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子供を産む人、産まない人、産めない人①

賑やかな商店街からマンションの裏手に少し入ると、車が通れない程の細い道沿いにそのクリニックはありました。
目立つことを避けて存在しているように感じたのは、私自身が人目を避けて訪れたせいかもしれません。

当時の私はまだ独身で、そのクリニックから地下鉄で20分ほどの距離にある精神科病院のリハビリセンターで働いていました。

「薬に頼らず、身体を整え、心の病気を治す」

という研究目標を掲げ、様々な患者さんたちの治療に夢中になっていたのですが、勤務に就いて3年目にして過労で倒れてしまい、救急病院に運ばれたことがありました。

そこで、たまたま見つけてもらった卵巣の腫瘍の存在が、今の私のライフワークの始まりです。

夏みかんほどに成長した2つの腫瘍は、学生時代に発症した摂食障害が原因で、年に2回程しか来ていなかった月経を長年に渡り放置していたそのツケでした。

直ぐに設備の整った大きな病院に移って手術をしてもらったのですが、腫瘍はきれいに切除されたものの、左右の卵巣の機能は著しく低下しており、排卵が困難な状態であることがわかりました。

「これから先、妊娠することは難しい。子供のいない人生に幸せを探してみたらどうか」

手術後に担当医からの不妊宣告を受けた当時23歳の私は、女性として生きていく未来に希望が見えなくなっていました。
そんな時に、そのクリニックに出会ったのです。

看板にはクリニックの名前と産婦人科とだけ書かれていましたが、何故かその名前も診療科目もスプレーで落書きされ、読めなくなっていました。
少し不気味で、でも気になって、何度も前を通っては様子を伺いたくなるような、そんな場所でした。

子供を産めないと宣告された私は、精神科病院の勤務が終わると、このクリニックに通うようになりました。
と、言っても初診は不妊治療のためではなく、ストレスと不眠で発症したカンジダの治療です。

因みに、カンジダは健康な人にも常在している菌で、膣だけでなく口の中や腸、皮膚など至るところに存在しています。
性交で感染することもありますが、妊娠でホルモンバランスが崩れたり、抗生物質の服用で善玉菌が死滅してしまったり、ビデなどで膣洗浄をし過ぎて自浄作用が低下したり、病気や過労、栄養失調などで抵抗力が低下してもカンジダは異常増殖して炎症を起こします。

幸い、私のカンジダ症状はすぐに治まったのですが、産婦人科なのに妊産婦さんに会うことがなく、赤ちゃんの写真やポスターも貼られていないこのクリニックが、いつしか私のホッと出来る場所となり、理由をつけては足を運ぶようになっていました。

ある日、クリニックの看板に「中絶は殺人」と書かれた紙が貼られていたことがありました。
マジックで書かれていたその文字に、全身が硬直し看板の前から動けなかったのを今でも覚えています。
剥がした張り紙を受付に持って行くと、最後の患者さんが会計中でした。

私は咄嗟に張り紙を隠し、そして患者さんの顔を見ないように下を向きました。
その患者さんがどんな理由でクリニックに来られていたのかはわかりません。
この時、顔を見てはいけない気がしたのは、私自身が顔を見られたくないと思っていたからかもしれません。
子供を産めない自分を誰にも知られたくない。
私がそう思っていたのは確かで、もしかしたら、その患者さんもそう思っているんじゃないかと慌てて下を向いたのです。

こういった行動が、時に人を傷つけることがあると気が付いたのは、もうちょっと先のことですが。

患者さんが帰られると、丸めた張り紙を持って受付で声をかけました。
受付は今の時代のようにカウンターではなく、硝子窓の引き戸を開けて言葉を交わす一昔前のスタイルでした。

受付の女性は張り紙の文字に驚いた様子もなく、診察室の院長先生に何やら短い言葉をかけて直ぐに戻ってきました。
間を開けず、院長先生も診察室から出て来て私に声を掛けました。

「診察でしたか?」
「いえ、張り紙を・・・」

言葉に詰まってしまった私に、普段は口数の少ない院長先生が珍しく雑談を始めました。

世の中には望まない妊娠をする人、望んでも授からない人、授かっても産めない人がいること。
また、自分の意志で産む選択ができる人、時間に迫られて選択肢を失う人、安易に中絶を選択する人、どんな理由であっても家族や他人の中絶に断固反対する人がいること。
日本のように中絶を認める国と、中絶を犯罪として処罰する国があること…など、色んな話をしてくれました。

「望んでも授からない人」という言葉に動揺しながら、私は自分が不妊宣告をされたことや、精神科の病院で、身体に触れて心を癒す仕事をしていること、命を産みつなげる女性とそれができない女性の身体や生き方について日々考えていること話しました。

すると院長先生は、

「中絶を選択するのは本人だけれど、実際に小さな命を絶つことを実行するのは、医者である私。だから、どんな理由であれ私は中絶をする人に優しい顔はしない。
けれど、自分の選択を悔やみながらも、その選択を正当化し続けなければ生きていけない社会があり、その中で必死で足掻いている人を支えたいと思っている」

と話されました。

その日をきっかけに、私は毎晩このクリニック通うことになります。
中絶をした患者さんの術後カウンセラーとして、メンタルケアのお手伝いさせてもらうためです。

私が初めてこのクリニックでメンタルケアをさせてもらったのは、妊娠21週目に入ってから中絶の選択をしたA子さん(20代)でした。



子供を産む人、産まない人、産めない人②に続く

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