働きながら大学院生になることを決めた理由

自己紹介

はじめまして。出野千夏(いでの ちなつ)と言います。

簡単な自己紹介から。
1995年生まれ。静岡県出身。7歳から18歳まではバスケットボールをやってきました。

さっそくではありますが、私はテーマにある通り、働きながら2021年4月に日本福祉大学大学院国際社会開発研究科国際社会開発専攻修士課程に進学し、開発学を専攻。そして、2024年3月に修了しました。

修了してから今まで休憩をしていましたが、次のステップへ進むためも、頭の整理も兼ねて、働きながら大学院生になることを決めた理由と、今までの経験を書き出していきたいなと思います。

これは自分の頭や気持ちの整理のために書き出しているものですが、偶然にも読んでくれた人達が少しでも気が楽になって、前向きに頑張ろうと思ってもらえるようなものになれば嬉しいなと思います。

さて、まず私は大学院で開発学を専攻していましたが「そういえば、開発学ってどんな学問だったっけ?」というところから振り返ってみたいと思います。(笑)

そもそも、開発学とは…?

開発学は社会学分野の一つで、国際開発や人道的活動について研究する学問です。移民、紛争、政治的生態、援助など、複雑かつ重要なグローバル課題を幅広く扱います。開発学を専攻する学生は、世界の直近の未来を理解し、どうすれば紛争を回避できるか、人々を保護しつつ開発を進めるにはどうするか、といった難しい課題の解決策を探ります。

引用:ブリティッシュ・カウンシル(アクセス:2024/07/24 14:46) 

すべての領域と切り離せない学問なので、どおりで苦労したわけだ〜と今になって思います。(笑)
それでも、そんな学問に惹かれ、進学するまでに至った経緯を書き出していきながら整理していきたいと思います。

開発学を学びたいと思った理由

きっかけは小学3年生の頃。担任の先生が、青年海外協力隊でタンザニアに派遣されていたこともあり、現地で撮った写真を通して、よく活動地域で起きたことを話してくれました。それが、海外には学校に通いたくても通えない子供がいたり、満足にご飯を食べられない子供がいることを知るきっかけになりました。それと同時に、当時はテレビで流れていた国境なき医師団のCMが印象深く、海外で困っている人達を助ける国境なき医師団がヒーローのようで、かっこいいなと思っていました。

振り返ってみれば、私は小さい頃からディズニープリンセスに憧れるような可愛らしい女の子ではなく、年中半袖半パン。暗くなるまで外で遊び、虫取りや飼育、道端にいた死んだ蛇を家に持ち帰って怒られたり、山の中で秘密基地を作ったり、スポーツ選手や大河ドラマの主人公に憧れたりするような活発な女の子でした。(笑)

私も困っている人を助けられるようになりたいと思っていたので、その頃に小学校で行われていたユニセフ(UNICEF:国連児童基金)の募金活動に両親からもらったお小遣いを募金に回したりしていましたが、それだけでは収まらず、母に「もっと募金したい」と相談をしたら「自分で働いたお金でできるようになりなさい」と静かに言われたことを、今でも覚えています。

それだけ当時の私にはできることが限られている現実を突き付けられたことがショックだったのかなと思います。

それでも当時は、7歳から習い始めたバスケがどんどん上手くなっていくことが楽しくて練習ばかりしていましたし、高校では少し感覚が変わってきて、スポーツ推薦で進学した責任感や家族の期待に応えたいという気持ちが大きく、全国大会出場という目標に向けてバスケ漬けの生活を送っていました。

そして高校3年生夏の大会を終えた後、卒業ギリギリまでバスケを続けるか、引退して大学勉強をするか迷っていた頃、当時はバスケを続けることが辛く自信もなかったので、引退して大学進学を目指すことになりました。

専攻については心理学と迷っていましたが、母からの「ユニセフに興味なかった?」という助言もあったり、家族の影響で海外・発展途上国にも行ってみたかったし、キャンパスの所在地が神奈川県藤沢市で海も近いし、上京して一人暮らしもできるし、自然や動物について勉強する学部で楽しそうだし、「そう言えばそうだった」という納得感から、国際地域開発学科というところに進学させてもらうことになりました。

大学時代は、日雇いや飲食店のバイト、スポーツサークル、発展途上国のスタディーツアー、大学主催の海外研修、国際協力の分野の学生団体、企業インターン、学生起業、14カ国をバックパックで旅行するという日々で、しっかり大学生活を楽しんでいました。(笑)

そのため、企業分析など一般的な就職活動をすることもなく、インターンからそのまま今の医療系IT企業で働き始めることになりました。

20代は誰もが思うのかも知れませんが「このままでいいんだろうか」という漠然とした不安や焦りから何か夢や目標となるものを見つけたいという思いだったり、見返したい・認められたいというような過去のコンプレックスからくる怒りのエネルギーがあると思います。その理想と現実の狭間にいる混沌とした思いを振り切るためにもじっとしていることができず、どこに向けるべきかも分からない20代前半ならではの爆発的なエネルギーを糧にがむしゃらに行動していく他ありませんでした。

そして、大学時代の恩師や友達、家族に相談する中で「いま興味のあること」「たてに積み上げることができること」を軸に考えていたら、新卒の時期から仕事とは別に、宣伝会議「編集・ライター養成講座」を受講したり、そこで繋がった方々と業務委託でライターをやってみたり、国際協力に興味をもっている方々が集まるサロンに入って同世代の人たちと勉強して議論して実際にプロジェクトを立ててやってみたり、JETRO主催のIDEASで英語の講座を受けてレポートを書いてみたり、ただひたすらに、無我夢中で自分の興味関心に従って色々なことをやってきました。

そんな中でも社会人大学院があるということを知り、働きながら大学院に進学すること、仕事で実務経験を積みながら、専門性を身に付けられていった方がキャリアアップに繋がるのではないか、答えが見つかるのではないか、先の見えない将来への不安が消えるのではないかという思いから、資料を集め、zoomで大学時代の恩師に研究計画書の添削を夜中まで手伝っていただいたり、何をしても見えてこない状況から恩師からヒントをもらうため仕事終わりに羽田空港で恩師を出待ちし、半べそをかきながら相談に乗ってもらったこともありました。その結果、入学試験には運よく合格し、自分に「卒業することは出来るんだろうか」と思いながらも、両目を瞑って飛び込むように2021年4月、社会人大学院に進学することを決めました。それが24歳の時です。

次回は、大学院進学から卒業までの3年間(25~28歳)を書き出していきたいなと思います!

※2024/7/21 更新

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