目をつむって歩いてみた話
今日は新月。
新しいことをはじめる日。
決意を新たにする日。
*
決意を新たにしようにも、
例えば行ったことのない場所に行ってみることは、今はできない。
cafeで自分と向き合うことも、今はできない。
いつもの日常に、何か新しいこと、これまで経験したことのないことを、取り入れることはできないだろうか。
そう思った時に、ふと、
目をつむって歩いてみよう、と思った。
私の住まいは、閑静な住宅街に、ある。
周りは静かで、車もあまり通らない。ここから見通しの良い一本道をしばらく進むと、家に着く。
その一本道で、目をつむってみた。
普段、何も意識しなくても、歩こうと思えば、右足が出て左足が出ている。歩いていることに対して何も感じていない。ただ、歩いている。
それが、目をつむるだけで、
右足が地面につく音、
左足が地面につく音、
一つ一つがくっきりと意識される。
それだけじゃない。
一歩一歩踏み出すたびに、
その振動や筋肉の動きが
ダイレクトに自分の中で反響しているようでもある。
と同時に、あたまがフラフラしてきた。
歩いていたはずが、
一瞬、
あれ?今何をしているんだろう?
という奇妙な感覚になった。
なんだかふわふわしている…
歩けているのかな…?
少し怖くなって、目を開けたら、10メートルくらいしか進んでいなかった。でも、まっすぐ歩いていた。
そしてまた、目をつむって歩き出す。
さっきよりも、「歩けている」実感がある。
でもまたすぐにフラフラしてくる。
また怖くなって目を開けると、
今度は大きく左にそれて、
もう少しで植木にぶつかりそうだった。
そこから家まで、目をつむったり開けたりしながら歩いた。
目をつむってみると、いかに普段視覚から多くの情報を取り入れているかが実感できた。
目をつむるだけで、歩くということが、どこかに向かってただ進むという行為から、自分が自分の全身とつながる行為へと変わる。
ほんの5分くらいの出来事だったのに、
ちょっと冒険をした気分になった。
家に着いた時、なんとなく清々しかった。
現実は何も変わっていないし、ただ歩いて帰っただけだけど、なんだか今日感じたモヤモヤや不安やちょっとしたイライラは、感じなくなっていた。
今このnoteを書いていて、
つむるって、瞑ると書くんだよなぁ、と実感した。
瞑想の、瞑。
瞑想はまだあまり、上手にできないけど、
今日、目をつむって歩いてみて、少し、感覚が分かった。
明日の朝、この感覚を忘れずに、瞑想してみよう。
*
こんなちょっとした事でも、
いつもと違う、新しいことを発見できたのは、我ながらなかなかよかったのではないかと思った。
新月から、また新しい日々の始まり。
少しでも、世界の状況が、よくなりますように。
未来を担う子どもたちの健やかな成長を願って…。大切に使わせていただくことを約束します!