「~んです」についての暴論
初級で学習するこの「んだ(のだ)」にはいろいろな機能があるとされている。
「説明」「確認」「言い換え」「納得」「命令」などなど、非常に多くある。日本語を教えているみなさんは一体どのようにして教えているのだろうか。もちろん初級ではその全ての機能を教えるわけではない。
私の場合はというと、海外で教えているということもあり(文法はベトナム人の先生の担当)、今は全く説明していない。以前は「説明」「確認」「強調」などの言葉を使って、「こちらのほうが聞きたい気持ちが強いですよ」というようなことを言っていたが、今では練習するのみである。
その理由は自分が学習者の立場で「こちらのほうが聞きたい気持ちが強い」と言われても、わからないと思ったからだ。もちろん、細かくこの言い方は「説明」、この言い方は「確認」などと言われてもわからないだろう。
そのかわりにこの「んです」を扱う以前から学習者に対して質問するときはできるだけ「んです」を使っている。それで答えられないときは「んです」を使わない言い方にしている。
これに意味があるかと聞かれてもわからない。不毛だと思う説明をやるよりはましだと思っている。
では、ここから「んです」についての暴論を始めたいと思う。
文法の説明ではどんなときに使うかを考えることから始めると思うが、この「んです」については機能が多すぎる(と思う)ので、まずどんなときに使わないかを考えた。
とはいえ特段真新しいことはなく、みなさんも自分で考えたりしてきたこととほとんど同じではないかと思う。
結論からいうと使わないときは
この2つであると思う。つまり会話においては「相手」がいるので、基本的に「んです」を使うことが前提であるのだ。
「5時に起きたんです」と言えば話し手が「5時に起きたこと」についてもっと話したいか、聞いてもらいたいかなどの含みが感じられる。(しかし、この説明を言ってしまうと従来の説明と何ら変わりがないのが悲しい)。
Aの「~行ったんですよ」も「起きたんです」と同様の説明ができる。これを「~へ行きました」とすると、ただの報告になり、会話が続かない。また「きれいですね」を「きれいなんですね」としても違和感はないが、「(思っていたよりも)きれい」というような含みが感じられる。
「んです」については基本的に使うとして、先に書いたような大まかな例外を言っておけば問題はないような気がする(「気がする」と無責任に書いたのは、これを考えたのが1時間ぐらいでしかないから)。
違いや説明を考えるときに、日本語教師として理解しておくものと、学習者に必要だと思うものをわけて考えることをときどき忘れてしまうので、こうやって書くのはいい。