「自称HSP」でもいいじゃない
HSP同士で「繊細ヤクザやめろ」とか「お前なんてHSPじゃねぇ!」とか、影で言い合ってるのを見ると悲しくなる。「○○さんがHSPだと言ってたけど違うと思う」みたいに思っちゃうことってありますか??
結構よくあるジャッジですよね。
私も昔はジャッジしがちだったけど、今は「本人がHSPだって言うならHSPなんじゃない?」と思ってる。HSPなんて自称でいいし、他人の物差しで測らなくてもいい。HSPか非HSPか、そんな白黒はっきり付けなくてもいいんじゃないのかなー。
人には人の真実があるんだからいいじゃない。って。
人には人の真実がある。
これがどういうことかと言うと、ちょっと「HSPで電車が苦手!」というのを例に挙げてみる。「苦手」の中身を細かく分けてみると、
・苦手だけど乗れる
・耳栓すればなんとか乗れる
・たまに具合が悪くなるけど乗れる
・気分が悪くて途中下車することもある
みたいに、色々細かく分けられるよね。
ちなみに私は、耳栓とマスクを装備して電車に乗っても、調子が悪いと途中下車してしまう。だから乗る時は数日前から体調を調整して、途中下車しても大丈夫なように時間を逆算するし、寝込んでも大丈夫なように次の日は予定を開けておく。
このレベルで苦手な人にとって、「私HSPだから電車が苦手で通勤めっちゃ辛い」とか言われちゃうとね、「いやいや通勤て。週5乗れるなら苦手のうちに入らなくない?」と思ってしまうかもしれないよね。
私もそうだったからよく分かる(笑)。
でもちょっとだけ心を開いて考えてみようよ。
その人にとっては「電車が苦手で通勤めっちゃ辛い」が真実なわけで、それを「そんなの苦手じゃない」って決めて掛かる権利なんて、他人の誰にもないんだよ。
だからその人が「HSPで電車が辛い」と言うなら、その人はHSPでいいんだと思う。
他人に対して「いやあなたはHSPじゃないでしょ」とか、わざわざ思わなくてもいい。その時間を使って、自分が何をどのくらい苦手なのか知っておく方が、楽に生きるために一番大切なことじゃないかなー。
心を開こう。
他人の真実に寛容になろう。
でもそんなの無理だって思うならそれもまた良し(笑)。
実際私も寛容になり切れてない自覚がある。
寛容になれない時は、自分の真実に寛容になりきれてない時なんだよね。
つまり「苦手だけど頑張って毎日電車に乗ってる。だって乗らなきゃいけないから」と思って我慢してる人ほど「そんなのHSPじゃない!」って言いたくなる可能性があるし、辛いのを我慢してる人ほど人の辛さを軽視してしまう。
だからまず自分に寛容になりたいね。
そして自分に寛容でいれる環境を作って、それを守ろう。
私は大きい音や声がすごく苦手だから、あまり電車に乗らなくて済んで、声の大きい人と無理に会わなくてもいい今の環境を死守したい。
今が一番幸せだし、人生で一番体調がいいしね(笑)。だから今の生活を守るために、できる限りのことをしようって思ってる。
自分も人も、みんな自称HSPでいいじゃない。
まず自分の真実を見つけて、それを守っていこう。
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