私の名前はなんといったか…もう思い出せません。 もうずっと昔に自分の体を抜け出して、それからは色んな場所をふわふわ漂いながら生活しています。これを"生活"っていうのかは疑問だけれど。 自分で自分の命を終わらせてしまいましたので、天国には行けません。かといって、地獄に堕ちることもありませんでした。体に着いてるこの翼は偽物です。ゴミ捨て場から拾ってきました。輪っかはある日、道端に落ちていたものを拾って使わせてもらっています。もし探している天使さんを見つけたら、お返しするつ
君のことが大好きです 僕は僕のことが嫌いでした ロボットの癖に何にもできやしないんだもの 君が与えてくれた温かさを胸に模って この先も忘れることがないように残しておいた 微笑んでくれた君の姿がどんな風に変わろうとも、多分、僕はずっと君が好きです 君のことが大好きです (※画像は高校生の頃に描いたものです。何を思って描いたのかは、もう思い出せません。)
幸せになれなくていい 幸せになれなくていいよ 君が涙をどれほど飲んで、その道を乗り越えてきたのかを忘れさえしなければ。 幸せになれなくていいよ 君の幼気な優しさを忘れさえしなければ。 たとえ報われなかったとしても、その気持ちを忘れさえしなければ。 幸せになれなくていいよ 君の頭にそっと手を乗せます ふわふわ頭を撫でてあげます 痛かったこと、辛かったこと、苦しかったこと、全部僕は覚えてるから。 忘れてもいいよ 君が生きていたことを 僕は絶対に忘れないから。
こんにちは あなたは私のホートスコピー 今日はご機嫌いかがですか? 眠れない夜が続きます 悪夢が私を唸らせます 怒鳴り声が響いて目を覚まします もういやだね こんなのは 終わらない日々に愛想が尽きてる 仕方がないねと鏡の中であなたが微笑んでいる 陽の光が部屋を満たして、暗闇が隅に逃げていきます 良い一日を どうか自分を見失わないでいてね
人間が首を吊って死んでいます。部屋は真っ暗で、幽霊以外はまだ誰もそのことに気が付いていないのでした。 幽霊は、鋏で縄の端を切ってカーテンレールから人間を下ろしてやりました。 幽霊はそのまま人間をテーブルの上に寝かせると、死んだ体に(メスなんて大層な品は持ち合わせていなかったので)台所から持ってきたナイフを入れて開いてみました。 幽霊は心臓を両手で大事そうに持つと、首を傾げて言いました。『心はどこにあるの?』 今度は頭を開いてみました。すると、また首を傾げて言いました。『
あなたはいつも、僕からの忠誠を欲しがった。 あなたがくれたのはいつも勲章だった。 僕の欲しいものはあなたは与えてくれなかったんだ。 ありのままの僕も、ありのままの愛情も無かった。 今も手にすることはできていない。 彼等が僕らに与えたのは「良い子」の勲章。 条件を満たさなければ、それすらも叶わない。 ただ生きているだけでは存在すら認めてもらえない。 僕は、居ることすらできない。 僕が欲しかったのは 例えば、温かな抱擁 優しい眼差し 穏やかな声 励ましの言葉 だが、あな
毎日ばらばは 今日もばらばら ばらばらの真ん中を歩いていく 上は果てがなく 地面もなく 右見ても左見ても まっしろしろ あてもなく歩いていく ちっちゃな命
時々「死んじゃおうか?」と頭の中で声がする。「それもいいね」と心で答える。私たちはそれをしなくてもいいのだ。選べるのだと思うとほんの少し心が安らぐ。
かつて、死ぬことが凄く怖かった幼い僕は 遠い昔に死んでしまった。 だから僕は幽霊みたいに此処に残るしかなくなってしまった。 冷たいフローリングの上で空を恋しがって、僕は今日もアスファルトに踏み出す。
あれが欲しいこれが欲しい、ああしてほしいこうしてほしいと望むより先に「ただ傍にいて欲しかった」という気持ちにもっと早く向き合えていたらどれ程変われただろう。けれども、その気持ちに気がついている中で受ける仕打ちが辛ければ、苦しみは増すだけなんだということもよく知っている。 代わりは無くて、巻き戻すのは地獄で、やり直すことはもうできない。 ただ出来ることは今の自分を認めて前に進んでいくこと。 苦しみは反復するし持続もするけれど、もしかしたら薄めることも、その期間を延ばす
眠ることが怖くなる夜も 目を覚ますことが怖くなる夜も それでもどうせ朝は来る。
鬱の先に何があるのだろう。望むべくは寛解である。それは明白だ。 だがそもそも何故鬱になるのだろう?遺伝的な要因もあれば環境的な要因もある。それは自然なことだ。誰もがそうなる可能性がある、そんな病だ。 「病は気から」と昔からいう。いつもの気分はどんなだろう?元気なふりをしても寧ろ虚しさに襲われるだけだ。それこそ経験から知っている。無様な道化になるのは心身共に良くない。結果的に自らを病ませることになる。それも自明のことだ。嘘を吐くのが結局一番良くないということだ。 「正直
幸せは蝋燭に灯る小さな火のようなもの。風が吹くたび揺れる火を見て一々怯えなければならないぐらいなら、私は自分で吹き消してしまう。 たとえ自分の手にライターがあっても、それがいつでも点くとは限らない不良品だとしたらどうだろう。その上、蝋燭があと何本残っているのかも分からないとしたら?心許なくて仕方がない。いつもそんな気分だ。 眼が慣れるのを待って、障害物が無いか辺りを見回す。自分を脅かす存在が近くに居ないか常に気を巡らせる。 でも、そんなこといつまでも続けられることじゃ
今年に入ってもう三月も半ばを過ぎた。明明後日は誕生日。漸くだかあっという間だか25歳になる。我ながらよく生きてきたような気もする。 近頃は宗教に関連した夢を見ることが増えたように思う。目が覚めると大抵は忘れてしまうのだが、私にとっての非日常であり日常だった記憶が整理されているらしい。随分と閉ざされた世界で生きてきたんだなと実感した。 宗教にはノルマが付き物だった。それこそ伝統仏教と根本的な質が違う所以だろう。元々長く務めていた〇〇という、私の実の名付け親である住職は左
何に対してもわかり易い物差しでしか物事を測れなくなることが怖い。
私は毎日更新される自殺者数に加わっていないだけなのではないかと時々思う。 駅のホームに立てば眼前に死があり、ベランダに立てばそこにも死があり、高い建物を見てはそこにも死の可能性を感じる。それを危険性とはどうにも呼べなく感じることが間々ある。 「あの高い梯子に登って行って、そのまま丁度良さそうな高さまで来たらパッと手を離してしまいたい。」 偶々外を出歩いていた時に見かけた屋上に貯水タンクのある建物に取り付けられた梯子を見た際の感想である。何の比喩でもなくただそう思う。後