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うそ

一つの嘘を
明らかに嘘だとわかるように
そっと優しく囁くようにつける人は

最高にセクシーだ。

嘘をつくことで、真実に、真理に近づくものなら尚更。

嘘をつくならそうやって

有無を言わさずついてくれよとそう思う。

くちびるから出るその嘘が余りにも美しさえすれば

何にも責めることなんてできないというのに。


津島美知子という人が居る。私は彼女が書いたとあるエッセイを、女性が書いたものの中では1番愛している。

美知子さんはもともと三鷹に住んでいたが、戦時中に地方に疎開していた。彼女の夫は三鷹にいるままで、そこで酷い空襲に遭うこととなる。空襲の後すぐに、夫は美知子さんに「家は半壊だ」と告げていた。

その後、一年ちょっとぶりに三鷹に帰った時の様子を彼女はこう書き残している。


下連雀の爆撃以後、彼はこの家のことを「半壊だ」と言う。今まで気にかかるので何度も念を押して聞いたが「半壊だ」としか言わない。ところが今目前の我が家は、そして入って見廻したところは、大した変わりもないように見える。私はなんのことやら分からなくなって「これで半壊ですか」と言った。彼は知らぬふりをし、小山さんは薄笑いを浮かべて、その表情で➖➖➖だまされていればいいのですよ、と私に語っていた。


このエッセイは何の題材で、この夫とは誰なのか...ここまで書いたら分かる人もきっといるだろう。太宰治である。
このエッセイは美知子さんが太宰との生活を振り返り書いた『回想の太宰治』という著書の一節である。

なんとつかなくてもよい、可愛らしい嘘であろうか。でも無駄ではない。太宰にとってはその空襲の恐ろしさをより鮮明に正確に奥様に伝えるために必要な嘘だったのである。【真実に近づくための嘘】だった。

津島美知子さんは太宰の生涯で最愛の妻とされる。彼が自死を図ったときの遺書には

美知様、お前を誰よりも愛していました。

と、書かれていたほどであった。

これだけでもグッとくるのだが、もっとクル一節がある。

美知子に出会う前、太宰は一回離婚している。そのときの事を知る親友 井伏鱒二に、美知子との結婚前に送った手紙がある。


この前の不手際は、私としても平気で行ったことでは、ございませぬ。私は、あのときの苦しみ以来、多少、人生というものを知りました。結婚というものの本義を知りました。結婚は、家庭は、努力であると思います。厳粛な、努力であると信じます。
ふたたび私が、破婚を繰りかえしたときには、私を完全の狂人として、棄てて下さい。


この結婚にそれほどの覚悟があるよと言ってのける。遊び多き、酒多き、天性の人誑しにここまで覚悟させた津島美知子。全てが美しく、胸に迫るものがあるが、その後もたくさんの女性と関係を持ち、美知子ではない誰かと自死を企てる太宰。嘘なのか、真実なのか。でもたった一つの真理を体現しているような、嘘の人である。


嘘には、たくさん愉しまされ、疎まれ、傷つけられてきた。でも、今でも素敵な嘘がつける人は好きである。そして、前につかれた嘘も、これから未来に出会う嘘も、どうか、真実に近づくための嘘であって欲しいと願うのである。




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ちぃころ
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