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100日後に散る百合 - 22日目


『ハナシのしゅし』

その植物には、葉がつかない。

それを、”ハナシ”と呼んだ。

ハナシの種を、やがて人々が求めるようになった。

ハナシに水を差すことは、禁物だった。

ハナシに花が咲くと、人々は喜んだ。

ある時、誰かが言った。

「ハナシの”しゅし”は、種ではない。根と幹だ」

彼の言うことは、みんなと異なっていた。

彼だけは、葉を持っていたから。

それを、”ことの葉”と呼んだ。



たんたんたん。

早く。

たんたんたんたんたん。

早く終わって。

たんたんたんたんたんたんたんたんたん。

早く放課後になって。

指で頭をたんたんする。

たんたんたん。

頭蓋骨に軽い音が響く。

今日の放課後は、

今日の放課後は…………!!

時計の秒針を睨む。

あれ、止まってる?

ちく、たく、ちく、たく

あ、動いてた。

あー、なんだっけこれ。

こういう現象には名前があった気がする。

風薇に教えてもらったということは覚えてる。

なんだっけなー。

カタカナで、なんかかっこいい感じの名前だったと思う。

なんだっけなー。

ブレザーのポケットに手を突っ込むと、指先に何かが触れた。

あ、駒か。

璃玖にもらった金将だった。


「じゃあ、行こっか。萌花」

ホームルームが終わると、立川咲季は私のところにやって来た。

「うん」

どこに行くのかというと、図書室だ。

今日は私たちが放課後の当番。

図書委員会として、初めてのお仕事である。

「うわ、雨降りそう」

咲季が、廊下の窓を見ながら言う。

この頃、ポカポカ陽気が続いていたが、

最近の空は結構曇りがち。

確か、予報だともう降ってもいい時間だったはずだ。

咲季は鞄を軽く開けて、何やらがっくりしている。

「やばいなあ、傘持ってきてないなあ」

お?

これは?

「私、持ってるよ」

「お、偉いねえ」

いや、

いや、そういうことじゃなくて。

持っている事実だけを報告したのではなくて。

その、

そのー、

「そのー、お、奥手効果!?」

「奥手効果…………?」

咲季が「何の話?」と聞いてくる。

「あ、あの、違くて…………えっと、送ってこうか?送りましょうか?」

「あー!”送ってこうか?”ね!」

そうだよ。

奥手効果とは何? 押してダメなら引いてみろ的なことかと、私も考える。

「いや、それは悪いって。萌花の家、神社の方なんでしょ。駅と逆方向じゃん」

「大丈夫だよ、全然」

私が送りたいんだ。

相合傘イベントとかがしたいんだ。

「今日は委員会でそもそも帰りが遅いんだから。私のことは気にしなくていいよ。コンビニで傘買えるし」

「…………そっか」

「ありがとね、気持ちだけ受け取っておくから」

あー。

失敗した。

せっかく勇気を出したけど、

それが成果にならないことは、往々にしてある。

なんとなく、小学校の時のことを思い出した。

観察日記をつけていた朝顔。

全然咲かなかったな、あれ。


「そしたら、本のバーコードをこれで読み取って。ここ押すの忘れないでね。これで本のデータがパソコンの方に入るから」

図書館に着いて、司書の人から、一通りの説明を受ける。

「最後に、返却期限は〇日までです、って言って終わり」

「分かりました」

「放課後は、どっちかって言うと、3年生が勉強しに来る方が多いから、貸出自体はそんなにないわ。棚整理とかやってもらうことが大半だから、よろしくね」

「はい」

「空いてる時間は本とか読んでてもらって構わないから」

司書の先生は、私たちを見て、

「2人は、本は好き?」

私は、特別読むわけでもないし、まったく読まないわけでもない。

適切なフレーズはこれだ。

「人並ですね」

「人並かあ」

先生は、特に困惑するでもなく、

「好きなジャンルは?」

なんだろう。

これといってない。

私が考えあぐねていると、

「面白いと思った本はある?」と聞かれる。

それなら思いつく。

いくつか本の名前を挙げると、先生は「なるほどね」と言って、1冊の本を持ってきた。

「じゃあ、オススメはこれ」

「すごい、ソムリエみたい」

横から咲季が言ってくる。

確かに。私の好みを把握して、新しいものを提供してくれている。

「『四丁目のフラワーショップ』」

「新人の作家さんだけど、ちょうどいいわよ」

ちょうどいい、とは、どういうことだろう?

「立川さんは、どんな本読むのかしら?」

「んー、エッセイとか、ノンフィクションはよく読みます」

へー、そうなんだ。

病院で読んでた本も、その類なのかな。

「じゃあ、この作家さんは知ってる?」

先生は、咲季に本を見せる。

「あ! 知ってます、好きです!」

”一斗リリ”、私も知っている作家だった。

「エッセイとか読むんだね」

「うん、普通の小説とかも読まないわけじゃないけど」

咲季は、窓の外を見ながら、微笑む。

「作り物って、あんまり好きじゃないんだ」

まだ、雨は降っていない。


うちの学校の図書室は、喋っていい。

もちろん、大声で騒ぐのはだめなんだけど、カウンターで私たちが少し話すのは問題ない。

ちなみに、奥にある部屋は私語厳禁とされている。

勉強に集中したい人や、静かに読書をしたい人は、その部屋に行って読むこととなる。

それにしても、

咲季と話すのが久しぶりで、なんか感動する。

ここのところの咲季は、クラスメートに囲まれてばかりだった。

こうして、咲季を独占できる時間が与えられるのは、とても嬉しい。

「ねえねえ、萌花」

「なあに?」

咲季がページをめくりながら言う。

先生に渡された、一斗リリのエッセイ『ハナシのしゅし』を読んでいる。

「”言葉”って、なんで”葉”って漢字を使うんだろう」

「あ-、確かに。なんでだろうね」

特に考えたこともなかったけど、意味ありげではある。

”喋る”も、葉っぱが付いてる。

でも、例えば、”葉”といえば、

「万葉集は、”葉”だね」

「本当だ!じゃあ、そのくらい昔から”ことのは”っていう表現はあったのかな?」

咲季は、なんだか嬉しそうだ。

「昔の人は、やっぱり趣があるね」

いとおかし、と言いたいらしい。

咲季は続けて、

「葉っぱって、色が変わったり、枯れてしまうこともあるけれど、
風に乗って、遠く遠くに運ばれていくこともある。
それはもしかしたら、私の思いがけない人の元に届いてるかもしれなくて、
でも、それはとても素敵なことだなって」

遠くを見つめる咲季が、いつもより儚げに見えた。

「…………あはは。こういう本読んでると、表現が詩的になっちゃうな」

「あったよ、趣」

「恥ずかしい」

”私の思いがけない人”、それは咲季にとってどういう人なんだろう。

私は、届けたい人に届けばいいかな。

むしろ、そうじゃないと困る。

「萌花の本、どんな話なの?」

「なんか、花屋の店員さんが、不思議な事件に巻き込まれてる」

「…………ミステリーなの?」

「いや、事件っていうか、不思議な体験っていうか。毎日違う色の花を咲かせる植物が出てきたり、関西弁で喋るサボテンが出てきたり」

「どういう世界観なのそれ」

「お客さんがね、花屋に相談とか悩みを持ちかけるの。それに付き合ってると、色々不思議なことが起こるんだけど、だいたいなんか、丸く収まる」

あまりイメージが掴めていないのか、咲季は眉間にしわを寄せている。

可愛いよ。

「司書の先生が言ってた、”ちょうどいい”っていうのは?」

「んー、ストーリーの重みかな」

確かに、この本はちょうどよかった。

「私、人の重い感情とかシリアスな話とか、登場人物に自分を重ねちゃうの。それで、”あー、ここ私と一緒だなあ”って、自分の嫌な所をどんどん掘り下げられているみたいで、それ以上読みたくなくなっちゃうんだよね」

「それは、なんか大変だねえ」

「かといって、底抜けに明るい話も眩しすぎて読めない」

この『四丁目のフラワーショップ』は、そういう意味で私にちょうど良かったのだ。

花屋に来る人々の抱えている悩みや不安は、案外些細なものだ。

けれど当事者にとっては大きな問題で、

しかも、必ずしもすべて円満に解決されるでもなく、

ある種の諦めのようなものが、小説全体に漂っている。

でも、この変な世界観のおかげでフィクション感が強まって、割と自分から離れた物語として読むことができる。

司書の先生は、そこまで見透かした上で、この本を勧めてきたのかな。

なんか怖いな。


そのあとも、咲季とは色んな話をした。

といっても、ほとんど私が咲季の質問に答えていた。

否、答えていない。

好きな芸能人、好きな歌手、好きな服のブランド、好きなスポーツ、好きな食べ物、好きな飲み物…………

私はまるで答えられなかった。

ぱっと、思いつくものがないんだ。

改めて、空っぽな人間だなと感じる。

もっと自分に向き合えばいいのだろうか?

でも、

自分に向き合うのは、

なんというか、

とても、

怖い。

「怖いかあ」

「なんか、自分の嫌な部分に気付くかもしれなくて」

「確かに、そういうリスクはあるね」

図書委員の仕事もそろそろ終わり。

閉室間際になって、返却された本を棚に戻していく。

「次は?」

「た - 12 - 3」

本に書かれたコードと、棚の番号を照らし合わせる。

「あ、上だ」

太宰治の『人間失格』は、目の前にある棚の一番上に戻さねばならなかった。

よいしょ。

背伸びしながら、なんとか届かせる。

私の身長は低い方ではない。普通だ。

「私がやるよ」

咲季が、私の右手から『人間失格』を取り上げて、すんなりと棚に仕舞う。

あらやだ、かっこいい。

「ありがとう」と言おうとして、

振り返った瞬間、

咲季の顔が、目の前にあることに気付く。

どくん。

咲季の顔は飽きないと思っていた。

でもそれは、”慣れない”の間違いだったのかもしれない。

また、まつ毛とか瞳とか唇とか、

見てるだけで、なんか苦しくなる。

どくん。どくん。

あとはやっぱりいい匂いがして、

私の心臓が狂ったように早くなる。

どくん。どくん。どくん。どくん。

うるさいよ。

聞こえたらどうすんの。

そう考えていたら、

「あ」

背伸びをしていたのを忘れていて、

私は思わずバランスを崩した。

いや、崩しそうになった。

崩れなかった。

咲季が、支えてくれたから。

「ふふ、大丈夫?」

大丈夫じゃないです。

どくん。どくん。どくん。どくん。

大きな本棚が背にあって、

目の前には咲季がいて、

私の腕を掴んで、腰を優しく支えてくれている。

どくん。どくん。どくん。どくん。

もう、いいよ、離してくれて。

どくん。どくん。どくん。どくん。

あー。

…………やっぱり、もうちょっと。



昇降口に向かいながら、

いつか咲季が落とした寿司のストラップを机の上に置いておいたのが私だ、という話をした。

ストラップは、ガチャガチャのおもちゃらしい。

咲季の好きな寿司ネタは中トロらしいが、エビとイクラと鉄火巻きに600円も使った時点で、ばかばかしくなってガチャガチャは止めたそうだ。

まあ、賢明な判断だと思う。

「あれ、雨降ってないじゃん」

靴を履いた咲季は、あははと笑っている。

咲季はスニーカーなんだ。

「でも、油断してると降るかもなあ。私の家、駅からちょっと距離あるから不安だなあ。やっぱり傘買った方がいいかなあ」

私は、ローファーをようやく履き終えて、咲季に追いつく。

ローファーは歩きやすいとは言えない。

私もスニーカー通学にしようとして、買おう買おうと思って、結局買ってない。

「じゃあ、萌花、また明日」

「うん、じゃあね」

校門で別れる。

歩く。

んー。

雨の匂いがする。やっぱりすぐ降るのかもしれないな。

けれど、

咲季の匂いが、ずっと私の心に沁みついている。

どくん。どくん。どくん。どくん。

うるさいなあ。

ポケットに入っていた駒を指で弄んで、平静を取り戻す。



#100日後に散る百合


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