西洋近代と日本語人 第2期[番外編2の13]
4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き)
4.4 愛の思想について
4.4.1 愛と意志
まえおき
502. 前回は、日野龍夫の論文「解説「物のあわれを知る」の説の来歴」*の論旨を紹介しました。そして、「物のあわれを知る」ことが現実世界における生き方の唯一の規範となったとき、社会はうまく機能しなくなる、と指摘しました。
注*: 日野龍夫「解説 「物のあわれを知る」の説の来歴」、日野龍夫(校注)『新潮日本古典集成 本居宣長集』(新潮社1983)。
503. 本居宣長によれば、「物のあわれを知る」とは、人間であれ事物であれ、そのものの本質に触れて感動することです。対象に深く感応して自分がおのずと動かされることを言う。これはまた、悲しいことは悲しがり、うれしいことはうれしがる素直な態度であり、物事をありのままに受け取って、感動を包み隠さずに表すような生き方を意味している。
504. これに反し、悲しいのをこらえて気丈に振る舞ったりするのは、もっともらしいことばかり書いた外国の書物のよくない影響である。それは国を治め人を導くためにうわべを飾ったもので、人間の本当の気持ちとは異なる。
505. 宣長の言うところでは、外来の書物に頼らず、わが国の歌や物語にある物のあわれを知る心をおし広めてゆけば、その心は、身を修め、家や国を治める道として十分通用する。親の子を思う気持ちを身に染みて感じれば、親不孝の子はいなくなる。民の苦しみや奉公人の辛さがよく感じられれば、思いやりのない主君や主人はいなくなる。他人の気持ちをこうして思いやれば、おのずと世の人のために悪いことをしてはならないと思うようになるのだ。
506. 元々、わが国は天照大御神の生れたすぐれた国であるから、人々の心も言葉も振る舞いも上品で素直であり、小賢しい理屈などなしに、こうして穏やかに治まって来た。他人の気持ちを配慮しつつ、自分の情緒を素直に表出し、まわりの人々は、「ああ、あはれ」と感じておのずと動かされる。かくして、物のあわれを知る心のみで、よい社会が成立するのだ。宣長の考えをかいつまんで述べればこうなります。
507. この状態は、他人の気持ちを批判的に吟味しない態度を前提します。他人の言葉や振る舞いの善し悪しを、なんらかの原理にもとづいて議論する態度は、「漢意」として排される。すると、例えば、不義の恋を現実に目にしたとき、それを不義として認知してその善悪を論ずる、といったことは推奨されない。人々はその哀れさにただ涙するだけになる。
508. 別の角度から見れば、これはまた、物のあわれを知る人々は、規範からの逸脱が起こらないように、相手の気持ちを推し量って自己抑制に努めるということでもある。規範からの逸脱は、こうして事前に抑制される。だから、ありうる逸脱を予測したり、逸脱を正確に事実認定したり、適正な方針を立てて逸脱に対処したりする、といった知性的かつ主体的な態度は育成されにくい。この意味で、物のあわれを知る心は、それだけ取り出せば、「知性を欠き、批判精神を欠き、主体性を欠いた精神」(日野「解説」545頁)というほかなく、それのみに頼って形成される社会秩序は、人々の相互束縛と自己抑制で動きが止まったような社会になる。こう批判したわけです(番外編2の12:501)。
宣長への問い
509. 前回、このように論じながら、いくつか問いを立てました。立てた順に述べると、以下のとおりです。
第一に、物のあわれと社会規範にかかわる包括的な問いを立てました。すなわち、「「物のあわれを知る」ことを原理とする立場が、現実世界の規範としてなぜ成立しないのか」(番外編2の12:456)
第二に、日本における愛の問題にかんする問いを提出しました。すなわち、「「物のあわれを知る」という規範が現実世界に置かれると、愛がどのような難題を抱え込んでしまうのか」(同465)
第三に、宣長的な理想社会への疑問を提出しました。すなわち、「宣長……の理想に沿った社会は、動きを止めた世界のように見えます。どうしてこうなるのか」(同494)。
第四に、宣長の思想そのものへの疑問があります。すなわち、「こういう〔動きの止まったような〕世界が現出してしまうについては、何か宣長のものの考え方と議論の立て方そのものに、それをもたらす原因がある」(同501)
510. 宣長の思想の根本にかかわる第四の問いをまず考えます。ここから、他の問いに答える手がかりが得られます。宣長の考え方そのものの問題点は、私の見るところ、以下の三つです。
511. (ア) 宣長は、『古事記』に語られる神代の世界を理想状態とみなした。神代の世界とは、宣長によれば、神々に操られて人々が動かされる世界である。神から人へのこういう一方的な操作は、神代以後も変わらずに維持されると宣長は考える。その結果、宣長の考察から、人間がみずから考え、決断し、行動するという次元が脱落してしまった。
512. (イ) 宣長は、人間の感情が事実認識にもとづくことを、明瞭にとらえていない。その結果、物のあわれを知ることの基礎に、事実を認識する知的な活動があることが洞察できなくなり、人間の知的活動を軽視することになった。一般に、感情は、事実認識の要素と、感情的な反応の要素から成り立っている。例えば、一軒家に深夜独りでいるとき、扉を叩く音が聞こえたら、人は恐怖を覚える。だが、風で飛ばされた小枝があたったのだと分かれば、恐怖は消える。この例は、事実認識にもとづいて感情が生じたり消えたりすることを示している。宣長は、しかし、物のあわれを例示する際に、事実認識の要素と感情的反応の要素を区別している場合としていない場合があって、その記述は一定しない。宣長は、事実認識によって感情が生じる機構にある程度気づきながら、その正確な把握に失敗した。そのために、知性の理解に不十分さが生じたと考えられる。
513. (ウ) 宣長は、物のあわれを知ることを高く評価する。すると、人間が人や事物に感応する受動的な側面が重視され、内発的・能動的な側面は軽視される結果になる。例えば、宣長は、物のあわれを知ることを、恋愛において、ある人が自分に向けられた相手の思いを擬似的に体験し、相手の思いの深さに動かされる、といった事例によって説明している(番外編2の11:430-433)。相手の思いに感情移入することで自分が支配されてしまう状態を、価値あることだと考えているわけである。宣長は、人が何かに感応して動かされることに関心があり、外からの影響を排してみずから動きはじめることには関心がなかった。
514. 以上のうち、(ウ)については、宣長の言葉を引いて、すでにある程度論じました(番外編2の11:430-439)。ただし、「人が……外からの影響を排してみずから動きはじめることには関心がなかった」という点には触れていません。この点は、(ア)と(イ)の論点に深くかかわります。宣長は、要するに、人間の主体性と知性と自発性に関心がない。いったい、いかなる形而上学(世界と人間の存在の理論)によって、そのような無関心に導かれたのか。それを見るために、(ア)と(イ)の論点を宣長の言葉に即して辿ってみることにします。
神道について、あるいは「道」とはなにかについて
515. 宣長の神代の世界についての見解を、ここまでは「神道論」と呼んできました。だが、宣長自身は「神道」とはあまり言いません。というのも、「神道はわが御国の大道なれども、それを「道」と名づくることは上つ代にはなかりしなり」(『石上私淑言』*402頁)という事情があるからです。神代の人々は、自分たちの生き方を、もったいぶって「道」など呼びはしなかった。たんにあるがままに生きただけだ、ということです。
注*: 日野龍夫(校注)『新潮日本古典集成 本居宣長集』(新潮社1983)所収。
516. 「美知」(即ち「道」)について、宣長は一家言ある。『古事記』に遡れば「美知」には「道路」の意味しかない。そう強調しています。「山路」「通ひ路」などの「ち」が元の言葉で、それに美称の「美」を付けて「みち」と呼ぶようになったのだ。中国から文字が入って来て、「みち」に「道」を当てた結果、「道徳」「天道」「道理」など、漢語の「道」の字義が、和語の「みち」にも当てはめられるようになり、混乱が生じた。
「されば「道」の字にはさまざまの義を兼ねたれど、「美知」の言はもとは道路の外の意なし」(『石上私淑言』401頁)
517. 宣長の目には、漢字の「道」の「道理」や「天道」といった用法に引きずられて、神代の生き方を「道」などと呼ぶこと自体が、中国の悪しき影響に映る。かといって何とも呼ばないわけにもいかないので、このように文句を付けた上で、「道」と言っています。抽象的・理論的な原則の意味ではなく、人々が踏み行なってきた事の跡の意味だ、と言いたいのでしょう。
518. 宣長が神代の世界について述べた代表的な著作は、「直毘霊」、「くず花」、「玉くしげ」の三つです*。「直毘霊」は『古事記伝』全体の序論としてその一之巻に含まれる。「くず花」は、儒者の市川匡麻呂が『末賀乃比礼』なる一書を著して宣長を批判したのに答えた論争の書。「玉くしげ」は、紀伊藩主徳川治貞の求めで「道のおおむね」を説いた書物です。これら三つは、執筆のきっかけが違うので、文体はずいぶん異なりますが、内容は重複する。以下、この三つの著作を適宜参照して宣長の古道論**を紹介します。
注*: この三つの著作は、筑摩叢書の一冊の、野口武彦(編注)『宣長選集』(筑摩書房1986)に収録されています。以下、引用と参照の頁付けは、この筑摩叢書版によります。
注**: 宣長研究では「神道論」でなく「古道論」と呼ぶことが多いようです。
古伝説の受容
519. 「玉くしげ」冒頭に、まことの道は、どんな国でも同じでただ一筋であるとあります。そして、まことの道は、日本だけに伝わっており、異国ではすでに失われたとする(「玉くしげ」167頁)。宣長の立場では、このように、記紀に記された古伝説、とりわけ『古事記』に記載された事柄は、この世の成り立ちとして世界全体に適用できるものなのです。その記載は、高皇産霊神、神皇産霊神から始まり、伊邪那岐伊邪那美二神による国生みを経て、天照大御神にいたる。
「天照大御神と申し奉るは、ありがたくも即チ今此ノ世を照らしまします、天津日の御事ぞかし」(「玉くしげ」168頁)
アマテラスは太陽そのものなのだ、というのが宣長の主張です。(なお、以下、地の文では「天照大御神」ではなく「アマテラス」と書きます。他の神についても同様。)
520. 儒者の市川匡麻呂は、「直毘霊」で宣長のこの主張を読み、これに異を唱えます。アマテラスが太陽そのものなら、アマテラスが生れる前、世界は闇だったことになる。だが記紀の記述は、アマテラス以前が闇だったようには読めない。だから太陽は天地の始めから天にあったのだ(「くず花」上76頁、注五*の趣旨)。
注*: この注五は、『末賀乃比礼』の一節を、筑摩叢書版『宣長選集』の編者、野口武彦が現代語で要約したもの。なお、『末賀乃比礼』は人文学オープンデータ共同利用センターのサイトで写真版を閲覧できます(http://codh.rois.ac.jp/pmjt/book/200020193/)。ただし、同サイトでは『末賀能比連』。野口の要約した箇所は、その3葉目の左頁半ばの一節に当たります。
521. 宣長は、辛辣に返答します。アマテラスの生れる前が闇ではなかったのはどうしてか、というのは、子供でも気づく疑問で、大のおとなの批判者が、ここで、子供と同じ幼稚な反論を特別なことのように言い立てている。そして、こう言う。このひとつの記述で、かえって神代の古伝説が真実であり、虚偽でないことを悟らねばならないのだ。もし後代の天皇が造った虚構なら、こんなに浅はかで、人が信じないようなことを造るだろうか(「くず花」上77頁)。言いかえれば、子供でも疑問に思うような荒唐無稽なことが記されているからこそ、かえって真実なのだ、作り話ならもう少し信憑性のある話をするだろう、というのです。
522. なんだか昨今のSNS上の〝論争〟に出て来そうな屁理屈で、これが偉大な文献学者にして優れた文学理論家の応答だろうか、と残念な気持ちになります。だが、『古事記』は丸ごと真実だ、という考えは宣長の不動の信念だった。石川淳はこれをキツネがついている、と言っていた(番外編2の12:481)。私たちにはどうすることもできません。とはいえ、宣長の考えが、まったく理解を絶した狂信者のものだとするのは当たらない。この問題について、十分に理に適ったことを語ってもいるのです。
523. まず、宣長は言います。「すべて神の御所行は、尋常の理をもて、人のよく測り知ルところにあらず」(「くず花」上77頁)神の行ないは人間には測り知れないのに、漢籍の悪影響を受けた人は――と、例によって、中国文明をけなすのはがまんして聴くことにして――「聖人の智は、天地万物の理を周く知尽せる物と心得居る」(同78頁)せいで、知り得ないことも無理に知ろうとする。そのため、理由の測り知れないことに出会うと、それを信じず、理が立たないなどと批判する。賢そうに聞こえるが、かえって当人の智の小ささを表すだけなのだ(同上)。
524. 摩訶不思議なことに出くわしたら、まず事実を受け入れよ。既知の原理で割り切れないからといって、事実を認めないのは狭量である。宣長はこう言いたいようだ。そして、この言葉だけ切り取れば、宣長は一般的に正しいことを鋭く指摘している*。宣長の言うとおりなのです。論より証拠、眼前の事実は受け入れるべきなのです。ただ、『古事記』の記述を事実として受け入れよという個別的なところに、キツネというか何というか、闇の力がはたらいている。
注*: 西洋では、中世末期から初期近代にかけて、アリストテレスの自然学理論にうまく合わないような観察が積み重ねられました。既知の理論にこだわらず、事実を受け入れよ、という方針から近代科学が生れてきます。
525. アマテラス以前、世界が明るかったのは「その然る所以の理は、もとよりこれ測りがたきところ」(「くず花」上78頁)である。また、かつてはそうやってなぜか明るかったのに、アマテラスが生れてからは、アマテラスが天の岩戸に隠れると闇になったのはなぜか。「これらも又然る所以の理は、はかりがたきところ」(同79頁)なのだ。だから『古事記』はつじつまの合わない作り話なのだ、とはならず、人智を以ては知り得ないことが記されているとされます。理由はわからないが、『古事記』に記された通りなのだ。宣長の考えは、結局ここに落ち着くのです。
探究心と静観主義
526. これにからんで、宣長はちょっと興味深い議論を展開します。神代のことは奇異に感じ、人はそれを怪しみ疑うが、つらつら思いめぐらせば、この大地は空に掛かっているのか、物の上に付着しているのか、いずれにしてもはなはだ奇異なるものではないか。物の上にあるのなら、その物の下は何物が支えているのか。漢土には、地球は円体で天中に包まれて空に掛かっているという渾天説などもあるが、国土大海が空中にあって動かないなどというのは奇異だろう。その天は際限があるのかないのか、そのどこに地球がとどまっているのか、すべて奇異である。
「かくの如く大に奇異き天地の間に在ながら、そのあやしきをばあやしまずして、ただ神代の事のみあやしみて、さることは決て無き理也と思ふは、愚にあらずして何ぞや。」(「くず花」上80頁)
神代のことだけではない、いま現在の大地のありかたそのものが、わけが分からないといえば、わけが分からないのだ。それなのに、神代の事だけ理屈に合わないなどと思うのは、愚かなことだ。そもそも、目にものが見えるのも、耳に音が聞こえるのも、鳥や虫が空を飛ぶのも、草木の花が咲き実がなるのも、みなわけが分からないといえば分からないではないか(同80-81頁)。
「されば此天地も万物も、いひもてゆけばことごとく奇異からずといふことな〔し〕」(同81頁)
527. およそ、ありとあらゆることが、そうある理由は分からないという意味で、不思議であり奇異ではあるのだ。森羅万象に対するこの不思議さの感覚は、宣長が常識に違和感を覚える孤立した人だったことを示すかもしれません。宣長の考えは、しかし、神代の伝承も現在の出来事も疑って、根本から考えなおそう、とはならなかった。現在の出来事をそのまま受け入れるのと同じく、神代の伝承もそのまま受け入れるべきだ、という方向に進んでしまう。
528. 宣長のなかには、慣れ親しんだことにも不思議さを見出す旺盛な探究心と、与えられたものに安住する受動的な静観主義が同居しています。『古事記伝』の厖大な注釈は、その探究心の産物であり、人間は善悪二神に操られる存在だという受動的な人間観は、その静観主義の表現でしょう。
神々と人々
529. 世の中のありとあらゆることは、自然の移り行きも人間の身の上のことも、「みなことごとく神の御霊によりて、神の御はからひ」であるが、神には尊卑善悪邪正さまざまあるので、世の中のことも吉事善事ばかりでなく、悪事凶事も混じり、国の乱などもときどきは起る(「玉くしげ」177頁)。悪なる神々は禍津日神の御霊によってはたらく。そして、「禍津日神の御心のあらび〔荒び〕はしも、せむすべなく、いとも悲しきわざ」(「直毘霊」52頁)なのだ。この神の心が荒れるのは、アマテラスでもタカミムスビでも止めようがない。悪なる神々も善なる神々と拮抗する力をもっている。
530. 宣長は、神とは何かについて、『古事記伝』で、記紀に見える神々のほか、社の祭神、人はいうまでもなく、鳥獣草木海山など、なんであれ尋常でなくすぐれたものがすべて神なのだ、と注釈しています。そして、すぐれたるとは尊いとか善いとか勲功があるといったことだけではなく、悪しきもの奇怪なものも、抜きんでて畏れおおいものをカミという、と注意します*。
注*: 「さて凡そ迦微とは、古御典等に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐ス御霊をも申し、又人はさらにも云ハず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其餘何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云なり。すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪しきもの奇しきものなども、よにすぐれて可畏きをば、神と云なり〔以下略〕」(『本居宣長全集 第九巻 古事記伝』(筑摩書房1968)三之巻、125頁)
531. だから、悪神のせいで、ときには北条や足利のように、アマテラスの直系である朝廷をないがしろにする者たちも現れたりする。しかしまた、悪が善に勝つことがないのは神代の道理として示されており(「玉くしげ」181頁、「くず花」下141頁)、そういう逆臣は皆滅び、朝廷は、天壌無窮の神勅のとおり、厳然として動かない。
「これ豈人力のよくすべきところならんや。又外国のよく及ぶところならんや」(「玉くしげ」181頁)
アマテラス以来わが皇統は絶えることがないのに対し、異国では王朝の交替が頻繁におこり、書物には天命、天道などとあるものの、それらは君主を倒して国を奪い取った悪党どもの口実にすぎない。(この点について、例によって中国文明をけなす言葉がいろいろありますが、略します。)
532. このように世の中のありさまは、「万事みな善悪の神の御所為なれば、よくなるもあしくなるも、極意〔究極〕のところは、人力の及ぶところに非ず」(「玉くしげ」185-186頁)というほかない。では、すべてを神にまかせて人は何ひとつ干渉しなければよいのかというと、そうではない。人もその身分に応じて必ず行なわねばならないことがある(「玉くしげ」188頁)。
533. 神代に定められたこととして、顕事と幽事というものがある。オオクニヌシが、アマテラスの孫、皇孫尊に国を献上するとき、皇孫は天下のまつりごとを担当することになった。これが顕事である。一方、オオクニヌシは、天下の治乱吉凶、人の禍福など、顕わに知られぬわざを担当することになった。これが幽事である。(「玉くしげ」187頁)
534. 世の中のすべては神のはからいなのだから、顕事も幽事の一種ではあるのだが、この二つには確かな違いがある。人形遣いに譬えると、幽事の場合、神が人形遣いで、人間は人形である。顕事の場合、神が人形遣いなのは同じだが、人形に首や手足があって、それなりにうまく作動するがごとくである(「玉くしげ」188頁)。言いかえると、幽事では、人間は神に操られ翻弄されるだけなのです。だが、顕事である天下のまつりごとにおいては、人間の側も身分に応じてそれなりの活動をせねばならない。こういうことです。
535. というわけで、今の世の人は、今の世に定められた掟を謹んで守り、「己が私のかしこだての、異なる行ひ」(「玉くしげ」193頁)を行なったりすることなく、行なうべきことを行なうよりほかのことがあってはならない。「これぞすなはち、神代よりのまことの道のおもむきなりける。」(同上)こう述べて、「玉くしげ」は閉じられます。
伝承と個人
536. 「己が私のかしこだて」とは、自分の勝手な利口ぶったやり方、というほどのこと。漢籍の言葉を受け売りしたりするのはその例になる。たとえば、『古事記』によると、人は貴賤善悪の区別なく、死ねば皆よみの国へ行く(「玉くしげ」178頁)。これが神代からの伝承であり、事の真相である。これに対し、異国の書物では、人の生き死にについて、陰陽や輪廻などと賢げに説いている(同179頁)。伝承をかえりみず、そういうもっともらしい言葉を信ずるのは、宣長に言わせれば、「己が心を信ずるといふものにて、返っていと愚かなること」(同上)である。
537. 「己が私のかしこだて」は、おそらく「己が心を信ずるといふもの」と評することが可能です。自分の勝手な利口ぶったやり方は、伝承をかえりみず、自分の心を信じる姿勢にほかならない。これを宣長はまったく愚かなことだと考える。自分の心ではなく、伝承を信じなければならない。個々人の思いつきや思い込みなど何ほどの価値もない。宣長はそう言いたいようです。
538. 宣長自身は、しかし、『源氏物語』の従来の解釈をすべて斥け、まったく新たに「物のあわれ」の説を唱えたのだった。その行動は、まさしく「己が心を信ずるといふもの」であり、「己が私のかしこだて」そのものです。
539. 行動と主張は誰しもしばしば食い違う。宣長は、通説を疑い、自分で確かめたことだけを真理と認め、権威に決して譲らなかった。これは、言ってみれば、近代的な、懐疑する個人の行動です(番外編2の2:52、56)。だが宣長の古道論の説くところはそうではない。伝承に従い、自分の判断を差し挟まないようにせよと説く。これは懐疑する個人を認める思想ではありません。
540. 懐疑する個人は、どんな社会にも生息する天然自然の存在なのでしょう。しかし、懐疑する個人を肯定する思想は、歴史と社会の産物であって、天然自然のものではない。宣長本人はみずから考え、決断し、行動する人間だったようです。しかし、宣長が肯定する思想からは、人間がみずから考え、決断し、行動する次元は抜け落ちてしまった。こうして、宣長の思い描く理想社会では、人間は神々に翻弄されながら、伝承に従い、身分に応じて適正に振る舞い、自分勝手なやり方はしないものとされることになったわけです。
宣長的理想社会と物のあわれを知ること
541. 最後に、こういう社会では、物のあわれを知ることはどのように成り立つだろうか。古道論そのものには、物のあわれの説は出て来ないので、古道論が記述する社会のなかで人間同士の関係がどのように成り立つのかを考える必要があります。
542. 伝承を重んじ、それぞれの人が身分に応じて行なうべきことを行なう社会では、人間の相互関係も、身分に応じ立場に応じて一定の仕方で成立するでしょう。そのとき、他人の真情を推定したり、感情移入したりすることは、けっして難しくない。親の子を思う気持ちは常に切なるものであり、奉公人は常に辛いのだとすれば、子が親不孝をせず、主人が奉公人を思いやることは容易になる。物のあわれを知ることは、宣長的理想社会では、状況に応じた定型的なやりとりとして、案外滞りなく成立すると思われます。
前途瞥見
543. 冒頭に掲げた宣長への問いの第四を取り上げて、その(ア)について宣長の古道論を見て来ました。この過程で、宣長への問いの第三にすでに回答したことになります。個々人の自発性が奨励されない社会で、伝承を守り、お互いを思いやって暮らすとき、神代のような理想社会がそこに現れる。これは、しかし、動きを止めた社会というほかない。どうしてこうなるのかは、神々と人々の関係のあり方によって既に説明されています。
544. 次回は、第四の問いの問題点(イ)について考えます。ここから宣長への問いの第二、物のあわれを知るという規範が現実世界に置かれると、愛がどんな難題を抱え込むのか、に答えます。次回の末尾で、第一の包括的な問いにも答えられると思います。
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