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吃音はそのまんまでも、今は自分の声だいっきらいじゃない。

YouTubeを始めてから、

これは現実なのかな?

と思うことが本当に多いです。

ドラマの中で、女優さんが自分のほっぺを抓ったり、顔を叩いて!と言う理由が理解できるくらい、信じられないことがたくさん起こっています。

あ。「YouTubeを始めてから」というより、
私には、YouTubeをしているという感覚は正直言うとあまりないので、

「動画に声を乗せるようになってから」の方が
しっくりくるような気がします^^

昨日も書いたのですが、吃音を理由にして人と喋ることを避けていたので、

最初は、本当に喋る練習。

それだけでした。

でも今は、、
知らないうちに練習という感覚は薄れているような気がします。

さっき初めてこのことに気づいて、ちょっとびっくりしました。
意識して考えようとしないと、日々の思考の変化というのは、
自分の中では当たり前すぎて、気づけないものですね。

文字にしようとすると難しいけれど、なんというか、

喋りたいから喋っているというか、
誰かとお話ししている気分というか、

本当にそんな感じなんです。

最初の最初は、どうして私の動画を見て下さる人がいるのかが
本当に分からなくて、何が起こっているのか分かりませんでした。
へたくそな喋る練習の記録を見られているという感覚でした。

だから最初の方は、ただ恥ずかしいだけでした^^
(今では100%感謝の気持ちしかありません。)

聞いてくれる方はこの動画をどんな気持ちで見ているんだろう。

レシピを書いているわけでもないし、
何か役に立つ情報を言っているわけでもないし、
画質がいいわけでもないし、
編集がすごいわけでもないのに、って。

勇気を出して、
初めてコメント欄を開けた時、
もっと不思議なことが起こりました。

たくさんの言葉たちが私の心に届いて、
たくさんというのは、想像の10倍くらいです。
それに、全部ぜんっぶ温かいものでした。
布団の中で泣いたのを覚えています。
(ほんと泣いてばっかりだなぁ。。)

大嫌いでどうにかしなきゃと思っていた私の声を、
「声が好きです」
「癒されます」
って書いて下さる方がいて、

最初の方は誰かと間違えているんじゃないかって本気で思っていました(ごめんなさい)。
話を盛ってると思われるかもしれませんが、
今まで笑われてきて上手くいかない経験ばかりだった私にとっては、
ありえないような、救われるような言葉たちでした。

今まで私の思考の中で頑固にこびりついていた、吃音がある=ダメだとしか思えなかった自分の声とか話し方のイメージを、少しずつ、ちょっとずつ溶かして下さった感覚です。今もそうです。

表面的にじゃなくて、自分で心の底から「大丈夫」ってだんだん思えるようになりました。


今は自分の声、大っ嫌いじゃありません。


好きという訳でもないけれど、もう好きとか嫌いとかそういうことを考えること自体なくなりました。

これが私の声。それ以上でもそれ以下でもありません。

一人で考えていると、そんなことないってどこかで思っていても、
一度持った思考はなかなかこびりついたままで離れてくれないけど、
誰かに言ってもらえたり、寄り添ってもらっていたり、
言葉をもらっていると、
だんだん違う思考回路を歩けるようになるんだなって
気づかせてもらいました。

皆さんが教えてくれました。

普段生活している中で、
こんなにたくさんの方から温かい言葉をもらうことなんて、
有名な俳優さんや人気芸人さんじゃなければないと思うし、
普通なら、お弁当だって一人で作って誰にも見せる事なく、一人で食べて終わりだと思うので、

私はなんて幸せ者なんだと、
なんて優しい方たちに囲まれているだと、
特に辛いことがあるたびに、強く強く実感します。

練習として始めたことが、こんなに私に温かい感情をくれるものになるなんて思ってもいなかったし、

大っ嫌いだった声が、たくさんの人との繋がりを与えてくれるとも思っていませんでした。

嬉しいことをいうと、次に悪いことが起きそうで、
あんまり感情を出すことが苦手なのですが、

とてもとても嬉しくて、心が温かくなります。

よく、「続けられてすごいですね」
と言っていただくのですが、

私が大好きなお弁当作りの様子を温かく見守ってくれる方がいるから、
続けられているのだと思っています。

皆さんの好きな事、ハマっている事はなんだろう。
良かったら教えてください!

一年半動画を続けて良かったことは誰が何と言おうと、
たくさんの方と繋がれたことです。
自分に優しくなれるきっかけをくれる
温かい言葉を下さる方と出会えたことです。

練習という意味で他にも良かったことを挙げるなら、
最初の頃は何回も録音し直していたのが、最近は一発で言える日が多くなって、そんな日はそれだけで「やったー!やるじゃーん!」って喜んでます。

私は電話や、インターホン、Zoom、録音など、機会を通して喋るのが特に苦手なのですが、録音への怖さは減ってきているような気がします。

でも私は、吃音に限らず、誰しも苦手な事とか嫌いなことはあって、
無理に上手になろう、改善しなきゃと頑張る必要はないと思っています。

それよりもその人の好きな事、良い所を伸ばして、
いい意味で凹凸がはっきりある事って魅力的なのではないかって思います。

そう言っていて、私もまだまだできないことを、
「まあいいか」って思えなくて落ち込むんですけどね。

だから私は、

一発で喋れる日が多くなっている事よりも、
録音が怖くなくなってきた事なんかよりも、
言葉に詰まる事が減ってきているという事なんかよりも、

喋る練習という観点で一番良かったなと感じるのは、

「自分の喋りたいことを喋る」「声を聞いてもらう」

という機会に怖さがなくなってきていること

です。


恥ずかしくて自分の動画を見直すことはないのですが、
一番最初の動画を勇気を出して聞いてみたら、
私、とても緊張していました笑
今と全然違います笑

でも、喋ることに恐怖しかなかったあの日の自分も
今の自分を作ってくれている大切な自分です。

もう大っ嫌いな自分でも、

大っ嫌いな声でもありません。


あんなに嫌いだった吃音を、
「自分の中にあるもの」として少しずつ受け入れることができていて、
受け入れようとしている自分がいることが、
最近とても不思議です。


ちな

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