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西洋近代と日本語人 第3期 その9
1.はじめに
409. 前回、末尾にこう記しました。
「マルセル・モースは、近代文明の根底にあるこの逆説的な構造を、人格概念の社会史を語ることを通じて明るみに出した」(3の8:408)
「この逆説的な構造」というのは、《秩序の建設をいったん断念することを通じて秩序を建設する構造》ということです。
410. モースの説くところによれば、人格の概念は、先史時代の世界各地の文化において、仮面を付けた人々が儀式のなかで社会的役割を演技的に表現する役柄人物の概念から始まります。そして、そこから長い時間をかけて、自分自身であることがそのまま社会的役割の遂行となる西洋近代の人格概念に変化してきたのです。
411. 私の見るところでは、それとともに、人々に対する役割遂行の要請をいったん停止して、皆が自分自身であることを通じて社会を建設する、という逆説的な構造が近代社会に広く組み込まれることになった。人格の概念が表現しているのは、私が私であることは社会的役割の遂行である、という一個の逆説にほかならないからです。
412. 前回、この構造が現れている例として、代議制民主主義、市場経済、近代科学、近代藝術、という4つの領域を挙げました。代議制の民主政体は、人々の統治をいったん断念し、権力行使をばらばらの個人にゆだねてしまい、個人の討議、投票、実力行使など自由な活動を通じて統治権力を組み立てる、という仕組みです。
413. 市場経済も、商品の価値の判別を個人にゆだねてしまい、個人が生産者もしくは消費者として、自己利益が最大になるようにそれぞれ勝手に活動することを通じて生産と再生産の秩序を組み立てる、という仕組みです。
414. 近代科学は、同様に、真偽の判別をそれぞれの科学者にゆだねてしまい、科学者がそれぞれ勝手に探究することを通じて真理の秩序を組み立てる、という仕組みです
。
415. 近代藝術も、美醜の判別をそれぞれの表現者にゆだねてしまい、個人がそれぞれ勝手に表現することを通じて美の秩序を組み立てる、という仕組みです。
416. いずれも、全体の秩序の建設をいったん断念し、秩序を形成する力を個人にゆだねて、個人の勝手な行動から秩序が生まれるのを期待する、という構造になっている。近代文明は、この逆説的な構造を政治、経済、学術、藝術など人間生活にとって重要な領域で、積極的に利用するところに特異性がある。私にはそう見えます。
2.近代とは何か
417. すこし脱線しますが、近代文明の根底にこの逆説があるというのは、名の有る思想家が言っていてもよさそうです。しかし、ぴったりの文言を本で読んだ記憶がない。読んだけど私が忘れてしまったのか、山野を駆けめぐるうちに自得したのか、わからない。いつの頃からか、そこに逆説があるのだと思うようになりました。
418. ほかにも2つ、いつの頃からかそう思うようになったが由来がわからない、という思考の切れ端があります。両方ともすでに披露したことがある。
「人間は、よく知っているつもりのものに未知の側面が出現するとき、自分から独立に(即ち、絶対的に)存在するものをかいま見る体験をする」(2の38:1549)
「理性とは権力を内面化する装置である」(同上:1554)
419. この3つには論理的な繋がりがある。私は次のように考えています。
人は絶対(真実在)の秩序をかいま見ることができるだけで、絶対を直視してとらえることはできない。だから、絶対に近づきたいのなら、ばらばらの個人がそれぞれ絶対をかいま見ることを試みて、そのかいま見た体験を寄せ集めて綴り合わせ、暫定的に、絶対的なものの候補を組み立てるしかない。それぞれのかいま見た体験を寄せ集めると絶対的なものに近づく可能性があると言えるのは、個人は或る力を内に備えており、それによって絶対を追求することが、少なくとも可能ではあるからだ。
420. もうちょっと整理すると、(1)近代という体制は、絶対をかいま見る無数の個人の体験を、とりあえず寄せ集め、綴り合せて、なんとか絶対的なものの暫定的な候補を立てることで、成り立つ。(2)この手続きが成り立つ根拠は、個人の中に、自分の外に在る絶対的なものに向かう力が宿っているという信念、ないし信仰である。
ここまで整理すれば、逆説的な感じは消えて、近代がこういう体制だというのはむしろ当り前の意見に見えてきます。
421. なお、選ばれた人ならば絶対を直視できる、という仮定に立つと、その人だけが絶対を知る者で、残りの凡人はその人に服従する、という個人崇拝の権威主義体制ができます。この場合、絶対に向かう力は選ばれた人にだけ宿ることになる。
422. 絶対はかいま見ることすらできない、あるいは、そもそも絶対なんてものは無い、と考えると、今ある秩序の否定は無秩序にしかならないから、人は今ある秩序を守り続けることができるだけだ、という現状維持の権威主義体制ができます。この場合、絶対に向かう力は誰にも宿っていないわけです。
423. もちろん、以上はとても大ざっぱな話です。例えば、科学は誰にでも開かれているとされますが、実際には、正規の教育を受け、研究機関や科学者団体(学会)に所属して専門家と認められないかぎり、素人が何か言ってもまず耳を傾けてはもらえない。個々人の体験を寄せ集め、綴り合せるときに、素人の見解ははねられてしまいます。
424. このように、近代的な体制のなかには、覆い隠された形で権威主義が組み込まれている。また、権威主義的な体制のなかにも、特殊な例外として個人の活動の余地が組み込まれている。そういうことはしばしばあると思います。だが、総じていえば、近代の諸制度は 420 の(1)と(2)で特徴づけられるような体制をもっている、と言ってよいと思います。
3.モースの1938年の論文について
425. モースの論文の話にもどります。1938年の講演にもとづくモースの論文「人間精神の一カテゴリー――人格の概念および自我の概念」(以下「人格論文」と呼びます)に関しては、前回までに以下の2点はすでに述べました。まず、個人や人格や自我といった概念は、生得的でも自明でもなく、人類史のなかで徐々に形成された繊細で流動的なものにすぎないこと(3の7:359、3の8:388, 389)。また、モースが扱うのは人格の社会史であって、言語学や心理学による自我の分析ではないこと(3の8:394, 395)。これらを前提として、今回は、モースが素描した人格概念の社会史の概要を紹介し、検討します。
3.1. 仮面と役柄人物
名前と役割
426. 「この研究すべての出発点となった事実」(p.20*)として挙がっているのは、アメリカ先住民のズニ族(プエブロ族の一つ)の名前の話です。特に強調されているのは次の2点です。
「各氏族ごとに一定数の個人名が存在するということ、氏族の「配役表」のなかに各人が演じる正確な役割が規定されており、しかもそれはこの名によって表示されていること」(p.21)
幾つかの名前とその名前に結びついた役割が、各氏族で定められている。これはいったいどういうことなのか。
注*: マイクル・カリザス他編『人というカテゴリー』厚東洋輔、中島道男、中村牧子訳、紀伊國屋書店、1995年所収の、マルセル・モース「人間精神の一カテゴリー――人格の概念および自我の概念」のp.20。以下モースのこの人格論文を参照したり引用したりするときは、同書のページ数を示します。
427. まず、役割(role)といっても、モースの引用する民族誌を見ると、トーテム動物との関係づけや、それにともなう名誉の順位、あるいは親族関係の長幼の序列、または氏族間の優劣の序列など、その人物が社会的にどんな位置にあるのかを示す要素が主になっています。その人物が何をするのかという要素はあまり出てきません。
428. これらの各氏族の個人名は、社会的序列と結びついて、儀礼、行列、会議での席次の誤りなどが起こらないようにするはたらきを備えているとされます(pp.22-23)。秩序ある氏族社会は、こうして固有の名前をもった一定数の役柄人物から構成されている。
429. 役柄人物が担っているのは、「あらかじめ定められている氏族生活の全体性を、各人が自分に関係するかぎりで実際に演じること」(p.23)です。要するに、さまざまな儀式的集まりにおいて、仮面で表される役柄人物たちが一定の所作や発話をすることによって、氏族の活動が描き出されるということ。
430. 儀式としての仮面劇の中で、その氏族が何者であるのかが、つまり氏族のアイデンティティが、役柄人物たちを通じて定義される。こう言い換えてもよいでしょう。名前と役割が各氏族で定められていることは、それによってその社会の成り立ちとあり方を人々が確認することに結びついていると考えられます。
役柄人物と人間の生まれ変わり
431. 「役柄人物」という語は私の造語です。「ペルソナージュ」とルビを振ったとおり、フランス語の“personnage(s)”の日本語訳です。英語訳では“character(s)”となる。普通は「登場人物」と訳す。ここでは、儀式における仮面を付けた登場人物のこと。すぐに述べるように(433, 434)、この登場人物は、同時に特定の個人としても認知されている。〝儀式上の役柄であるところの実在の人物〟という分裂した含みを言い表すために、「役柄人物」としました。役柄とそれを演じる人物は、一つになっているけれど区別されもするわけです。
432. 役柄や序列と名前の結びつきは、全体としての氏族だけではなく、氏族内の下位集団にも見いだされるとされます。ここでいう集団は、親族集団や、古い人類学の用語で「仲間団体」(Fraternities)や「秘密結社」(Secret Societies)などと称された集団です。仲間団体や結社も仮面や儀式をもつ場合があります。
433. それぞれの個人は、氏族およびその下位集団(親族組織、結社、その他)に交差して帰属し、複雑な序列関係をもつことになる。各人は、一定の役柄や序列をともなった固有名を与えられる。この固有名は、世代を越えて受け継がれます。
434. すると、その名が示すのは、氏族生活における役柄人物だけではなく、ひとつの人格つまり個人でもあることになる。というのも、名前や仮面の下に、定まった役柄、序列、名誉などを保有する一個の連続した存在が、時空を貫いて、氏族の総体とは区別されるものとしてそこにいると考えられるからです。
435. こうして、社会的役割や序列を表す名前は、同時にその名前の下にいる個人をも指している。氏族社会の役柄人物は、人格ないし個人の原型と考えられるわけです。モースは次のようにまとめています。
「これらの個人の生が、氏族と氏族内の諸集団を動かす原動力である。これらの個人の生は、さらに、事物と神々の生命を支えているが、それだけでなく、事物の〝適切なあり方〟も支えている。また、これらの個人の生は、現世と来世での人間の生だけでなく、諸個人(男性)の再生も支えている。その生が、その個人の名前を有しているただ一人の跡継ぎの再生を保証するからである(女性の生まれ変わりはまったく別の問題である)。とすれば、私たちはすでにプエブロ・インディアンにおいて、人格ないし個人の概念を目の当りにしていることが分かるだろう。この人格ないし個人は、氏族に組み込まれているが、すでに、儀式における仮面、肩書、序列、役割によって氏族から切り離されてもいるのである。その個人は、同じ地位、名前、肩書、権利、任務をもった子孫の中の一人として、生きのびて再び地上に現れるのである。」(p.24)
役柄人物と人格
436. 率直に言って、モースの説明は、例示の具体性に乏しく、曖昧かつ多義的で、わかりにくいものです。彼はアメリカ先住民の参与観察を実地に行なったわけではなく、他人の報告から自説に必要な部分を抜き出して、普遍的な議論を組み立てている。どうしても分かりにくくなります。
437. 分かりやすくするために、いわば一種の絵解きとして、現代日本の歌舞伎役者の社会を考えてみます。歌舞伎界のことはほとんど知りませんが、市川團十郎とか尾上菊五郎とか、特有の名前が受け継がれていることは知っています。名前には格式と序列があり、血縁や養子縁組の網の目があって、歌舞伎役者全体の社会の、そのまた内側に複数の下位集団(成田屋、音羽屋、等々)ができている。網の目のどこに位置するかで継ぐべき名前がだいたい決まる。嫡流の名前があり、傍流の名前があり、序列上位の名前、下位の名前、隠居の名前、若者や幼年の名前等々もあるようだ。これらの名前の表す秩序によって歌舞伎界は成り立っている。そして、伝統ある名前を継げば、先代、先々代と比べられたりもする。
438. すると、例えば「市川團十郎」という名前は、歌舞伎役者の社会の役柄人物であると同時に、役者個人も指すことになる。役柄人物(名跡)にふさわしくなければならないし、かつまた役者個人の個性も発揮せねばならない。市川團十郎は、名跡として歌舞伎役者の社会に組み込まれているが、個人として切り離されてもいるわけです。
439. こう考えれば、役柄人物からできている社会において「人格ないし個人を目の当りにしている」(上掲)とはどういうことか、ある程度直感的に推測できます。個人は、伝統的な社会的役割とその個人の固有性の混ざった存在として、社会の中に位置づけられる。
440. 名前や役柄と生まれ変わりの繋がりがもう少しゆるいものとしては、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』が思い浮かびます。ホセ・アルカディオとアウレリャノという2つの名前が世代を越えて受け継がれて行く。40年以上前に読んだだけなので細部は忘れてしまいましたが、マコンドという土地に、無数の、と言いたくなるぐらい多数のホセ・アルカディオとアウレリャノが生まれて死んで行く。名前を受け継ぐ役柄人物の系譜を通じて、あるまとまりをもった世界が語られるというのは、おもいのほか普遍的な構造なのかもしれません。
441. モースは、北米南西部のプエブロ族だけでなく、北西部のクワキウトル族やオーストラリアの先住民にまで例示と検討の範囲を広げていきます。が、多義性が増すだけなので、それらはすべて割愛して、こうした民族誌から導かれる結論を示しておきます。
「非常に多くの社会が、役柄人物の概念には到達している。個人が家族生活のなかで役割を果たすのと同様に、聖なる演劇〔儀式〕のなかで個人によって演じられる役割という概念には到達しているのである。そのはたらきは、非常に原始的な社会においてすでに定式を作りあげており、現代の社会まで生き延びているのだ。」(p.34)
多くの社会が、肩書や序列をもつ役柄人物とその演技によって自分たちの社会を表現することはできている。そのはたらきは現代でも受け継がれている。簡略化すればモースはこう言っています。
442. 「そのはたらき」(the function)とあるのは、それぞれの役柄人物が自分たちの社会はどういうものであるのかを儀式的に表現するという、その社会の自己認識(アイデンティティの表現)のはたらきと解されます。そして、「定式」(the formula)とは、役柄人物ないし人格がその社会の自己認識を表現すること、およびその具体例のことであると考えられます。
2つの社会類型
443. 人類史の初期に位置する基礎的な社会は、一定数の名前によって表される役柄人物と、その生まれ変わりの個人によって構成されている。この考えは、モースが若いころから抱いていたものらしい。N・J・アレンによると*、1906年に『社会学評論 第9号』(l'Année sociologique, 9)に掲載されたモースによる書評の中に、ほとんど同じ考え方がすでに述べられている。
注*: N・J・アレン「人格というカテゴリー ――モース晩期の論文を読む」、カリザス他編『人というカテゴリー』(上掲426注)pp.59-91。
444. アレンの論文からモースの1906年の文章を孫引きします。
「無数の社会で、すなわちネグロ、マレー=ポリネシア族、アメリカ・インディアン(シュー族、アルゴンキン族、イロコイ族、プエブロ族、北西インディアン)、エスキモー、オーストラリア原住民などの社会で、家族や氏族の内部にみられる死者の生まれ変わりと名の継承のシステムが規則となっている。個人は彼の名と社会的役割によって誕生するのである。…(中略)…個人、名、魂、役柄の数は氏族ごとに限られている。氏族の生活は、常に同一な諸個人の再生と死の集合(総体ensemble)であるにすぎない。」(p.70、途中省略はアレンによる)
氏族には「死者の生まれ変わりと名の継承のシステム」がある。一定数の名と社会的役割があって、個人はその下に誕生する。モースは、この考え方を30年以上持ち続けていたわけです。
445. それにしても1906年の文章には、おそろしく広範囲の社会が挙げられています。ブラックアフリカから東南アジア、南太平洋、北米大陸、北極海沿岸、オセアニアまで、すべてひっくるめて「死者の生まれ変わりと名の継承のシステム」があると言われている。これは本当なのかどうか。これらの地域のすべての社会が「常に同一な諸個人の再生と死の集合」として存在するというのは、信じがたいものがあります。
446. アレンもこの点に疑問を呈していて、自分の研究領域であるシナ・チベット語系の諸部族の例を引いています。そこでは、トーテムその他いくつかの特徴は見いだされるものの、「魂、名、役割に一定の限りがあることは見出しえない」(p.83)と指摘する。「でもモースは狼狽などしなかったであろう」(同上)というのがアレンの見立てです。
447. なぜなら、「大多数の社会が、彼〔モース〕の考える両極端のあいだに、あるいは両端から離れたところに位置しているのは、明らかだから」(p.83)です。「両端」とは、一方の端が、一定数の名前と役割の下に生まれ変わりがある役柄人物にもとづく社会であり、もう一方の端が、それぞれの人が自己自身以外の何者でもないとされる人格にもとづく社会です。
448. だから、ほとんどの社会が、典型的な役柄人物の社会と、典型的な人格の社会の中間に位置する。仮面、名前、役割、儀式的舞踏、生まれ変わりなどの特徴的な要素も、現実の社会では、いくつか欠落していたり、度合いや様態が異なったりするだろう。もともとモースの課題は、役柄人物の社会から人格の社会へ移行する社会史を描くことでした。中間の移行の過程をどう語っているか、これから見ていくことにします。
3.2. インドと中国
449. モースは、インドと中国については、数パラグラフしか述べていません。特に中国についてはよく知らないことを認めています。とりあえず、インドと中国は、ラテン人のペルソナ(persona)と同様の概念を「最初にはっきり意識した偉大な太古の諸社会」(p.35)である。しかし、この二つの古代文明は、紀元前の最後の数世紀に、「消失させるためにのみそれを考えだした」(同上)と言っています。ラテン人のペルソナについてはあとで説明しますが、インドと中国では消失させられた「それ」とは、自我意識を核心にもつ個人という考え方です。
450. インドにおいて、サーンキヤ学派*は、自我とは錯覚にもとづいたものだと考えた(p.36)。仏教も自我は五蘊**にまで分解可能な合成されたものにすぎないと考え、修行者にその消滅を求めた(同上)。また、ウパニシャッド***は〈tat tvam asi****〉「汝はそれである」という真理を説く。「それ」とは「宇宙」であって、これは個我がそのまま宇宙であるという原理を表す(p.37)。
注*: 紀元前に遡るバラモン教の哲学派の一つ。
注**: 身体、感受、表象、意思、認識の五つの要素。
注***: 古代インドの一群の哲学文献。成立年代の特定はできないが、ときに世界最古の哲学書と言われるとのこと。
注****: 漢訳では伝統的に「梵我一如」とされる。モースは、英語ではほぼ逐語的に“that thou art”(つまり “that you are”)となると言っています。なお、グーグル翻訳によれば “that's what you are”。
451. 一方で、自我は合成されたものにすぎず、ひとまとまりの存在だと思ってしまうのは錯覚にすぎないと述べられている。他方で、真の我はそのまま宇宙であると言われている。この二つは、違う傾向の考え方です。でも、あえて共通点を探せば、日常意識する〝この私〟とは真の実在ではない、ということです。そして、私は無であるとか、宇宙そのものであるとか、やや常軌を逸したことが主張される。いずれにせよ、自我意識を核心にもつ個人の存在は斥けられています。
452. 中国について、モースは、友人のマルセル・グラネの知見にもとづいて、中国にもアメリカ先住民と似かよった制度があり、出生の順序、社会的序列と相互関係によって、個人の名と生活様式と面子が決められるようだ、と言っています。こうして中国は「個性から永遠で分解不可能という特性を一切除去した」(p.37)と述べる。中国では、個人の固有のあり方は社会的諸関係に吸収されてしまったと言いたいようです。
453. 中国に関するモースの所見は、マーク・エルヴィンが『人というカテゴリー』(上掲426注)の第8論文*で批判しています。エルヴィンは、個人の自覚化が西欧に特有の歴史的過程である、というモースの主張は「中国に関する限り、実質的に誤りである」(p.285)と明言します。例えば、屈原(前343頃~前278頃)の「個人的な孤独感」(p.286)は正当に評価されねばならない。そう述べて、長詩「離騒」の章句を多数引用し、解説しています。
注*: マーク・エルヴィン「天と地の間 ――中国における自己の概念」、『人というカテゴリー』pp.285-344所収。
454. エルヴィンの論文は、中国文明における自己の問題を、太古の詩経から現代の毛沢東思想まで数十ページで概観する興味深いものです。たしかに、私の貧弱な知識でも、中国に個人の感慨を述べる詩的伝統が無い、なんてことがあり得るはずがないのはわかります。
455. しかし、インドと中国の例からモースが言おうとしたことは、西欧以外の文明圏には自己意識や個人的感傷を述べる伝統が無い、などという成り立つはずもない見解ではなかった。そうではなくて、モース自身の言葉によれば、言おうとしたのは次のことです。
「人間的人格を、神以外の一切のものから独立した完全な存在者と見なす民族は、まれである」(p.38)
インド文明も中国文明も、また多くの他の民族も、人間は神以外には自然にも歴史にも社会にも一切依存しない、とは考えなかった。これが、モースの言いたいことだったわけです。
456. インドでは、個人は錯覚とされたり、宇宙と一体化されたりする。つまり形而上学的に解体されてしまう。中国では、個人は社会的諸関係の交点でしかない。いわば形而下的に解体されている。個人は、いずれの場合も独立し完結した一個の存在とは見なされない。しかし、西欧人は、個人を独立した完全な存在者であると見なす。すなわち、人間は神のみにみずからの存在を負い、他の一切に依存しない。
457. モースが指摘しているのは、はっきり言えば、ユダヤ-キリスト教的な人間理解は西洋だけのものだ、というまでのことです。20世紀初頭に西洋中心主義を排するとしたら、ある意味で自明な、この点の確認から始めなければならなかった。
458. しかし、モースの指摘は、反対側から、つまり非西洋文明圏の側からあらためて考え直してみると、新鮮な驚きをもたらします。西洋近代文明では、原理上、人格としての個人は、自然にも歴史にも社会にもまったく依存しない存在であるとされる。すなわち、人格は、「神以外の一切のものから独立した完全な存在者」(上掲)である。本気でそう考えている。
459. 日本語人の自然な反応は、「そんなバカな!」ではないかと思います。赤ん坊は社会のなかに生まれてくる。周りに世話されて、言葉をおぼえ、知恵と知識を獲得し、一人前になって行く。人間は自然と歴史と社会に育まれて人となるのだ。神以外の一切から独立だなんて、まさか本気でそう考えてるわけじゃあるまい。こう反応するのが普通でしょう。
460. あらためて考えてみると、日本語人にとって、西洋近代文明の人格の概念には真に驚くべきところがあります。その驚くべき概念へ向かう第一歩は、ラテン人によって踏み出されました。それを次に見てみましょう。
3.3 ローマ人におけるペルソナ
仮面と氏族
461. 英語の “person”、フランス語の “personne”、ドイツ語の “Person”などの元になった言葉は、ラテン語の “persona”「ペルソナ」です。“persona”には、いろいろな意味がある(468.1-468.3参照)。しかし、モースは簡潔に「この言葉はもともともっぱら「仮面」を意味していた」(p.38)と語っています。さらに遡れば“persona”という言葉も、そして祖先の仮面の制度も、エトルリア起源らしいと言われていますが、とにかく、古い時代のラテン人つまりローマ人には、「氏族の儀礼そして仮面、また保有する名に応じて演技者の身を飾る彩色、といった類の制度の痕跡」(p.39)が見いだされる。
「大体において、サムニウム人、エトルリア人、ラテン人は、われわれが先ほど後にしたばかり〔の北米先住民〕の環境のなかに依然として生きていた。それは、仮面と名前としてのペルソナ、儀式における諸個人の権利、またもろもろの特権からなる環境である。」(p.40)
462. 古きローマ人は、仮面と特権からなる氏族社会を生きていた。近代的な人格は、ローマ人の仮面を媒介にして、氏族社会の生活形式に明瞭につながっています。モースがプエブロ族から話を始めたのは、儀式における仮面を手がかりにして、西洋近代文明の人格の概念を人類史の古層に結びつけるためだったことが分かります。
家父長権からの独立
463. 仮面と結びついた氏族社会の役柄人物から、ひとりの人間としての人格に移行する過程は、ローマにおけるペルソナの変貌を見ることで浮かび上がるはずです。その第一歩について、モースはこう述べています。
「私見では、執政官ブルータスとその息子の伝説のような、自分の息子を殺す父親の権利が終ったことを物語る伝説こそは、息子が父親の生存中にさえペルソナ(persona)を獲得したことを意味するものである。」(p.41)
執政官ブルータスとあるのは、ユリウス・カエサルを暗殺した例のブルータスではありません。共和制ローマの伝説上の創始者、ルキウス・ユニウス・ブルータスのことです。
464. こちらのブルータスは、王を追放して共和制を始めたのですが、前王は王党派を使嗾して権力奪還を画策する。その陰謀に連座してブルータスの息子二人が捕まります。二人は裁判にかけられ、死刑執行人に首を刎ねられた。ブルータスは内心苦悶しつつも、執政官の一人としてそれを沈着冷静に見とどけた。(マイケル・グラント、ジョン・ヘイゼル『ギリシア・ローマ神話事典』大修館書店1988による)
465. この伝説への言及の要点は、父の存命中に息子が裁判にかけられ、他人の手で処刑されたことにあります。ローマの古い伝統によれば、家父長は子供、妻、奴隷たちの生殺与奪の権を握る者だった。しかるに、父親が生きているのにもかかわらず、息子が裁判を受け、他人の手で殺されてしまう。このように、息子が父親とは別のひとりの人間として扱われたことが、父とは別に息子がペルソナを獲得したことを示しているというわけです。
市民権と仮面
466. 伝説上のブルータスの息子たちの事例は、氏族名と祖先の仮面で定まる氏族集団とは別に、人々が独立の法的資格を獲得する過程の始まりを告げています。モースは詳細を述べてはいませんが、ローマの市民権は徐々に拡大されていった。「氏族のすべての平民成員が完全な市民権を獲得〔する〕」(p.41)ことになり、さらに「すべての自由民がローマ市民となる〔市民権を得る〕」(同上)こととなった。ペルソナは、ローマにおいて、一人前の市民たる資格という法的な概念として確立されて行きます。
467. しかし、氏族を表す祖先の仮面という含みもペルソナの意味として維持されました。
「ローマの元老院は、最後まで、一定数の家父長によって構成されていると考えられた。家父長は法的人格を代表しており、法的人格とは祖先の肖像(images)〔をもつこと〕だった。」(p.43)
元老院は、ローマの最初期から共和制期を経て帝政期まで存続しました。上の説明を文字通りに受け取れば、仮面と法的資格という2つの側面は、「ペルソナ」という語の意味として長く並存したようです。
468. ペルソナは多義的な語です。モースは仮面と法的資格について主に語っていますが、それ以外にもいろいろな使われ方をしたようです。ラテン語の“persona”の用例について、坂口ふみ『〈個〉の誕生』が、まとめてくれています。それを最後に引用しておきます。長いのですが、わかりやすい。ペルソナという概念を俯瞰することができます。
468.1. 「困難な語源的問題はさておいて、紀元前200年前後、第2ポエニ戦争のころには、すでにペルソナの語は、(1)劇場の仮面、(2)劇での人物、(3)たぶん役割、(4)たぶん文法での人称、などの意味をすでに持っていたと思われる。そしてこの語の意味を一挙に広めたのは(ほかの多くのラテン語のヴォキャブラリーにおけると同様)、やはりキケロだった。
468.2. キケロの用法としては、次のようなものがある。(1)法律の主体および対象としての個人、(2)社会的役割、(3)集団的人格(法人など、いわゆるコーポレート・アイデンティティ)、(4)尊厳を欠くとか持つとかする個人、(5)法的に、物と区別された人間、(6)個人の人格や具体的性質、(7)哲学的に、人間本性、一般的に理性を持つ物として、またはまったく個人としての人間。
468.3. キケロ以後は大きな発展変化はない。2世紀頃以降、もともと「人間」だった homo が次第に「男」の意味に使われるようになり、それにかわって抽象的な「人間」にペルソナが用いられるようになったと言われる。これには、人間を、哲学的考察のような抽象的次元ではないが、文学のような個性的次元でもなく、その中間の「法のもとなる人間」の次元でとらえるローマ法の発達が大きく寄与したらしい。ここには「万民法的ヒューマニズム」とも言うべき態度がある。このようにして、ローマ人の法的思考のうちで、ペルソナの語は、ギリシア語プロソーポン〔顔の意――引用者注〕よりもはるかに豊かに発達し、かえってプロソーポンの語義を広めるのに影響したことが指摘される。ただ、法的発展をのぞいても、それ以前に仮面と劇の人物という意味から、タイプ、性格、社会的・道徳的役割という意味への移行は、日常言語のうちで行なわれていた。また劇のヒーローの尊厳やユニークさのニュアンスも、この語に与えられていた。ペルソナとはこのように豊かな社会的・法的・道徳的意味を含む語として、キリスト教成立以前にラテン語のうちに確立していたのである。」(坂口ふみ『〈個〉の誕生』岩波現代文庫 2023、pp.177-179)
469. ずいぶん長くなってしまったので、今回は、ここまでにします。とにかく、氏族社会の仮面劇における役柄人物から、仮面を媒介にして、ラテン語の法的人格としての「ペルソナ」までを辿ることはできました。ここから、ストア派の哲学と初期のキリスト教を経て、近代の心理学的な人格概念に到達する過程は、次回に述べることにします。次回は、3月8日土曜日に公開する予定です。