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渡米は突然に。5《最終章》

前回の記事はこちら。

海老蔵がアメリカにいく。

コロナ禍がすこしずつ落ち着くのは世の中にとって最高の状況だったが、わたしにとってそれは海老蔵がアメリカに旅立ってしまうことであり、複雑な心境だった。

「私たち、遠距離になるんやね・・・。」

うろ覚えだが、「俺についてこい!」とはいわない海老蔵に、まさか別れないよね?という遠回しの確認をするのがいっぱいいっぱいだった。

海老蔵はわたしと出会う数年前から準備をしていたことも知っていたし、そこまで人生を賭けて行動してきた人へ、付き合ったばかりの彼女が「わたしも連れて行って。」とまで言うのはおこがましい気がした。

わたしはアメリカのことも、行きかたも、どこに何があるのかも、何も知らない。

そして海老蔵のように渡米に人生を賭けてきたわけでもない。

お付き合いをすすめる中、わたしは日本で海老蔵からの連絡を待つしかできないと思うようになった。

もし遠距離になっても、付き合って間もない人といつまでお付き合いが続くのだろうか。付き合いたてで、そこまでまだ気持ちが追いついていない。

そして結婚と子供に希望をもっていたわたしは、このままズルズル遠距離で付き合っていていいのかと、葛藤し続けた。

海老蔵、渡米の日。


アメリカにくるまでの期間、その方法、必要だった費用やアレコレ、すべて書きだすと、あまりにもプライベートを含むので、そこは省略する。

が、結果的に海老蔵は日本にのこり、わたしとずっと一緒にいた。

夫婦になって1年、シングルベッドを置けばいっぱいいっぱいになるほどの狭いアパートで、今か今かとアメリカへ行ける日をまち続けた。

せっかちなわたしは、これほど人生でなにかを待ったことがなかった。

「三日坊主のわたしが1つのことを目指し、2年も忍耐強く待ち続け、ついにはそれを手にすることができた。」

アメリカ領事館での面接を終え、VISAが貼られたパスポートが届いたときは、なんとも言えない達成感をかんじた。

こうして、渡米を志してからの忍耐の2年間は、人生の中でも自信につながる大きな経験となった。

これは海老蔵の存在なくして実現しなかったと、彼に心から感謝している。

過去、もう結婚も子供も諦めて、日本で1人、田舎に引っ越して静かに生きよう。とまで考えたことはあったが、1人で日本をでて生きよう。など、想像したこともなかった。1人だったら絶対にアメリカにはきていない。

あの日、偶然であった海老蔵が、わたしをアメリカに連れてきてくれた。

渡米のときの荷物は、夫婦でリュック2つとキャリーケース1つ。

カリフォルニアの気候もわからなかったので、服は最低限に収めた。

貴重品(お金やパスポートなど)、首枕、最低限の服、iPad、カメラ、両親にもらった翻訳機、日記帳、生活用品(歯磨きや爪切りなど)、おばあちゃんとの思い出のテディベア、家族や先祖・子供の写真、それぐらいだったろうか。

オシャレなヒールや服、髪の毛を巻くコテ、お風呂のアロマグッズなど、旅行でよく持っていっていた着飾るものは一切おいて、生活を重視した最低限の持ち物だった。

起動に乗っていたお店も、家も、持ち物も、これまでの人生で積み上げてきたすべてを片付け、2人にはもう何も残っていなかった。

もう後戻りはできない。

30代と40代のおばちゃんおっちゃんは、こうして第二の人生を賭けて渡米した。

「渡米は突然に。」終了。

最後までお付き合いくださりありがとうございました。

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