外国文学
またドストエフスキーの「罪と罰」を読んでいる。何度目だろうか。少なくとも5回くらいは読んでいると思う。伊藤整の「日本文壇史」で明治の文学者とか学生は若い頃から海外の文学を外国語で読んでいるのを知って驚いた。日本語訳がないから自分たちで辞書を引きながら読んだということだろうか。それも同じ作品を何度も何度も暗記するくらい読んだらしい。今私たちは多くの外国文学を日本語で多く読むことができる。聞いた話では日本くらい海外文学の翻訳が出版されている国はそうはないらしい。それほど有名な作家のものではなくても日本の書店に行けば売っているらしい。それだけ数多く海外の文学も出版されていれば、海外文学が好きな人は多く読むことだろう。しかしどれだけ感動した作品でも暗記できるくらいは読まないだろう。わたしは20代の頃は海外の「現代文学」といわれるものをかなり読んだが結局は今も読み続けているのはドストエフスキーとかトルストイとかユゴーとかの作品だ。もちろん暗記するほど読んでいるなんて偉そうなことは言えないがいくつかの場面はいろいろな事件が起きた時にその小説の箇所が思い出される。それだけ身についているとも言える。今出ている海外の現代文学はもう「海外文学」とは言えないくらい驚きのようなものがない。それだけ感性が鈍っているとも言える。あと何年生きられるかわからないがおそらく古典的な名作ばかりをこれからも読んでいくだろう。私にとって海外文学とは「罪と罰」や「戦争と平和」なのである。