フリーライターというはたらき方を選んだこと
フリーライターのchimi86と申します。
2021年4月からフリーとして活動しております。
なぜ、私がフリーランスライターになったのか……。
それまでの過程を正直に書いてみようと思います。
興味のない方がほとんどかと存じますがご高覧いただけたら嬉しいです。
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これからフリーを目指す方、また、すでにライターとして活躍されている方々と共有したいと思い、私の経験を綴っています。
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パニック障害発症
パニック障害という病気をご存知でしょうか。
突然理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、吐き気、手足の震えといった発作(パニック発作)を起こし、そのために生活に支障が出ている状態をパニック障害といいます。
2011年の秋でした。
当時の自宅の最寄駅で突然襲ってきたのです。
身体の異常に、「これは助けを呼ぶしかない」と直感で思いました。
駅員さんに助けを求めた瞬間……息苦しさと、そして寒気と眩暈が……私を苦しめました。
私は、怖くて怖くて駅員さんの手を離すことができません。
初めての症状は、天井がくるくると回っている状態。そして息が苦しくて話すこともできない。でも後になって考えると心臓の痛みはなく気を失うほどの眩暈でもなかったのです。
「持病はありますか?」とかいろいろ聞かれましたが、答えることができません。
救急隊員が到着し、私の脈拍やら状況やらを詳しく見てくれていました。そして、「○○○かもしれないね」と。初めて聞く言葉に聞き取ることすらできないのです。しかし、次第に身体が元の状態に戻っていきます。それは不思議な感覚でした。
何事もなかったかのように……です。
「もう大丈夫になったでしょ」と救急隊員。
念のため、救急車まで移動しましたが病院には行く必要がないなと判断し、自宅に帰ることになりました。
自宅に着いてからも大変でした。
気が抜けた瞬間過呼吸になったのです。
かばんも抱え、服も着たまま横になるしかなかったのです。
私は、妹と住んでいます。
「救急車を呼んでほしい」と妹に頼み近くの病院に運ばれることに。
今考えると、過呼吸ごときで救急車を呼んで申し訳ないと思いますが必死でした。
ただし、過呼吸にあるあるなのですが病院に着くころには症状が治まるという。日にもよるのか、人にもよるのか。発作は短くて15分。長くて1時間で治まります。
病院の医師、看護士さんは察していました。
「パニック障害です。落ち着いたらささっと帰ってください」と。
そりゃそうです。
夜間診療でした。
いつ何時急患が運び込まれてくるか分からないのに、私みたいな大したことのない患者は受け入れたくないのでしょう。
病院での診断は「パニック障害」。
この日から通常の生活ができるようになるまでの約5年間。
この病気と闘うことになるのです。
ライター業開始
これから大変な日々が続くなんて想像もしていませんでした。
すぐ治ると思っていたからです。
それなのに、パニック障害の症状は翌日から表れてしまいました。
処方箋と救急車の代金を払うため病院に行かなくてはなりません。
病院までは1駅です。
たった1駅。
しかし……。
パニック障害を発症してからは、何もかもうまくいかなくなりました。
周囲は「気持ちが弱い」なんて言い方をしますが、自分でも何でこんな状態になるのかが分からないのです。むしろ、治したいのに治らないのです。
日々の生活でも支障をきたすようになります。
まずは、電車に乗ることができません。電車に乗ってまた過呼吸になったらどうしよう……と考えてしまうと逃げ場のない空間にいることができなくなってしまいます。これが、予期不安という症状です。
それは、電車だけではなく美容院、歯医者、映画館、劇場、バス、スーパー、薬局、狭い会議室などなど……。
私は、このまま一生自宅から徒歩で行ける範囲でしか暮らすことができないのかな……とも思っていました。
困るのは通勤です。
タクシーで出勤した日もたくさんあったと思います。
朝、改札までは行ける日もあれば、駅の階段を降りることすらできない日もあり、電車に乗ることができなくなっていきました。
どうしても乗らなければならない日は、妹や家族に付き添ってもらったり、1駅ごとに降りたり乗ったり。
椅子には座れません。すぐに電車から降りられるようにドアのところにいます。
こんな日々が続いても何とかしなきゃという思いはありました。だから、今日は改札に入ってみるとか、妹に別の車両に乗ってもらって移動したりとか……。
普通に電車に乗れるようになるまで約2年間かかりました。
やがて、メンタルクリニックに通い自分自身を受け入れることができてくると、徐々に回復している兆候が見えてきます。
自分の身体の状態が分かるようになってコントロールができるようになるのです。
そして、ある日転機が訪れました。
とあるテレビCMに目がとまります。
それは、スキルマーケット「ココナラ」。
妹が「これやってみたら?」と言ってくれたんです。
私は、元々文章を書くことが好きで得意な方でした。早速、ライティングというカテゴリーで¥500からスタートすることにしました。意外とすぐに依頼をいただけて書くことも増え、需要も増えていったのです。
「私、これ好きだな~」と本気で思いました。特に、依頼者から高評価や感謝をしてもらえるだけで、必要とされていることに感慨深い感情さえ湧いていたのです。
書くことが本当に楽しかった。それだけの思いでライターをしてみようと考えるようなりました。
小説との出会い
この頃、ある小説と出会います。
『ちょっと今から仕事やめてくる』
私は、最初に映画を見に行きました。長い間勤めていた会社を、パニック障害が原因で辞めてしまったことに少し後悔をしていたのだと思っています。
なぜ、私にこんなにも影響を与えることになったのか。
それは、誰にでもある仕事の悩みに対してポジティブにさせてくれるストーリーだったからです。
ストーリーはこんな感じです。
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心身ともに衰弱しきった主人公の隆は、線路へ飛び込もうとしたところを「ヤマモト」と名乗る男に助けられます。「ヤマモト」と交流することで徐々に元気を取り戻す一方で、彼のことを知れば知るほど募る不信感。果たして「ヤマモト」の正体とは。
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2017年5月27日公開
キャスト
・ヤマモト:福士蒼汰
・青山隆:工藤阿須加
・五十嵐美紀:黒木華
・大場玲子:小池栄子
・山上守:吉田鋼太郎
映画に感動したので、原作を読んでみたくなりました。
著者は、北川恵海さんです。
この小説との出会いで、私も文章を書こうと……
このときは漠然と思ったのを覚えています。
文章で人の心を惹きつける、そして人生観も変えることができたらかっこいいなぁと。
文章を書くことが楽しくて、「文章を書きたい」という思いは日に日に強くなっていたのです。
「文章の書き方」のような指南書をたくさん読みました。と同時に、小説を読むことも好きになっていました。
つまり、文章を読むこと自体が好きになっていたということです。
この作品が、私の人生を変えたと言っても過言ではありません。
本業と副業(ライター)の両立
2016年にライターを始めた頃は副業でした。本業を終え、夜の3時間くらいを執筆にあてるような生活を4~5年間。
平日のスケジュールはこんな感じです。
6:30 起床
↓
6:45 朝食・支度
↓
9:00 出社(会社によっては若干始業時間は異なります)
↓
19:00 帰宅 お風呂・夕食・自由時間
↓
21:00 副業開始(ライティング業務・営業・勉強)
↓
23:00 寝る準備
↓
23:30 読書
↓
24:30 就寝
副業でのライティング業務は体力と精神面で強くないとできません。
しかし、私は好きなことだったので何とかこなしていました。
「社員」という働き方をしなかったので断言はできませんが、社員だと残業があるでしょうし辛いと感じてしまう可能性はあります。
本業のはたらき方はとても重要だと思っています。
2020年頃から、徐々に本業の勤務時間を減らしながら副業に専念するというシフトに切り替えていきました。2020年くらいからライター業が軌道にのりはじめたので独立を決意したという流れです。
ライターとして活動することは本当に難しいと感じます。
ずっとココナラにお世話になっていましたが、手数料が高い(苦笑)ので、「クラウドワークス」などに登録をし範囲を広げていきました。
「クラウドワークス」は特に大手の出版社さんとの出会いがあります。(運が良ければ)経験や実績が仕事にもつながるので、ひたすら応募し、不採用、応募し、採用、応募し、不採用の繰り返し…。
プロの方々に記事の評価をしてもらえることや取材等の経験もできるようになることは最強です。
ある時思いました。
本業でもライティングすればいいのでは?と。
私は、ずーーっと金融関連の仕事をしていたのでいきなり出版社に転職することは勇気が必要でしたが、思い切って新しい分野に挑戦しようと決めました。
出版社では、美容系のまとめ記事を担当しました。
ここで感じたこと、
やっぱりいい意味でプロは厳しい!!!
周りにもたくさんのライターがいて経験やレベルもさまざま。
当然、私は下の下です。
一生懸命書くんだけど、社員の方々からは酷評の嵐。
さすがにメンタルが崩壊しました。
自分の出来なさと、そして出来ない私への社員さんからの目線が怖かった。
泣きながら書く日々が続きました(笑)。
そして気づいたこと。
それは、執筆するジャンルも重要だということ。
このときは、コスメ系の記事で詳しい人は本当に凄いし熱量が違います。この時点でもう、記事に差がついてしまうのです。
そして、私の記事を校正してくれる社員さんは男性。しかも「クッションファンデって何?」のようなレベル(笑)。そんな方に厳しくされ、「コスメのこと勉強してる?」なんて言われているのだと思うと、この上下関係バカバカしいと感じてしまったのです(情けない……)。
私は、上手にコミュニケーションをとることが難しくなっていました。
でも、書くことに自信をなくしてしまったらこれまでの経験の意味がなく好きなことが嫌いになってしまうので、ポジティブに考えるように切り替えたのです。
「私の文章力の問題ではなく、この媒体に合わないんだ」と。
そう言い聞かせるしかなかった……。
そこで、得意なことを挙げていったんです。
◆読書
◆金融関連
◆ミュージカル
◆SDGs
◆メンタルヘルス
そこに絞って応募をし始めると、
予想以上に記事が書きやすい。
そして、高評価をもらえる。
はじめて、書くことの楽しさと同時に「やりがい」「充実感」を得ることができました。
「強いジャンル」「特化した知識」これがあれば怖いものはない!
そう信じています。
フリーランスライターへ
突然襲った妹の病気が転機となり、フリーになる決心をします。
妹の病気とは……。
悪性リンパ腫。血液の癌です。
何も考えることができずに涙も出ませんでした。
このとき、私たちが話し合ったこと、
それは、「両親に報告をするかどうか」。
治療はすぐに終わって、2人だけのこととして隠せると思っていたのです。
しかし、そういう訳にはいかないと判断しました。
この日から、約1年半に及ぶ妹の闘病生活が始まります。
ロングヘアをショートに
妹は常にロングヘア、私はボブが定番となっていました。
私たちは双子で、しかも現在は職業も一緒という恐らく仲が良いと言われる姉妹です。
髪の毛を切ることに抵抗のあった妹を説得し一緒に切りに行くことにしました。
ボブに。そして病気で髪の毛が抜けスキンヘッドに。
現在はショートです。どのスタイルも似合っているんです。
闘病生活は、入退院の繰り返し。
仕事帰りに病院に寄る日々が続きました。会社と病院が近くてホントに良かった。
妹の大変さに比べたら全く大したことなく、むしろ顔を見ないと落ち着かない。そんな気持ちです。
想像以上に病気と闘うことは大変。妹は寛解するまで弱気なことを一切言わなかったけど、辛かったことは確かです。自宅にいても、なるべく一緒にいるようにしました。
主治医の言う通りの治療をおこないました。
抗がん剤治療→自家移植→放射線治療。
そんな状況の中、病院で妹が私に言ったのです。
「仕事楽しい? 楽しんでる?」と。
私の気持ちを見抜いていたんですね。そのときの出版社に私は合わせることができないでいました。
妹が闘病中にも関わらず、私は転職し、最終的には会社を辞めることになるのです。
とても妹不孝者です……。
2020年2月21日。長い闘病生活を終え、寛解することができました。
これは、妹の努力と根気の何物でもない。
本当に強い!!!「生きていてくれてありがとう」と今は隣にいるだけで幸せですし、妹のすべてを尊敬しています。
私はというと、全く楽しいと思えなかった出版社勤務生活を終了し図書館での非常勤として働くことを選びました。
それは、月14日勤務のため副業でライターに専念することができる。まだ通院が続く妹と一緒の時間をつくることが一番良いのではないかと考えたのです。
そして2021年4月1日より、フリーランスライターとしての生活をスタートさせたのです。
私らしいはたらき方だと信じて
フリーになること。今はとても大変です。
仕事が決まっても単価が安い、継続のはずが途中で切られる……。
でも、今のはたらき方を選んで正解でした。このはたらき方が私には合っているんだと過去を振り返りながら感じています。
このように導いてくれた人たちに本当に感謝しています。
恐らく、順風満帆にはいかないでしょう。
それは覚悟しています。
苦しいことから逃げていると言われるかもしれない。
これから新しいことなんて無謀だと思われるかもしれない。
それでも、私はこの道を選びました。
選んだはたらき方に自信をもつこと。
間違っていなかったと自信をもって人に伝えることができるようになるまで、やり通すこと。
それが、今私が抱えている目標です。
おわりに
最後までお読みいただきありがとうございました。
私が言えることは、苦しいと思う環境にいるのなら勇気を出して一度離れてみましょうということ。
自分を見つめ直すきっかけがあれば、新たな自分が見つかるかもしれません。
この選択が正しいのか否かは、私がライターとして成功することで決まるのかな。でも、正解であってほしい!!!
当然、マイナスなことを経験しなければ成長はしません。でも無理することは避けるべきだと思っています。
「こころ」と「からだ」の健康がなければ何もできないからです。
どうして、この世の中はこんなにも急いでいるのだろうと感じます。
もっともっと、ゆっくりでいいのにと。
私は、これからも私のペースで仕事をしていくし、
稼がなくちゃなんて考えないし、
年齢も関係ないし、
誰かと競争しようとも思いません。
自分の好きな仕事を丁寧に楽しんですること……。
それが、私が辿り着いた「私らしいはたらき方」なのです。
chimi86
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