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働きながら大学院生をやってみて思うこと

2021年4月。私は、日本福祉大学大学院国際社会開発研究科国際社会開発専攻の修士課程に進学をしました。そして、会社員として働きながら、2024年3月に卒業することができました。

これからの道筋を定めていくためにも、これまでの経験を書き出していきながら振り返り、社会人大学院への進学を検討している人や、まさに社会人大学院生をやっている人にとっても、何か参考になる情報となれば嬉しいです。

大学院の入学式はコロナ禍の影響もあってzoom上で行われました。同期は15人。JICA職員、理学療法士、開発コンサルタント、教員、青年海外協力隊員、公務員、JICAの企画調査員、子育てするママさん。本当に様々な年代・家庭環境、経験を積まれている方々が集まっていました。

オリエンテーションが終わって、履修科目決めの段階へ。全科目に共通していたことは、隔週で受講者1人または2人でファシリテーターを行い、掲示板上で1つのテーマに対して全員が議論をして、ファシリテーターが結論に導いていくこと。そして、期末にはレポートを書いて提出をする。というシンプルなものでした。

修士課程の1年目は単位を取得し、2年目は修士論文に集中するためにも、私が1年目に履修した科目は以下の通りになりました。

【 前期 】
開発研究入門(単日)
国際社会開発の基礎
研究方法論
途上国社会経済論
障害と開発
Social Development
南アジア地域開発研究(お盆期間中)

【 後期 】
現場のためのICT活用
国際保健論
アフリカ地域開発研究(シルバーウィーク期間中)

加えて週一でゼミがあり、ちょっとでも気を抜いてしまうと講義はどんどん前に進んでいって付いていけなくなってしまうので、その状態を乗り切るためにも、私自身は以下の点に気を付けていました。

①各講義のファシリテーターは被らないように調整すること。
→ファシリテーターは結論を出さなければならないので、常に掲示板上で議論の展開を見ていく必要があります。そのため、それぞれの講義が同時並行で進んでいく中でファシリテーターが被ってしまうと非常に大変です…。特に1年目前期、勉強のペースを作りきれていない段階での選択はおすすめできません。

②出勤の移動時間中は「今日は何の講義で、どのような発言を行うか」を整理すること。
→限られた時間の中で的外れな発言をしないためにも、議論の展開を見ながら自分の考えや発言をまとめるとなると時間がかかりました。それが同時並行で進んでいくため平日に投稿できるのは1科目、できて2科目。そのため出勤の移動時間中は、履修科目の掲示板を見て議論の展開を確認し、今日は何の科目で発言をするか、ある程度の考えを整理する時間にあて、実際の作業時間では、整理した考えと資料の突き合わせ、追加の資料探しなどを行なっていました。

ほんの小さな心掛けではありますが、この2つをやることによって限られた時間の中でしなくてもいい選択や思考をしなくてもよくなります。

ちなみに私の平日のスケジュールは、仕事が終わった(だいたい19時半以降)後は早めに休むかジムへ行って汗を流し、湯船にはしっかり浸かってリフレッシュ。次の日は4時半起き、渋谷スクランブル交差点にあるスタバに6時の開店と同時に入り、仕事が始まる8:40まで勉強するという日々を過ごしていました。土日休みのどちらか1日は大学院のことは何も考えない日を作ってのんびりしたり好きなことをして自分のご機嫌を取りながら、まずは心と体が健康でいられるように工夫していました。

もちろん履修科目によって評価基準は違いますし、卒業生から修士課程でも”楽単”(楽に取れる単位)があったそうです。人それぞれ修士課程に進学する目的は違いますから、卒業後のビジョンや成績表の見栄え、確保できる勉強時間も考慮して、評価基準にフォーカスして単位を取得していくのもアリかなと思います。

期末最後に課題が出されるレポートついては、オンライン上で提出が行われました。1年目前期のレポートについては提出期日ギリギリになってしまい提出先のドロップボックスの回線が立て込み、(みんなやってることは同じ…?)夜中に「何回やっても提出できない…!」という事件が起こりました。私は運よく無事に提出はできたのですが、計画的に余裕をもって進めていくことをおすすめします。(笑)

そんなこんながありましたが、無事に1年目で卒業条件となる単位数を取得し切ることができました。そして2年目から修士論文の執筆が始まるわけですが、当時の私へアドバイスしたいことは1つだけあります。

①覚悟を持って、入学前に提出した修士論文計画書通りに進めて、書き切ること。
自分自身の興味関心は、2,3年くらいではそう簡単には変わりません。日々の日常生活、仕事、周囲の人との関わり合いで変わっているように感じますが、根っこの部分は変わらないんだということを受け入れて、信じてあげて欲しいなと思います。それでも不安な自分がいるのであれば、指導教員や友達、家族など信頼できる人に相談をして、その人から言ってもらったことを信じて、脇目も振らない勢いで書き切って欲しいなと思います。

私は大学院に進学をしてから「本当にこれでよかったんだろうか」と何十回も頭をよぎっていました。それは修士論文のテーマについても、働きながら大学院生をすると決めた自分自身についても、プライベートとの折り合いについても。

大学院の進学を決めたのは25歳の時で社会人3年目。ボーナスも0に等しく、45時間の見込み残業代込みの月給制だったので正直、働いていても学生の頃とほとんど変わらない生活を送っていました。(笑)たまにいく居酒屋のトイレで見かけるアルバイト募集中のチラシに書かれた時給よりも低いお給料で自分は働いていることを目の当たりにした時は何とも言えない気持ちになりましたし、貯金もしていましたが、働いても働いても学費や書籍代で預金残高が減っていく通帳を見て、すぐに目に見えてこない成果に焦りも感じていました。

それでも、そんな数秒で終わる迷いや不安が頭をよぎることよりも耐え難かったのは、修士論文を書き終えた先が見えてこなかった時期です。広い世の中が見たくて海外でも働けるようになるためにキャリアチェンジ目的で始めた大学院でしたが、そのふわっとした目標や理想が、当時の職場環境の不安定さや日に日に増していく残業、たった数秒の迷いや不安でさえも積み重なって、何のために大学院に進学をしたのか分からなくなってしまった時は、本当に辛かったです。

両親に学費を出してもらっていた訳でもなく、いつでも辞めて良かった大学院ではありますが、それでも諦められなかった理由は、キャリアの選択肢を広げたいという他に、大袈裟かも知れませんが、恩師や家族、親友の存在が私にとって希望でした。昼夜問わず、時には明け方まで書類や論文の添削や相談に乗ってくれた恩師、喧嘩もしたけど、いつでも励ましてくれた家族や親友がいたから、書いても書いても修士論文に赤ペンが入って突き返されてしまっても、仕事でうまくいかなくても、その希望を頼りに、3年をかけて卒業することができました。

最終的には修士論文計画書とは違うテーマで修士論文を書き上げることになりましたが、そのような回り道の中でも修士課程は通過点にしか過ぎない、ある意味研究は一生続くものなのだから、そこまで深刻になって考える必要はないということ。それは、人生を豊かに楽しんでいくために必要な考え方ではないかと信じています。

講義やレポート、修士論文の様々な過程を経て自分の未熟さを目の当たりにし、恥ずかしく、辛くもなりましたが、それ以上に全力で自分と向き合い、悩み、体当たりできたこと。喜怒哀楽さまざまな感情が生まれたことは非常に貴重なことだったのではないかなと思います。それもまた、恩師や家族、友達、同期、担当教員との関わり合いの中で生まれたもので、その人との繋がりは時には面倒で傷つくこともありますが、それを超えてくる生きがいや目標、幸せを私は感じてきたので、これからもそれは大切にしていきたいなと思っています。

この3年間は、大切な人が何人か亡くなってしまったり、原因もわからない体調不良が続いたり、時には妙に電車の音が耳に響いて電車にも乗れなくなったり、仕事や勉強以前の根本的な問題に初めて遭遇して失ったことのほうが多い気もしますが、以前よりも肝が据わったような気がします。

体当たりの経験から生まれた前向きな心構えを胸に、楽しく新たな目標に向かって進んでいきたいと思います!

おわり。

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