【情熱弁当ができるまで】②店長への道のり
超不定期連載「情熱弁当ができるまで」。
前回のお話し。
>>>【情熱弁当ができるまで】①上京と出戻り
東京では板前をやっていたものの、それでは料理しか作れない。
飲食業のマネジメントを学ぼうと、当時名古屋で一番流行っていた洋風居酒屋「旗籠家」へ、店長を目指して入社します。もう料理の作り方は一通り修業してきたので、今度はそれ以外の事を学ぶ必要性に気付きます。
小さくともチェーンストア。
キッチンにはレシピと作業工程表がありますし、ホール作業にはマニュアルがあります。シーン別に言う文言もちゃんと決まっています。
なので、自己流でやるのはダメ。
こういったデータや資料に沿って仕事をするのも初めてでしたが、何よりボク自身が困った事。自分の欠点ですね。
それは、
言葉で上手に伝える事がヘタ。
人に指示して動かすのがヘタ。
周りを見ながらの状況把握がヘタ。
相手は、大学生アルバイトの素人さん。
板前の若い衆が相手なら「俺の背中を見て覚えろ」「料理は盗んで覚えろ」と、相手のやる気に丸投げできる。しかし、自分の教えるスキルは何一つ育っていなかったのです。
ところが、ここは会社組織であり、師弟関係もないところ。
どこのポジションも、毎日人が入れ替わる訳です。
誰かが教えないと、相手は動かない。
育てるのは誰?ちゃんと育てろよ。
でもそれは、社員であるボクの仕事でした。笑
◆職人とマネジメントの間で
職人なら、自分の持ち場だけ完璧にこなしていれば誰も文句は言いません。
自分のやることをこなしながら、人に指示が出せないんだな。
変にいい人ぶって、もの凄く遠慮して言い出せない。
特に、一度も喋った事もないアルバイトスタッフは特に使い辛い。
参ったな。
マネジメントを学びに来たつもりが、それ以前の所で引っかかってる。
心の奥底に、職人としてのプライドがあったのでしょう。
東京で十年以上、一流の和食店で働いていたからね。
いきなり洋風居酒屋なので、東京時代を知っている人たちからは
「そんな所で働かず、名古屋の料亭を紹介しようか」
そんな事を言ってくださる方も多くいた。
一度、全部捨てないと前に進めないや。
口では言うものの、本気で変わろうとしていないんだな。
全力で一年やって、平社員から店長に昇格できなかったら、適正がないと思って素直にあきらめよう。誰にも言わなかったけど、自分で決めました。
なにかを振り切ったボクは、気がすごく楽になりました。
◆硬いアタマを柔らかく
「教え方がわからない」
「伝え方がわからない」
じゃぁ、どうするか。
上手にアルバイトスタッフを使う人。
同僚に頼み事が上手く言える人。
進捗状況を自分で確認するのではなく、報告させる人。
とにかく、上手い人の良いところを真似したんですね。
要は、全部を一人だけで完璧にやろうとするなって事。
上手く仕事を回すための、自分なりの仕組み作りをはじめます。
初めての接客でした。
トレーを使って料理を運ぶとか、
ハンディー(オーダーの入力装置)でオーダーを取る、
宴会の料理進行を仕切る、
伝票が延々続くドリンク場で飲み物を作る、
スマートなレジ会計や、
電話での予約対応や確認、
新人さんの教育やトレーニング、
クレーム対応など。
覚える事は本当に多かった。
以前のボクは、料理しか作っていないのに、ずいぶんと偉そうな態度ばっかりとっていたなと反省する事も多々。
中途採用ばかりの会社でしたが、早い人は1年も経たないうちから店長に抜擢。が、ボクには全く声がかかりませんでした。
◆あと一週間で入社一年
異動三店舗目で、平社員として一年が経とうとしていた頃。
自分なりに、覚える事は全部覚えた。やるべき事は全部やった。
なにより、自分の心の中で東京風を吹かせる事は一切なくなったのです。
そこで迎えたタイムリミット。
自分との約束通り、板前に戻ろう。
来週、事業部長へ退職の話しにいこうと思っていました。
それはいきなりでした。
木曜日に事業部長が、ボクの勤務店に来たのですね。
店長と一緒に呼び出され、三人でテーブルを囲みました。
「原田さん、来週から旗籠家さくらみせに、店長として行ってください。」
店長だけが着ることを許される、黒コックコートが渡されました。
嬉しかったなぁ。
同じ飲食業とはいえ、別の分野でのチャレンジですから。
この時認めてもらった喜びと、初心を忘れて慢心しないように。
後に誕生する情熱弁当のユニフォームは、黒コックコートとなりました。
ところが、本当に大変なのはこれからでした。