舞台「ホームレッスン」感想

舞台「ホームレッスン」を配信ながら観劇しました。
FANTASTICSの堀夏喜さんが出演されるということで知り、配信のおかげで見ることができました。ありがとうございます。
舞台の独特な緊張感、狂気に包まれていく様子は画面越しでも伝わってきて、見終わり緊張の糸が解けた瞬間にどっと心の重さを感じました。特に後半は意識が画面以外に向かず、演者の皆様の迫力や絶妙なBGMの使い方にぐぐっと引き込まれていました。

軽いあらすじは以下。
主人公の伊藤大夢は三上花蓮と結婚し、100の家訓がある三上家にやってきました。不思議に思いながらも、施設育ちで「社会適合のプロ」と自称する大夢は三上家に適合していきます。しかしある日、監禁されている花蓮の弟・朔太郎を発見することで歯車が狂い始めます……。

この舞台を見終わってひとまず考えたことは、
「『普通の家族』って何だ?」
ということでした。
見た方の感想を軽く見ていても、育った環境、今いる環境によってかなり感想が変わってくる舞台だろうと感じています。

この舞台の登場人物たちは「両親揃った仲睦まじい家庭」を「普通の家族」と捉えています(以後はこの意味でこの文章中でも使っていきます)。
私は割と幼い頃から両親が別居し父親が家にいた記憶がほとんどないため、三上家の気持ちも、大夢の気持ちも本当の理由では分かっていないと思います。そのためどちらに肩入れすることもなく、俯瞰的にこの物語を見ていました。

特に印象的だったのは2つ。
1つは大夢は最初に朔太郎を見た時には「こんなのおかしい!」と思っていたのに、花蓮の「家族知らないじゃん大夢さん!」の言葉で「社会に適合する」モードに振り切れ、ただひたすら家訓にしがみつくようになったのに、最終的には「今度はあなたが子どもを1人にするのね」(アーカイブも終わってから書いているので、細かい言い回し等の違いはご容赦ください)の言葉でハッと我に返る流れ。
最初の「家族知らないじゃん」の方は、得意の社会適合をしてくれれば平和になる、と思っての発言だったのだろうと推測できますし、最後は大夢の家族を失う怖さを知っていることを聞いたからこそ出た言葉だと思いますし、これから母になる、妻の花蓮から聞いたからこそ大夢にも効いたことは間違いないでしょう。
今後も山あり谷ありの日々となるでしょうが、何となくこの夫婦は何とかやっていけるんじゃないかなと感じました。

もう1つ劇中で印象的だったのは、朔太郎と大夢の対比でした。
「『普通の家族』が崩れていった」朔太郎と「『普通の家族』を知らない」大夢では、話が通じるわけがありません。朔太郎は普通の家族を知っている。大夢は知らない。
劇中のセリフにもありましたが、逆に「家族を失う怖さ」を大夢は知っています。朔太郎は、三上家の人たちは知らない。
共通の認識がないと、理解はできても共感はできない。私がこの舞台を俯瞰的に見ていた理由にも通じますが、本当の意味で相手のことは分からない。
家族を失う怖さを知らない朔太郎は反抗するという方法を選ぶことができたし、怖さを知っている大夢は更に厳格に家訓を守らせる、と真逆の方法を取った以上、この2人が会話しても、話は平行線のまま、むしろ状況が悪化するのは当然でした。ただこうなったからこそ、お母さんは大夢を反面教師として自分のことを冷静に見ることができ、家訓を止めることができたのも、皮肉のように思えて見ていて辛さもありました。
全てを壊す必要もなかった。ただ、余分な鎖さえ上手く切れればよかったのに。現実はそう簡単にはいかないものです。

さて。普通の家族であろうとしたために100の家訓があった三上家は、普通の家族だったのでしょうか?
一般的に見たら普通ではないでしょう。でもルールが無い家族も、普通の家族ではないようにも思えます。家族皆が気持ちよく生活できるようにするには、多少なりともルールは必要です。ルールが破滅していた大夢の家は、児相が介入するほどに家庭は破綻していました。この加減が難しいのは間違いありません。
三上家のお母さんは正解を辿れるほどにしっかりとしたルールを作りました。自分も、父も、子どもたちも、悩まず、安全なところにいられるように。
でも縛られたが故に朔太郎は反抗しました。ルールに不満があれば反抗する人がいる。破る人もいる。社会の仕組み自体をひっくり返そうとする人もいる。家族はもっとも身近で小さな社会です。

そもそも、「普通の家族」である必要ってあるのでしょうか?

私は物心ついた時から両親が喧嘩続きで、兄を含めた家族4人で旅行した記憶はありません。気づいた時には父親が家に帰って来なくなり、フルタイムで働いていた母親の帰りも遅かったです。一般的な視点だと、大変だったと思われるかもしれません。でも、私にとってはこれが「普通」でした。両親が喧嘩するくらいなら一緒にいない方がいいとも思っていました。大人になった今も思っています。
でも、やっぱり寂しかった、とは思っています。

三上家は家族を守るためにに家訓を作りました。私の家のように、大夢の家のようにならないために。
が、ルールをギチギチに縛って、そうあろうとし続けることは正しいあり方ではないと思います。合わないなら合わないなりに、ある程度の距離を持つことも、家族であるためには重要であると今の私は思っています。
でももし、自分が結婚したら?家族ができたら?守るべき存在ができたら……?

「本当の家族」に正解はありません。

家族という人間関係の中で、最良、最善を選んでいくしかありません。
たとえそれが、別れであっても。
今の私は、そう信じるしかないのです。
それしか、私の正解は今はないのです。

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