プロフィール:医療DXと包丁を通じて、育児と仕事の両立への新たな挑戦
「ママ、今日もお迎え遅くなるの…?」
小さな声で尋ねる子どもの言葉に
胸が締め付けられる思いでした。
朝7時半、まだ眠そうな表情で
保育園に送り出す子どもたち。
実は、この保育園に辿り着くまでの道のりは
決して平坦ではありませんでした。
勤務していた病院の託児所に1歳から入所。
2歳児の春、保育園の待機児童になり
月8万円もの認可外保育園に通わせることに。
それでも見守り保育から工作や音楽など
年齢に合った保育を受けさせたくて
必死の選択でした。
その後も、3歳児の春から幼稚園併設の
新設された小規模保育園に入園できたものの
前の保育園からのクレヨン等を用意すると
「みんなと違う道具を使うのは可哀想」
「お迎えが1番最後なので可哀想ですね」
そんな言葉を何度も耳にしながら
お迎えに行く日々。
生活費から子どもの服、教育費まで。
ほとんどを一人で賄いながら
それでも必死に走り続けていました。
念願の在宅ワークになっても、
残業に追われる毎日。
子どもたちだけで夕食を済ませ、
お風呂も一緒に入れない。
在宅で働けるようになっても
理想とは違う現実に戸惑う日々。
「これが、私の理想の働き方?
何度繰り返せば理想に辿り着ける…?」
私は、こんな働き方を変えたいと
強く思うようになりました。
そして今、その想いを形にするため
新たな挑戦を始めています。
改めまして
やまぞえちか と申します。
現在は、
・フルタイムの業務委託でアパレル製造業の卸部門での営業事務
・健康と美容のマインドを変える包丁ショップ「cherish 1st」
の運営をし、2025年3月より
・医療現場のDXをサポートする「Support Stakes」
の事業を立ち上げます。
私のことを簡単にご紹介させていただくと、
・高校時代からバンド活動に没頭
・18歳で音楽イベント「BLUE SPRING」を立ち上げ
・10年間で106回のイベントを主催
・大手レコード会社で新人発掘を経験
・医療業界で12年間のキャリア
・医療介護事務/総務人事労務採用/営業事務
・訪問看護ステーションでDX改革を実現
・副業でブログ運営/ココナラで占い師/Adobe stockでAI画像販売
・AI大好き人間
・業務効率化に普段の業務でバリバリAI活用中
・Googleスクリプト/関数/GASでLINE bot作成など
・2児の母として仕事と育児に奮闘中
こんな経歴の持ち主です。
一見、バラバラに見えるこれらの経験が
今の私の原動力となっています。
このプロフィールでは
私がSupport Stakesと
Cherish 1stを立ち上げるまでの
道のりと、その背後にある想いを
お伝えしたいと思います。
夢と現実の狭間で
高校時代、私にとってバンド活動は
何よりも大切な青春の1ページでした。
でも同時に、悩みも抱えていました。
お酒や喫煙可能な場所
少し治安の不安な立地のライブハウス。
保護者からすれば心配な要素ばかり。
チケット代2500円に
ドリンク代500円が必須。
初心者の演奏を聴きに来てもらうのに、
3000円は気が引けて
友達を誘うのも躊躇してしまう。
さらに、ほとんどのライブハウスには
音源審査という壁が。
録音機材も持たない10代には
その壁は想像以上に高かったのです。
「もっと気軽に音楽を楽しめる場所が
あったらいいのに」
探しても見つからないなら
自分で作ってしまおう。
そうして18歳で立ち上げた
音楽イベント「BLUE SPRING」
チケット代500円、禁煙、お酒なし。
音源審査なしの敷居の低いイベント。
10代が1人でもいるバンドなら
誰でも参加できる場所を作りたかった。
天神VIVREのホールに飛び込み営業をして
半年間の会場使用許可を得た日から
私の挑戦が始まりました。
最初は知り合いのバンドと
その知り合いのバンドから。
バンドの掲示板に書き込みをしたり
mixiで直接メッセージを送ったり。
諦めない気持ちが実を結び
少しずつ手応えを感じるように。
そして10年の歳月をかけて
106回のイベントを数え
のべ637組の若いアーティストが出演。
中にはメジャーデビューを果たした子も。
野外フェスの開催
九州各県でのイベント展開
ビジネスプランコンテストでの受賞。
すべての経験が
「まずはやってみる」という
私の行動力の源になりました。
そんな音楽への情熱が
思いがけない転機をもたらします。
就職活動中、
スーツ姿でイベントに参加していた日。
「なんで今日はスーツ?」
「就活してるんですよ〜」
その何気ないレコード会社の方との会話から
大手レコード会社での新人発掘の仕事へと
就職が決まりました。
中途採用だったため
大学4年生の10月から入社。
大学のカリキュラムは残すはゼミだけだったので
仕事とゼミの両立をしました。
しかし、結婚を機に新たな選択を。
祖母が長年、支払基金のレセプト点検を
していたため、身近に感じていた
医療事務の資格を取得し
皮膚科クリニックに就職しました。
ところが、そこで厳しい現実に直面します。
「受付(医療事務職)は産休がないんです」
産休がないとは面接の時に
確認していませんでした。
正社員だったし、当然あるものだと
思い込んでいたからです。
妊娠を機に、
泣く泣く退職を決意することになります。
夢見ていた医療業界での第一歩は、
思いもよらない形で幕を下ろすことになりました。
でも、これは終わりではありませんでした。
むしろ、私の本当の挑戦は、
ここから始まろうとしていたのです。
医療現場での12年間
息子が1歳になるまでは
育児に専念しようと決めていました。
そして迎えた新たなスタート。
総合病院での総務としての
第一歩を踏み出すことになります。
総合病院には託児所があり
息子と一緒に出社できる環境。
「仕事と育児の両立ができる
理想の働き方ができるかもしれない」
そう期待を胸に抱いての入職でした。
人事労務、給与計算、社会保険の手続き。
産休育休の対応から入退職手続き。
面接補助や新入社員オリエンテーションなど。
幅広い業務を担当していましたが、
残業は日常的。
タイムカードを押して退勤扱いにしてから
さらに残業を続ける日々。
残業代は出ない。
でも、院内託児所があったからこそ
なんとか続けられました。
4年間、必死で走り続けた後
さらなるキャリアアップを目指して
製造業のベンチャー企業へ。
「フレックス制だから30分早く出社したら
18時が定時でも17時半には帰れますよ」
エージェントからそう聞いて
期待を抱いての転職でしたが
実態は違いました。
「総務はフレックス対象外だから
18時までは必ず勤務してね」
入社1ヶ月で知らされた現実。
絶望に打ちひしがれながらも
「1年はキャリアを積まなければ」と
必死に耐える日々。
その後転職をし、在宅医療診療所では
「大丈夫ですよ、うちは定時に帰れます」
と言われて入社したのに
月40時間もの残業が発生。
朝7時半の保育園送りから
夜7時半のお迎えまで。
お昼休憩は15時ごろに15分。
ワンオペ育児との両立に
心も体も限界を感じ
4ヶ月で退職を決意しました。
2度続けて描いていた理想と
かけ離れた現実。
疲れ切った心を抱えながら
次の一歩を考えていた時
出会ったのが
訪問看護ステーションでした。
訪問看護ステーションでの転機
「年間休日120日、残業もほぼありません」
これまでの経験から
あまり期待はしていませんでした。
でも、ここには何か違うものがありました。
これまでの総務経験は
組織の中の1人
と言う感覚でしたが
今回は私が組織に貢献できている
実感がある仕事だったこと。
電話では利用者様との温かいやりとり。
看護師さんや療法士さんからは
「パソコンが得意な方に
来てもらって本当に助かる!」
そんな言葉をいただけることも。
しかし、創業3年目の
まだ若い事業所だったため
アナログな業務が山積み。
出勤簿は手書き。
経費精算も手書き。
利用者様の訪問スケジュールは
なんとテプラでマグネットを作成して管理。
大きなホワイトボードを壁一面に3枚使い
固定のスケジュールと
その日稼働するスケジュールで
マグネットを分けて作るため
1人の利用者様に対し
最大42枚のマグネットを
作成していました。
テプラテープのコストも
作成時間ももったいない。
何かの拍子にマグネットが外れたら
どこにあったか分からなくなる...
さらに、皆さんiPhone SEを
支給されているのに
直行直帰ができず
パソコン作業のために
会社に戻ってこなければいけない。
「せっかくiPhoneがあるのに
外で完結できたら
もっと効率的なのに…」
そこで私は
全てをGoogleワークスペースで
管理することを提案。
社用メールアドレスは配布されているのに
未活用だったため、それを活用し登録。
出勤簿、経費精算、営業リスト
新規利用者様の管理まで
全てをスプレッドシートに移行。
最初は「覚えるのが大変だから
紙でいいよ」と戸惑う声もありましたが
丁寧にマニュアルを作成し
一つひとつ説明していくことで
少しずつ浸透していきました。
さらに、営業先をGoogleマップに
落とし込むことで
訪問の合間に最寄りの
営業活動もスムーズに。
営業活動も管理者だけがしていたので
皆さんが動きやすいツールを作成しました。
その結果、
毎月3〜5人だった新規利用者様が
10〜20人に増加。
医療従事者の方々は
必要な衛生材料を取りに来る以外は
外での業務に専念できるように。
この改革が認められ
入社半年で事務主任に。
でも、やりがいを感じる一方で
新たな課題も見えてきました。
2024年、元旦から6日まで
連続でフルタイム勤務。
その前からも時々土曜日は半日勤務。
毎月10日までのレセプト業務に加え
給与計算も10日支払いで締め日が一緒。
両方を担当していました。
そんなタイトなスケジュールの中で
また育児と仕事の両立が
強く私の頭の中で
リピートされるようになりました。
「在宅で、もっと柔軟な
働き方ができないだろうか」
時間外労働だけでなく
子ども2人とも0歳児から病児保育が
第二の保育園。
病児保育に預かってもらえるのは便利ですが
自宅近くにはなかったため
送り迎えの負担もありました。
娘が小学校に上がるまでに
理想の働き方を実現したい。
小学生になったら
働きながらも
「おかえり」と言いたい。
その思いが、
次の大きな一歩を
踏み出すきっかけとなります。
在宅ワークへの挑戦
理想の働き方を探し始めた矢先
無料セミナーからの個別面談で
高額なスクールへの勧誘がありました。
でも、その勧誘がきっかけで
「これまでのキャリアを活かせる方法が
他にもあるのでは?」
そう考えるようになりました。
情報収集のため
ウェブ検索やKindle本を
読み漁る日々。
そんな中で出会ったのが
「おうち秘書サロン」でした。
それまで見てきた
高額スクールの勧誘があったからこそ
月額1,980円で在宅ワークへの
第一歩が踏み出せるなら…
とてもリーズナブルに感じ、すぐさま
2024年4月
おうち秘書サロンに加入。
すぐにサロン内のミッションを
楽しみながらこなしていきました。
その1ヶ月後には
おうち秘書サロンで得たことから
業務委託での案件を2件獲得。
訪問看護ステーションでの残業とも戦いながら
夜9時半に子供達と寝たあと
深夜3時〜5時まで案件に取り組み
朝6時まで再度寝るようなスタイルで活動しました。
2024年6月には
メンターに相談できる
「おうち秘書サロンコンパス」に
エントリー。
とぽさんにメンターになっていただき
具体的な道筋が見え始めました。
そして8月
ついに会社を退職。
これまでの"正社員"の働き方から
フリーランスとして活動する
社会保険から外れる恐怖を乗り越え
9月からはフルタイムの業務委託として
アパレル製造業の卸部門で
営業事務として働き始めることに。
2018年に立ち上げられた
ベンチャー企業でしたが
社員数も100名を超え
業務委託のメンバーも多く
非常に急成長している会社。
関数の使い方など
これまでよりもレベルの高いところで
学びながら業務をこなす
やりがいのある毎日でした。
しかし…
面接の際には
「残業は基本的にありません。
あっても繁忙期に1時間ほどです」
と聞いていたのに(またフラグ?w)
入社して翌月には
夜9時頃までの残業が週2日ほど続きました。
「ママ、何時になったら
ご飯食べれるの…?」
子どもたちの怒りの声に涙ぐみながら
15分で夕食を作って仕事に戻る。
子どもたちだけで
夕食とお風呂を済ませ
私は後から一人で食事…
「これじゃあ、また同じ」
「せっかく在宅で働けるようになったのに
理想とは違う」
そう感じ、2回目の更新を
パスすることを決意。
しかし、この経験が
新たな気づきをもたらしました。
「自分の強みを活かした
事業を立ち上げたい」
訪問看護ステーションでの経験。
そこでのDX改革の成功。
医療現場の課題への理解。
経理、総務、人事での経験。
これらの経験を活かせば
医療現場の働き方改革に
貢献できるのではないか。
そして実は、この頃には
もう一つの事業の種が
芽吹き始めていました。
刃物との出会いから新たな挑戦へ
時は少し遡り
2024年8月、訪問看護ステーションを
退職する準備をしていた頃のこと。
中学からの親友と会っていた時
提案がありました。
その親友は中学2年生の時に
一緒にアコースティックギターを始め
高校ではバンドを組んで
青春を謳歌した親友。
あの頃は放課後も休日も音楽ばかりで
嵐のバックバンドオーディションに挑戦し
メンバーの前で演奏したり
数々の思い出を作った仲間。
その彼女が実家の刃物屋を
継ぐことになったということでした。
きっかけは、お父様の脳梗塞による
片目の失明。
跡継ぎを探していたところでした。
結婚し、子どもを持ってからも
連絡を取り合っていた私たちは
新たな挑戦を共に歩むことに。
「これまでの刃物屋とは違う
モダンでスタイリッシュなお店。
切れ味抜群の包丁で心身ともに
健康にしたい」
その想いに、私も共感しました。
実は私自身
料理は得意ではなく
包丁の知識もありませんでした。
でも、結婚時に
彼女の実家で購入した包丁で
初めて気づいたのです。
切れ味の良い包丁は
料理をスムーズにし
作業効率を上げるだけでなく
食材の栄養価も保てる。
切り方を工夫すれば
栄養価を上げることもでき
見た目も美しく変わる。
「包丁って、単なる道具じゃない。
どれも同じで切れればいいと思ってたけど
健康と美容に直結する
ライフスタイルツールなんだ」
さらに、私の祖母が足を悪くしてから
毎日とても大好きだった料理から離れ
認知症の兆候が現れた頃でした。
料理はいくつもの工程を
順序立てて行い
その間に片付けまで行い
料理が出来上がる頃には
フライパン以外は洗い終わっていた祖母。
料理をすることは
脳の健康的にも繋がっているんだと
祖母の認知症の兆候の理由はきっと
それだけではないですが
それも一理あるのではと
実感していたところでした。
そこで立ち上げることにしたのが
「cherish 1st」
刃物から健康と美容のマインドが変わる
新しいコンセプトのブランドです。
そして、もう一つの想い。
訪問看護ステーションでの
DX改革の経験を活かした
「Support Stakes」
医療従事者が本来の業務に
専念できる環境づくり。
そして、働くママたちに
在宅での柔軟な働き方を提供する。
二つの事業には、
私のこれまでの全ての経験と
夢が詰まっています。
私の求めていた理想の形。
遠回りをしてきたけど
たくさん転職もしてしまったけど
その都度アップデートしてきたから
ようやく、
ようやく、
辿り着くことができました。
新たな挑戦へ
2025年3月。
いよいよ私の新しい挑戦が始まります。
「Support Stakes」と「Cherish 1st」
二つの事業には、同じ想いが込められています。
それは、"心身ともに健康で
いきいきと暮らせる社会をつくること"
Support Stakesでは
訪問看護ステーションの
バックオフィス業務を
まるごとサポート。
直行直帰を実現し
本来の看護業務に専念できる環境づくり。
紙からデジタルへの移行支援。
営業活動の効率化。
訪問看護での経験だからこそ
分かる課題を一つひとつ解決し
医療現場の働き方を変えていきたい。
そして、その業務を
在宅で働きたいママたちと共に。
時間に縛られない
柔軟な働き方を提供したい。
一方のCherish 1stでは
切れ味抜群の包丁を通じて
料理の時間を楽しみに変える提案を。
手研ぎによる包丁に変えるだけで
食材の栄養価は保たれ
見た目も美しく変わる。
そして何より
"料理を楽しむ心"が生まれる。
更に訪問介護で
お手伝いに入るヘルパーさんにも
使いやすい包丁の提供を。
利用者様の健康的な食事づくりを
サポートしたい。
これまでの経験は
どれも無駄ではなかった。
音楽イベントで培った行動力。
医療事務から人事、総務
そして訪問看護でのDX改革。
全ての経験が
今の私を作っています。
働くママとして
同じように悩む方の気持ちを知り
医療現場の課題に向き合い
健康な暮らしを支える。
「まずはやってみよう」
18歳の時と同じように
この言葉を胸に
新しい一歩を踏み出します。
そして、これからも
アップデートし続けながら
理想の働き方を追求していく。
それが、私の描く未来図。
医療現場のDX化と
包丁を通じた健康的な暮らし。
二つの事業を通じて
誰もがウェルビーイングを
実感できる社会づくりに
貢献していきたい。
この想いに共感してくださる方と
一緒に新しい未来を
作っていけたら嬉しいです。
長文になりましたが
最後までご覧いただき
ありがとうございました!
これからも
よろしくお願いします😊