分の思う通りに物事が進まなければ、泣いて周囲の人に訴え、誰かにご機嫌をとってもらい、自分の問題や機嫌を直してもらう。赤ちゃんであれば、それは当然のこと。赤ちゃんは一人では、何もできないのですから。それは、この赤ちゃんの魂のレベルが成熟していないということではなく、<本当に赤ちゃんだから>なのだと思います。
次は、子供。お兄ちゃんやお姉ちゃんが持っているオモチャや、お母さんやお父さんが持っているものが欲しくて、それが欲しい!と相手から奪おうとして、簡単に自分のものにならないと、力ずくでも、相手を傷つけてでも奪おうとし、喧嘩にまで発展してしまう。また、自分のものと他者のものの区別がつかず、他人のものを自分のものにしたり、他人のマネをして、同じものを得ようとする。でも、これも<本当に子供だから>当然のこと。<本当の子供だから>こそ、子供時代にこれらの経験することで、精神的マチュリティーが育ち、社会に出ても、周囲の人とうまくいくためには、どうしたら良いか?がわかっているため、社会に出て苦労することは、少ないのかもしれません。
<人生、死ぬまで勉強>とは、こういうことなのかもしれないな・・・。その人が、魂レベルできちんと経験して、<魂の成長のため>に学ぶべきことは、きちんと現実社会で、遅かれ早かれ、一生のうちに経験することになるのだな、と思います。どなたかの参考になれば、幸いです。
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