道案内の練習

『みんなの日本語』の第23課では「~と」を学習する。使い方としては

1.Aが起こる → 必ずBが起こる:「お酒を飲むと、顔が赤くなる」
2.機械の使い方:「このボタンを押すと、音が大きくなる」
3.道案内(道を教えるとき):「あそこを曲がると左に銀行があります」

の3つ。

表現は多少違えど『できる日本語』や『いろどり』にも同じように「道案内」の練習がある。

この「道案内」の練習ははっきり言って今の時代に需要はない。『みんなの日本語』の課末聴解問題にも「外国へ行って道がわからないとき、どうしますか」というのがあるが、数年前から「グーグルマップを使います」という学生が増えてきた。

現実の生活の中で「道を尋ねる」という行為が非現実的であるようでさえあるので、練習としての意味がないように思う(実際に日本へ行った学生に聞いたが、グーグルマップを使ったので、誰かに聞くことはなかったと言っていた)「グーグルマップでいいじゃん」と思っている学生にとって「道案内ができようになる」などという「Can-Do」はもはや意味をなさないのではないか。

できないよりできたほうがいいかもしれないが、役に立つ場面というか使用場面がほとんどない。スマホがあれば十分だし、しかもほとんどの場合、そのほうが確実であるからだ。道を聞かれた場合も同じで、「あの角を~~」などと説明するより、グーグルマップ等を見せたほうが早い。

もうこの練習はせずに、ほかの練習を考えたほうがいいのだろうか。

いや、しかしと、人間はそう簡単には変われない。何とかして今の状況を正当化しようとする。自分にとって都合が悪いことについて、そうではないのだと解釈しようとする。みなさんにもそういう「抗い」はないだろうか。

そこで「道案内」について抽象度を上げて考えると、「手順を説明する」ということができるだろう。

日本語を使っての説明。こう言えば、「道案内」は「説明」の中の1つの状況であり、これができれば応用ができる。「まず・つぎに・それから」などの言葉を使わなくても、道案内をするときには基本的に「手順」が含まれている。

こう考えると、この「道案内(手順を説明する)」では、日本語を使って、それらをわかりやすく言えるということを目標に設定することができる。

ここまで考えなくても、頭の中にあることを、日本語で言語化することは、初級の学生にとってはまだまだ難しいことであるので、単純にそのためのトレーニングとでも言えばいいかもしれない。実際に難しく、そう簡単にできるものではないのだから。

私としてはこの「道案内」の練習はやめたくない。それは、この練習は単純に盛り上がるからだ。このような感覚もよくないのかもしれない。いや、よくないのだろう。しかし、当分はやめられないと思う。


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