ただ話を聞いてほしかったんだ。
どうも~千夏です。
今回は数日前書いた「闇と光」の続きの記事です。
(中身はいつも通りだ・である体です。)
その後のことを書いておく。
吃音が悪化して学校に行くのが不安になった。
行きたくないとは思わないけれど、うまく話せないことへの不安は大きかった。
大学は発表や音読、話し合いが多い。
それは不安を乗り切るための努力ができる場でもあるのだけれど、当然それだけストレスにもなる。
工夫を生み出さなければ乗り切れないので、どうすれば良いかを考えていた。
一つは筆談をできるようにしておくこと。
もうひとつはあらかじめ言いたいことを考えてから発言することだ。
ひとつめの筆談は単純に吃音がひどくなったときに会話にストレスを感じないためである。
それに筆談という方法もあると思っておけば安心できる。お守りみたいなものだ。とりあえず筆談専用のメモを用意しておき、携帯に専用のアプリを入れてみた。
ふたつめの言いたいことを考えてから言うというのはあたりまえじゃんと思うかもしれない。
これは普段物事を考えずに口にしているということではない。
言い回しに迷いながら発言しないと言う意味だ。
あらかじめ語尾までどんなことを言うか決めておくと原稿を読むときのように抑揚をつけやすくなる。
ただこれはゆっくり会話ができるときにしか使えない。
毎度毎度やっているとどもる時よりも会話が何テンポも遅れてしまう。
ある程度語数のある文でしかできないのでやる場面は限られる。
(例えば「そう」、「なるほど」などの短い相槌は1単語なのでできない。「犬を飼う」のような2単語でも、を打つように話そうと意識しなければうまくこの工夫を使えない。
「〇〇さんって▲▲なんだねーなるほど~」くらいの文量で初めて使える工夫なのである。)
こんなふうに色々と考えていたのだけれど、いざ行ってみると驚くほど以前通りの状態になっていた。なんと8割くらいはどもらずに話せたのだ。
一喜一憂したくないから手放しに喜べはしないけれどやっぱり大きな波が一度来ただけなんだなと思った。
実を言うと先週から急にではなく2週間前から思うように話せなくはなっていた。
それが予期せぬ出来事に緊張したのかストレスを感じたのか更にできなくなってしまっていたようだ。
話さなければいけない機会があったのに思うように話せず、一人になれるからとお手洗いに行って泣いた。
(しかもそれは発表ではなく親しくて優しい人とのおしゃべりだった。普段なら喜んでたくさん話せるのにそれができないからしんどかった。)
これからどんな状態になろうともあの感情を多分自分は忘れない。
自分はうまく話せないことの辛さをただ吐き出したいと思っていた。
同情も共感も協力も心配も別に要らなかった。
ただ話を聞いてほしかったんだ。
ぐちゃぐちゃになった文が羅列された記事、
「闇と光」を見てそう思った。
吃音というのは厄介で、
ある人は実際以上に大したことないという扱いをするし、
ある人はしすぎなくらいに心配したり特別扱いをする。
中には少しつっかえただけで「話せない人」というレッテルを貼る人もいる。(←自分はこれが一番嫌)
「みんな」とは違うけれど
日々障害があると思って生きてはいない。
そして周りに当事者は居ない。
だから重くなってしまいそうで話をただ聞いてほしいというのはなかなかかなわない。
だけど話を聞いてほしいだけというのは実はよくあることかもしれない。
昨年の今頃友達にある悩みがあって話を聞いてほしいといわれて聞いたけれど無駄に助言をしてしまって後悔した。
あの子を責めていないか、余計なことを言っていないかすごく気になった。
彼女の話を聞いて重いものを抱えた子という扱いをしてしまうようになった。
だけど彼女は彼女だ。
なんてひどい先入観を持っていたのだろうと思う。
今年になってようやくあれは彼女の一部分に過ぎない。だからといって悩みを軽視してもいけないとそう思えるようになった。
吃音が悩みの種になる前からそういえばそうだったのだと気づいたことを書いてみた。
実際には自分も他人も解決策が欲しかったり共感してほしい場合もあるから絶対にそうだとは言えない。
でも寄り添うだけの会話が実は一番難しい。
これが家族を相談相手に選ばない一番の理由かもしれない。
相談されても自分もできるかは分からない。家族との会話はつい口を挟みたくなるからだ。
心配もさせたくないし無駄に励まされたらきっとさらに落ち込む。
だから今は程よい距離の人と程よい量を打ち明けるのが一番だと思っている。
今回はここまでです。
ではまた~