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中国工場の変遷

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中国工場の変遷を記事にします
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上海虹橋国際空港~上海夏普電器有限公司 2004年

不具合選別のために、上海夏普電器有限公司に伺いました。  深圳空港から上海虹橋国際空港へ飛び、後はタクシーです。  ルートはこれ。 寝ないで10万個の選別を行い、またタクシーで上海虹橋国際空港へ。 空港で食事をとり、深圳空港へ、そこから長安へ。

広東省佛山市順徳区北滘镇            美的集団有限公司

中国企業である「美的集団」とも取引があり、  そこには日本人の工場長と金型技術者の日本人が数人、働いていました。  受入検査で、ケーブルが抜けるというクレームがあり、  美的の製造に間に合わないので、すぐ来て、選別してほしいとのこと。  マイクロバスをレンタルして、慌てて顧客に向かう。  広州は大都会です。 美的に着いて現物を確認

長安工場の新年会 2006年(3)

とても高い導電性シートを敷いて接地して、その上にとても高い帯電防止塗料で塗装した場所で爆竹はしない様にと言ったのに! 

工程A 組み立て~パッケージ

ゲーム機が儲かっていた頃。   工程全体。  最終組み立て。  動作チェック。  出荷検査。  パッケージング。 そして出荷。 ヨーロッパ向けの携帯用ゲーム機が儲かりました。 付属品をたくさん作りました。 ソニーショックの後、おもちゃの規格が厳しくなり、 中国メーカーでは対応が間に合わなくて、隙間をぬうように儲けました。

長安工場の新年会 2006年(2)

とても高い導電性シートを敷いて接地して、その上にとても高い帯電防止塗料で塗装した場所で爆竹はしない様にと言ったのに! 

長安工場の新年会 2006年(1)

新しい工場に移り、順調に工場も大きくなり、資金にも余裕が出来たので、大々的に新年会を行いました。   ほぼ全社員を集めました。 一部の工程は納期の都合上、仕事をしています。 顧客と協力会社、地元の税関とか関係各位も招待します。 みんな楽しみにしているようです。

長安工場に至る路上 2005年頃(5)

だんだん、工場に近づいてきました。  左の方に、違法の三輪タクシーが見えます。 

長安工場に至る路上 2005年頃(4)

見て分かると思いますが、送電線がほとんどありません。  工業団地には、優先的に電力を送りますが、農村には、まだまだ電気が無いところも多かった。  中国には、都市戸籍と、農村戸籍があり、都市への農民の流入を防ぐため、格差があります。  よく知られているのは、大学の進学ですが、それ以外にも、保険制度、住宅積立、面白いのは、電気代などがあります。  都市のインフラを優先するために、農村部のインフラは農村部の収入で賄う為、都市より農村の方が電気代がバカ高いです。  街は

長安工場に至る路上 2005年頃(3)

街と街との間には、田園風景が広がっていて、まだ、古い街並みもところどころ、残っていて、自転車で写真を撮るには良かった。  自動車も少なかったなぁ。  深圳湾を埋め立てするために、山を壊して、運んでいます。  気が付くと、山が消えていた頃です。 

長安工場に至る路上 2005年頃(2)

そう言えば、あの頃はこんな感じだった。 

長安工場に至る路上 2005年頃(1)

深圳から工場に至る路上の写真。 

中国の在留書類

外国で仕事をする場合、必要な書類があります。  外国人居留証と外国人就業証ですね。  多くの方は見たことが無いと思いますので、中国のものを記事ににします。   一年が期限で、毎年更新が必要です。  こちらが就業証。  こちらは二年ごとに更新が必要です。  中国に限らず、海外で仕事をするには、就業証、またはワークパーミット(労働許可証)が必要です。 短期の場合や、期限付きの場合は居留証は必ずしも必要ではありませんが、多くの国が居留証を求める場合が多いです。  海外

龍華汽車站から長距離バス

部下が田舎に帰ると言うので、休みが取れたので、ついて行くことにしました。  龍華汽車站から長距離バスで移動します。  部下は予約をしていましたが、予約をしなくても切符が取れました。  乗ってしまえば、することもなく、ひたすら寝るか本を読むしかありません。  体臭がきつい人がそばに居なくてよかった。  部下の隣の人が体臭がきつくて辛いとこぼしていました。  着いたところは、南昌市西湖区、あんまり龍華と変わりません。 ここから、またバスを乗り継いでいきます。 

長安の新工場 本格的に稼働開始 2002年

何とか、本格的に稼働が出来るようになりました。