かげ
4月、低調のまま過ぎてしまった。5月、少しでも浮上したいと思ってスタート。
重たくなるので書くのを控えたかったけれど、整理したかったので書き記してみる。冬、会いたくない人にスーパーでばったり会った。あちらもへの字口。わたしも。その日を堺に、暫く消えていた(忘れていた)怒りや恨みの気持がフッと沸いてくるようになった。思い出す度に、いなくなってほしいと思うし、不幸になればいい、と思ってしまう。こんなことを思ってしまう自分が哀しくて仕方ない。
ネットに救けを乞うと、わたしが持っている苦しみは仏教用語で「怨憎会苦」と呼ばれるらしい。大愚元勝さんのYou Tubeに辿り着いた。怒りは恨みに変わり、その恨みは結局、自分自身を滅ぼすと仰っていた。怒りや恨みを持ち続けることは結局自分を苦しめる。本当にその通りだ。他者に向けた怒りが恨みに変わり、自分の中で沸々と沸いて己を蝕んでいる。あれ?わたしこんなに心が貧しかったっけ…と余裕のなくなった自分が哀しい。
今現在起きている物事でなく、過去の出来事を思い出し再燃させて、本当に馬鹿みたい。しかしながら、思い出すと許せない。そして、許したいと思わない。
次に「許す」について思考が移る。わたしも生きている中で人を傷付けてきている。躁鬱で迷惑を掛けてしまった相手に許してもらえたり、許してもらえなかったり。お詫びすら出来ずにきている物事もある。私自身、たくさんの人に許されて今がある。
だから、わたしも許そう、とはならない。なれない。だから、苦しい。
忘れたいけれど、会ったら思い出してしまう。会いたくない。何で…何で!と本当は言ってやりたい。何で…何で…と亡き祖父母に問いたい。何で…中で…と神さまがいるなら聞きたい。
人間として未熟ゆえ、許すまで、許せるまで、未だまだ時間が掛かりそう。その前に自分が壊れてしまわないように、光の方を、愉しい方を向いていたい。