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長い文章は読まれない……?
「長い文章は読まれない」。
そう信じて、これまで雑誌編集やライターの仕事をやってきた。
私が携わってきたのは20歳前後の女の子が読むファッション誌で、ましてや“ギャル雑誌”と呼ばれる部類だったから、長い文章なんて多分そうそう読んではもらえない。
もちろん、ロングインタビューを掲載することもあるのだけれど、今のトレンドファッションやメイクの情報を入手するのに、若い女の子たちは長い文章なんて求めてはいないのだ。
ページを開いてまず目に入るのは、おしゃれでかわいいモデルさんのお写真。
次にタイトルや見出しが目に入って、大概の人がそこでおしまい。
小さな文章は、“読んでもらえたらラッキー”なのである。
「編集者って捨てることが仕事だからね」
出版社に入社する前に通っていたスクール時代に、講師を務めていた編集者の男性から言われた言葉だ。
これは実に深くて、ずっしりとした重みがあり、今でも私の心に鳴り響く。
せっかく取材したしなぁ。
こんなに写真撮ったしなぁ。
いっぱい話聞いたしなぁ。
そんな思いをぐっと堪えて断ち切って、いかに切り捨てられるかで、ページの出来映えも魅力も変わってくる。
本当は、欲を張ってあれもこれも詰め込みたい。
そんな感情がよぎるときこそ、この言葉を思い出し、誌面をつくり続けてきた。
簡潔であることこそ、正義なのだ! と。
だけど、いざ自分で文章を書いて読み返してみると、よくもまぁ、こんなにツラツラツラツラと……。
「いや、長いわ!!」と自分で自分にツッコミたくもなる。
書きたい言葉は沸るように次々と頭の中に浮かんできて、どーにもこーにも打ち切れないほど。
ネタ帳以上に、頭の中はパンパンなのだ。
簡潔でおもしろい文章を書くことは、実に、実に難しい。
もちろん、長い文章で素晴らしいものもたくさんあって。
先日、村上春樹大先生の『ねじまき鳥クロニクル』を拝読したが、大先生は「朝起きてキッチンでコーヒーを淹れて飲む」みたいな些細なシーンにも、余裕で2〜3ページくらいを費やす。
大先生による非常に細やかで、これでもかと長い描写は、物語の映像を頭の中でぐっと鮮明にしてくれるのだ。
しかし、私は村上春樹大先生ではないわけで。
壮大なプロットもストーリーも当然ありゃしない。
ツラツラツラと長い文章を奏でたって、大しておもしろいものができあがるわけもない。
そんなことを考えながら、noteやらテキストサイトを眺めていると、すごーく長い文章が人気だったり、いわゆるバズったりでしているではないか!
活字離れ活字離れと言われいる反面で、よくみんなこんなに長い文章を読むものだと感心してしまう。
一体エッセイとはどんなものなんだろう。
おもしろい文章って、どんなものなんだろう。
よくわかんなくなって、私は本棚から日本三大随筆のひとつである『徒然草』の文庫本をひっぱり出し、読み返してみた。
短い! 実に短い!!
こんなにも短いもんかね、と驚くほどに短く、そして簡潔だ。
「つれづれなるまゝに」から始まる、あの有名な序段なんて、わずか60文字程度である。
しかし、私は吉田兼好大先生ではないわけで。
この私が、「今日はなんかやることもないんで、1日中パソコンに向かって、心に浮かんできたどうでもいいことをあれこれ書いてたら、なんか変な気分になってきちゃったよ、あはは」なんて書き込んだって、きっと誰の心にも残りゃしない。
誰の心にも、響かない。
一体、おもしろい文章ってどんなものなんだろう。
こうして今も、心にうつりゆくよしなしごとを、ツラツラツラツラと無意味に奏でる前にゴミ箱へ捨てていく。
だって、捨てることが編集者の仕事だからね。
そう。きっと、長い文章は読まれない。
とかなんとか言ってたら、かれこれ文字数1500オーバー。
さて。そろそろこのへんで、切り上げねば。
「結局お前、長い文章書いてんじゃないか!」と、もうひとりの自分からツッコミが入る。
そうそう。
「長い文章は読まれない」。
そんなわけで。みなさんさようなら〜。