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映画記録①「君たちはどう生きるか」

遅めの夏休みをもらって、観てきました。
宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」
この映画をもって静かに引退ということなら、とっても美しい去り方だなと。ジブリらしく楽しい反面、監督からのメッセージが問いかけだったからか、今までよりも作品が静かだった印象があります。

先入観なしに事前情報0で見ています。
(※以下、ややネタバレありますので、ご注意ください。)
賛否あるとは聞いていますが、私はタイトル通り、観ている側に「どう生きるか」と宮崎監督が問うた作品だとストレートに受け止めました。

過去の作品を思い出す場面も多かっただけに、スタジオジブリの壮大なエンドロールを見ているようでした。ここまで自分はやった、こんなことを伝えてきた。さて、これからあなたたちはどうしますか?お手並み拝見、と。

今作で、世界を創り上げてきた大叔父は宮崎監督。眞人は視聴者。
ここまでやってきたんだけど、まだまだ道半ばと大叔父が眞人に伝える場面があります。だから世界を継いで作り変えてほしいと。
これは後進へのメッセージだった。でも眞人はこれを断ります。自分にはすでに悪意があるから、悪意のない世界は作れないと。
そして、大叔父の作り出した世界は失われ、眞人は元の世界に戻っていく。

眞人は小さな石を1つ、ポケットに入れて持ち帰っていたので、異世界の記憶が残ることになりました。それを見た最後のアオサギの言葉が印象的で。
あーあという呆れたような表情で、こんなことを言います。
「こんなの、たいした力のある石じゃない。そんなんじゃどうせ記憶も忘れてしまうだろう。…でも、それでもいいんだ」と。
この言葉に「これは親心だなあ」と、胸を打たれてしまったのです。

子育ては、それこそ何もできない赤ちゃんの頃から色々と親が試行錯誤し、懸命に守りながら育み、自分にできる限りの知識と経験を湯水のように惜しみなく与える、その繰り返しです。
でも、子供の記憶に残るのはその一部だけ。これでもか、これでもかと与えるのに、親が思うほどには残らない。多くを忘れてしまう。

でも、いいんです。

必ず何かが伝わっている。ほんの少しでも、思ったような形じゃなくても、それでも自分は確かに伝えた。きっと伝わっていると信じる。
バトンは確かに繋いだのですから。
今、芽吹かなくても、いつか何か別の形で咲くかもしれないよ。
少なくとも、自分にやれることはやったよ、という納得感のようなもの。

私は、小学校時代、毎週トトロの「さんぽ」の曲に合わせて小学校の全校集会に入場し、地元の合唱団でラピュタの「君をのせて」を歌い、箒にまたがって遊び、夏には「ほたるの墓」を観ていました。初めて映画館で立ち見したのが「もののけ姫」で、友達との初の映画鑑賞が「千と千尋の神隠し」だった世代です。

ジブリをリアルタイムで見続けることができて、幸せでした。
この年になって、今度は娘と一緒にポニョとトトロを観ています。
宮崎監督、もう作品作らないんだろうな。年齢的にも厳しいよね。私の勝手な解釈ですが、そう考えて映画の帰り道、少し泣きました。

才能はその人自身のもの。だからいつかは失われる。先に行ってしまうから。惜しい、切ない、悔しい、もっと見せてほしい、そんな気持ちになります。でもそれを超える未来への期待も一緒に頂くことができました。

宮崎監督、今作もとても楽しかったです。
ありがとうございました。

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